第23話 一世一代プロポーズ

 タケルはたこ焼き屋のバイトを続けている。一時は閉店が危ぶまれた勤務先だが、ニーナの活躍以来は、堅調な売上を叩き出すようになった。収支は劇的に改善。2人体制のシフトも珍しくはなく、それどころか、新たなスタッフも何人か雇う程だった。



「お先に失礼しまぁす」



 女子大生の同僚が裏口から帰っていく。事務所に残されたタケルは、自分も退散したいと切に願う。


 しかしその想いは、正面から睨みつける店長の瞳が否定した。これは立ち話ではない。テーブルを挟んで座り、向かい合うのだ。さながら詰問の様相で、話題もやはり叱責と変わらなかった。



「いい加減にしてくれよ、飯場君」



 店長の瞳が獰猛に光る。筋肉質な体つきの腕組み、汗で湿った黒い短髪。迫力としては十分だ。


 しかしタケルは怯むよりも、呆れの方が強い。先程、ニーナに手渡すよう頼まれた贈り物を知ってしまえば、尚更の事だ。



「こっちこそいい加減にしてくれませんか。正直言って迷惑です」


「何だお前。人の恋路を邪魔するとか、根性腐ってんな」


「1度会ったきりの相手に、こんなものを送りつけるなんて。店長こそどうなんですか」



 手渡されたのは小袋。超有名店のロゴ入りだ。中身はというと、お高いレストランのディナー券、もちろんペア。そして重厚な箱。その中にはダイヤの指輪があり、名目は婚約指輪だと言う。



「飯場君はただ黙って渡せば良い。それをどう捉えるかは、彼女が考える事だろ」


「渡せませんよ。ちょっとしたお歳暮とか、お菓子なら分かりますけど。ホテルのペアチケットとか下着とか、完全にセクハラですから」


「人の贈り物をセクハラとか言うな! 時給も上げてやったのに、恩知らずか!」


「そもそよ歳を考えてくださいよ、歳を。いったい何個離れてると……」


「年齢なんか関係ねぇ! 芸能人を見ろ、10や20離れてても結婚してるだろうが!」


「じゃあ店長は、自分よりも20歳年上の女性ともお付き合いしたんですよね? 今現在で計算したら、相手は還暦手前くらい?」


「そりゃ、お前、ある訳ねぇよ。逆パターンは成立しない。男ってのはそういうもんなの! 若い女こそ至高なんだよ!」



 こいつはダメだ。本格的にダメな奴だ。先程の暴言だけで思うのではない。せっかく潤った運転資金を、店やバイトには還元せず、キャバクラにばら撒いている事実が前提として有る。しかもその暴挙を隠すどころか、自慢話として豪語するのだから救えない。


 そろそろ縁の切り時か。タケルは胸の内が冷えていくのを感じた。


 しかし運命とは、得てしてイタズラ好きである。よりにもよって、という絶妙なタイミングで、最悪の出来事が起きてしまうのだから。



「ごめんください。タケル様はいらっしゃいますか?」



 裏口から声。タケルは咄嗟に立ち上がったが、店長の方が出口に近いだけ有利だ。不利を若さによる反射神経でカバーしようとするも、店長は老練な男。手当たりしだいに椅子や棚を引っ倒して、即席のバリケードを設営。見事タケルの進出を阻み、第一陣として出迎える事に成功した。


 その晴れやかな顔は、まさに官軍と呼ぶに相応しい。



「いらっしゃい、どうぞ上がって。だいぶ散らかってるけど」


「いえ、ここで結構です。雨が降ってきましたので、タケル様に傘をお届けにあがりました」


「うわ優しっ! 君ってイトコなんでしょ? あんな奴の為にそこまでするか!?」


「はい。私はタケル様に尽くすことこそ、無上の喜びなのです」


「ゴハッ……!」



 ここで無自覚なカウンター攻撃が炸裂。店長は確かなダメージを受け、口元から謎の汁を吐き出した。


 しかし彼はタフネスで知られる男だ。心折れるまでには至らない。伊達に界隈のキャバクラにおいて、しつこさが原因で出禁措置を食らってはいないのだ。妙な粘り強さには悪評がある。



「それよりもさ、これから食事に行かないか? 絶景レストランで美味しいフレンチ!」


「せっかくのお誘いですが、持ち合わせがありません」


「何言ってんの、オレの奢りだよ! 気にせずジャンジャン食べちゃって!」


「まぁ、本当ですか? それなら是非」



 タケルは障害物を掻き分けながら、自分の耳を疑った。まさか快諾するとは思わず、唖然とさせられるのだが、その後を思えば納得した。そしてこの先には、更なる唖然が待ち受けていた。


 店長に連れられてやって来たのは高級店。スカイでラウンジな洋食レストランだ。予約席に店長が座り、向かいにニーナ。その隣でタケルが気まずそうに腰を降ろしている。



「タケル様、本日はご馳走していただけるとの事です。ありがたく頂戴しましょう」



 ニーナ1人でのお誘いは不可と知った店長は、店側に急遽3人での料理を願い出た。直前であるにも関わらず、シェフは見事に応じてみせた。その腹の中はさておき。



「どうだいニーナちゃん。美味いだろ。芸能人もお忍びで来るような有名店だぞ」


「はい。お味は牛丼以上、安里家の料理未満、といった所でしょうか」


「よく分かんないけど、気に入ってくれたんだよな?」



 店長はやや手球に取られていた。会話も噛み合うようで、どこかすれ違う。その為主導権を握る事のないままに、時間だけが過ぎていく。


 旗色の悪さは、場所を変え、バーに移動しても同じである。



「ニーナちゃん、遠慮は要らないよ。好きなもの飲んで飲んで」


「せっかくのお言葉ですが、私は一身上の都合により、水分を摂ることができません」


「何それ! 苦行か何か!?」


「タケル様。その、贅沢ミカンソーダ金箔入りという飲み物、素敵ですね」


「見た目で頼んでみたけど、凄く美味しいよ。とにかく濃厚なんだ」



 店長はとにかく後手に回ったきり、巻き返す事が出来ていない。どれだけ大枚を払おうが、会計時に札束を見せびらかせても、ニーナは一向に興味を示さない。何かにつけタケルタケルと、そちらばかりを気に掛けるのだ。


 しかし大人の余裕か、店長は気分を害する事は無かった。むしろ堂々と構える程である。



(まぁ良いさ。指輪さえ渡せばイチコロだ。女って生き物は光り物に弱いからな)



 彼の自信と公算は、雑な根拠から来ていた。それでも心の支えには変わりない。バーを出た後は、近場の公園まで足を伸ばした。


 静かで、街灯に照らされる噴水の美しい、それなりのロケーション。この近辺では、まずまず良好な雰囲気である。雨上がりである事も、仕掛け人にとっては追い風だ。


 店長はベンチの前で促し、3人が肩を並べて座る。自然な素振りでニーナの隣にありついた事は、彼の老練さによる部分が大きい。



「ニーナちゃん。大事な話があるから、聞いてくれ」


「タケル様。重大なお話があるそうですよ」


「オレは君に言ってるんだよ」



 その言葉とともに、店長はニーナの手を握ろうとした。しかしそれは空を切る。もう1度握ろうとする。だが、ニーナは立ち上がってまで避けた。


 ここで逃げるニーナを追いかけるあたり、諦めの悪さが垣間見える。機敏な動きで回避し続けるニーナ。その華麗な動きは、護身術アプリのお陰であり、少なからず気品を感じさせた。


 それをドタ足で追いすがる店長。何度かわされようと決して諦めない。場所は噴水脇から、遊具に遊歩道、果ては雑木林にまで移される。


 そんな激戦も、ニーナが大木の枝に飛び乗った事で一段落する。



「どうして逃げるんだよ、そんなにもオレが嫌いか! あんなに飯まで奢ってやったのに!」


「男女無闇に触れ合うべからず。別に手を握られなくとも、話を聞くことは出来ます」


「くそっ……。ほら見ろ、ダイヤの指輪だぞ。これをはめようと思って、手を握ろうとしたんだ!」


「私には不要な物です。贈り物でしたらタケル様へどうぞ」


「どうしてそうも飯場君の事ばかり!」



 店長は子供じみた癇癪を晒した。相手が10歳以上若くても、大人の威厳をかなぐり捨てたのだ。彼は悪い意味で年齢を意識していない。


 それを見てどう思ったか、ニーナは口に出さないものの、返答は強烈な響きをはらんでいた。



「私はこの身が果てるまで、タケル様にお仕えするつもりです。それだけが唯一の幸福なのですよ」


「良いかよく聞け。男ってのは40歳からが最高なんだ。金はあるし、まだまだ若い! それに引き換え、20歳そこそこのガキじゃ、ハンバーガー食うのがやっとだろ。そんな貧乏くさいデートで満足なのか!?」


「タケル様とご一緒できるのなら、羽虫の料理だったとしても、喜んで平らげましょう」


「そ……そこまでアイツの事を……!」



 さすがのタフネスでも、堪えきれるものでは無かった。打ちひしがれ、その場に突っ伏し、拳で地面をえぐるばかり。


 その脇で、枝から降りたニーナが着地。そして、雑木林の中で彷徨うタケルの方へと駆けつけた。



「お待たせしました。そろそろ帰りましょう」


「ごめん、間に入れなくて。あまりにも唐突だったから、2人の姿を見失っちゃったよ」


「ご心配は無用です。言うべきことは言いましたので。店長も今後は態度を改めるでしょう」


「ともかく、面倒に巻き込んでゴメンね。疲れたでしょ」


「いえ、良い機会だったと思います」



 そんな会話を繰り広げながら、タケル達は立ち去っていった。残された店長はというと、早くも復活を完了している。この異様な切替えの早さが、タフネスと呼ばれる一因だと言えた。



「あ〜〜ぁ、フラれちまった」



 まるでクジにでも外れたような温度感だ。彼はすぐに立ち上がり、荷物をまとめると、夜の街へと消えた。



「この指輪どうすっかなぁ。誰かにあげちまうか!」



 吹っ切れた声とともに、軽やかな足取りで歩いていく。


 ちなみに彼は知らない。指輪はサイズが重要で、ニーナの指に合わなかった事を。そもそも、彼女は装着すら出来ないのだが、今となっては関係の無い話だ。


 そして一見様(いちげんさま)としてキャバクラに出向き、一番好みの女性に指輪をプレゼント。その品がどこの店に横流しされたかも、彼は知らないままであった。

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