第21話 宿敵は傍らに

 タケルが豪奢なる歓待を受けようが、性癖開発が為されようが、大学運営は予定通りだ。講義に滞りは無く、レポートだの小テストだのと忙しくする。


 それらを全て、そつなくクリアしていくタケル。強いて言えば、カツトシの姿をめっきり見かけなくなった事が気がかりである。出席の代返やレポート等々は別の友人に頼んでいるので、落第の危険性は無い様子であるが。



「また遊び歩いてるのかな。僕が心配する話でもないけど」



 タケルはトイレで用を足し、手洗いを済ませてから、エアタオルに手を伸ばした。その時不意に、背後から呼びかける声を耳にした。



「相変わらずのマヌケ面だな、飯場タケル」



 悪寒がゾワリと駆け抜ける。慌てて振り向いてみれば、そこには忌むべき相手が、腕組みすると共に仁王立ちしていた。



「アンタは、セワスキン……!」


「久しぶりという程でもない。せいぜい一週間という所か」


「気安く話しかけないで。僕はまだアンタを許してない」


「別に、許しを請う為にここに居るのではない」


「だったら何の用だ!」


「……ともかく、それを終えたまえ。電気の無駄だ」



 エアタオルは健気にも、動きを止めた両手に温風を当て続けた。


 タケルは乱雑に手を擦り合わせ、すかさずトイレから飛び出そうとする。しかし通路に出た所で、セワスキンの言葉が駆け去る足を引き止めた。



「今後、私もこの大学へと通うことになった。今日はその挨拶だ」


「知らないよ。勝手にすれば良い」


「随分と根に持っているようだな。器の小ささが覗えるというもの」


「アンタに評価されたいとは思わないよ」


「まぁ聞け。私は元をただせば、旦那様の端末だ。お嬢のお父上のな。若い男連中が泊まりに来ると聞いた旦那様が、密かに監視を命じられたのだ」


「その結果があの暴力沙汰か」


「あれは護衛アプリが引き起こした。感度と反応がディザスターに設定されていたからな」



 その言葉に、タケルの心も僅かに緩んだ。それが事実であったなら、彼の想いとは別に、半ば強制的に動いた結果という事になる。


 振り上げたくない拳で殴りつけるのは、どれ程の苦痛を伴うのか。タケルには想像もできなかった。



「じゃあ、本心は違うって事?」


「いや、貴様を叩きのめしたいというのは、私の判断だ。正直ムカつく」


「アンタは何が言いたいんだよ!」



 不穏な声が辺りに響き渡ると、物陰から安里伊奈が現れた。手元にはコンビニ袋がある。



「お待たせ、セワスキン……ってタケル君まで! どうして一緒に!?」


「それは僕の方が聞きたいよ」


「ごめんね。ちょっと事情があって」



 イナは取りなす様にして、両者の間に割って入った。そして端的な説明が続く。



「セワスキンだけどね、パパの言いつけで、護衛を頼む事になったの」


「護衛って事は、今後は彼を連れ回すようになる?」


「そうなっちゃいそう。でもね、タケル君には絶対迷惑をかけないようにするから!」


「まぁ、別にね、僕がとやかく言うことじゃないよ」



 そんな会話がありつつも、感情は正直だ。タケルとセワスキンは真っ向から視線をぶつけ合い、気迫による押し合いが続いた。


 気を利かせたイナが、セワスキンを連れて立ち去ろうとするのだが、無言の衝突を終わらせるのに3度ほど「もう行くよ」と叫ぶ事を求められた。


 

「最悪な気分だ……。なるべく関わらないようにしよう」



 午後の授業が身に入らない。それでも機械的に板書を写せたのは、習い性のお陰だった。やがて講義が終わる。後は家に帰るだけだ。



「小腹が空いたな。パンでも買っていこうか」



 帰り際に、キャンパス内のコンビニへ足を踏み入れた。すると、唐突に強い視線を感じ、そちらを見れば忌むべき相手を発見した。


 タケルは咄嗟に目をそらして棚の方へと向かうのだが、相手はそれを許さない。



「飯場タケル。お嬢が買い物を楽しむ中、何用だ」


「知らないよ。僕も欲しいものがあって来たんだ。ここは安里さんの貸し切りって訳じゃ無いだろ」


「無論だ。しかし、だからと言ってお嬢に近寄るな。目障りだ」


「ご忠告どうも!」



 それからも、間断なく突きつけられる警告を、タケルは背中で聞き流した。やがてイナが慌てながら駆け寄ってきた。彼女の謝罪に対しては程々の愛想で返すのみで、それからは歩調を怒らせつつ店を後にした。


 結局パンは買えず終い。このまま真っ直ぐ帰ろうと心に決めた矢先、本の返却日である事を思い出す。酷く面倒なのだが、約束は約束。駅に向かう足を市立図書館へと向けた。



「返却はここだよね……」



 館内の一角へと向かい、背中のリュックを開いた。そしていざ、本を返却しようとした瞬間、背後から鋭い声が飛んだ。



「また貴様か、飯場タケル。なぜお嬢の行く先々に現れる」



 問い詰めるのはセワスキンだ。怒声をはらむ声は、刺々しい。しかし、振り向き様に睨み返すタケルも、怒りに関しては負けていない。



「だから知らないっての! 僕にも用事ってもんがあるの、イナさんがどうかなんて、いちいち把握してる訳……」


「声を落とせ。ここは図書館だ」


「僕は本の返却があって来たんだ。それだけの事」


「真か? ウソであれば承知せんぞ」


「わざわざ取り繕う価値なんて、アンタには無いんだよ」



 タケルは返却棚に本を置くと、すかさず外へ飛び出した。その時、半開きの自動ドアに身体をぶつけてしまうのだが、構わず帰路を急いだ。


 しかし駅へと向かう足がピタリと止まる。本来であれば電車に乗って帰宅する所だが、嫌な予感に襲われたのだ。このままルーティンを繰り返せば、またセワスキンと遭遇しかねない。そんな懸念が過ぎったのだ。



「歩いて帰るか。定期券がもったいないけど」



 とにかく、これ以上の面倒は避けたい。その一心から、たまに道草を食らいつつ、緩やかにアパートの方へと歩いていった。小道に次ぐ脇道を縫うようにして進み、ようやく半分の道のりを踏破した頃だ。タケルは天を仰いで立ち止まった。


 道の先に、イナと共に歩くセワスキンの姿を見つけたからだ。そして間もなく、タケルの存在が気付かれる事になる。



「貴様、いい加減にしろ! 私の目の前でお嬢を付け回すとは良い度胸だな!」



 怒りを隠さず詰め寄るセワスキン。しかし、熱量はタケルも同等だった。



「だから知らないって言ってるだろ! そっちが先回りしてるんじゃないか!」


「往生際の悪い奴め。やはり貴様は、その性根を叩き直すしかないようだな!」


「やれるもんならやってみろ。今度手を出したら、暴行罪で法廷に引きずり出してやる!」


「腕力で敵わないと知るや公権力を振りかざすのか、どこまでも情けない奴め……プライドというものが無いのか!」


「いちいち暴力で解決するお前がおかしいんだろ!」


「黙れ、この犯罪者予備軍!」


「うるさい無法者!」



 互いに感情をぶつけ合うだけでは収まらず、どちらも胸ぐらを掴みあった。さながら鏡合わせのようだ。


 ただしタケルの方が背丈が低く、いくらか形勢不利である。その体格差から、五分の姿勢に持っていく事ができない。むしろ足元が浮き気味となり、力を思うように伝えられていなかった。


 しかしこの勝負、意地と意地のぶつかり合いは、予想外の展開を迎えるのだった。



「セワスキン、あなたねぇ。どうしてそうもタケル君を目の敵にするの……?」



 ユラリと身体を揺さぶりながら、イナが2人の傍に寄った。四白眼となった瞳は、憤怒よりも憎悪を色濃く映し出すようである。


 さすがのセワスキンも怯むのだが、彼にも考えがある。怒気を和らげはしても、掴んだ胸ぐらを離そうとしない。



「お嬢は世の中を知らん、男の邪悪さも知らん。だからそんな風に庇(かば)えるのだ」


「タケル君はね、大切な大切なお友達なの。それは何度も説明したよね」


「騙されるな、コイツの顔を見ろ。【女が大好きで堪りません】と書いてある。達筆だ」


「私の言うことが聞けないっていうの?」


「お嬢を脅威から守る。それが役目だ」


「そう。なら仕方ないわね」



 イナは、セワスキンの空いた方の手を掴んだ。片手モードで起動し、その手のひらを指先でなぞりだす。



「お嬢、何をする気だ」


「ストアであなたの人格を変えるの。こんなんじゃ先が思いやられるからね」


「何をバカな事を。その変更には旦那様のパスワードが必要……」


「それならもう割り出してるから、簡単に。それはもう簡単に」


「何だと!? よせ、下手に人格を変えられでもしたら、お嬢を守れなくなる!」


「どうしよっかなぁ。臆病で引っ込み思案の、ついでに路側帯フェチも付けてあげる。語尾は『でしゅね〜〜』にしようかな」


「やめろ、考え直せ」


「それは難しいでしゅね〜〜」


「やめろと言っただろう!」


「だったら謝ってよ。これまでの事全部、きちんと謝罪して」


「クッ……進退極まったか……!」



 悔しさを滲ませるセワスキンだが、その手は既に胸ぐらを離している。タケルもひとまずは、相手から手を離した。


 それからセワスキンは少しだけ頭を下げたのだが、覗き込むようにして睨む瞳が熱くたぎる。食いしばった歯も、自ら奥歯を粉砕しかねない程に強烈な力が込められていた。


 そんな顔を晒してまで飛び出した言葉は、言語としては、一応の謝意を示すものだった。



「これまでの、非礼を、詫びる……!」


「どうかな、タケル君。気は済んだかな?」


「こんなもの見せられてもね、謝られたように感じないよ」


「そうだよね……もっと誠意というか、キチンとやってもらわないとね」



 厳しい視線がセワスキンに集まる。いよいよ観念し、彼は勢いよく頭を下げた。振り乱された金色の髪からは、鬼気迫るものすら感じられる。



「こ、この度は、まことに……ガタタッ」


「何の音だ……?」


「この度は、ピッ。まことに、ピピィーー。ピィーーガタガタッ。プスン」


「あっ、これヤバいかも」


「ピピッ、ガァーー。この度はピーーッ、きょのたぶは、この、このこのこ。プスンプスン。このた、きょのたびびびぃぃ。ピピィーー、ピィィイイーー!」


「やっぱり、これはもうダメだわ……」



 イナは、力なくうなだれるセワスキンを路上に座らせると、すかさずタケルの方を向いた。



「ごめんね、彼は調子悪いみたいで、口から煙吐いちゃうなんてもう……お茶目さんよね」


「う、うん」


「今日みたいにならないよう調整しとくから。アプリの確認……えっと、良く言い聞かせておくから!」



 イナはセワスキンの正体を隠すつもりである。タケルは既に認識しているのだが、話がこじれるのを嫌がり、とりあえず曖昧に微笑んだ。



「わかったよ。宜しくね」



 それからイナは、一般的なスマホを取り出すと、車を出すよう告げた。すると5分と待たずに黒塗りの乗用車が登場。セワスキンを後部座席に詰め込み、自身は助手席に乗ると、迎車に乗ってどこかへと消えた。


 タケルは半ば呆然としながら、去りゆくのを見送った。そして心に去来する言葉。ハイクラス機種のくせに、吐き出すエラーはレトロなんだと。ニーナと大差ないなと、割とどうでも良い考えを思い浮かべていた。


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