第20話 恥じらいは時として
まどろみの中、タケルの頬に不思議な感触がある。自愛に満ちた温もり、全てを受け入れるような優しさが、魂の奥深くから慰めるのだ。
(何だろうな、これ……)
タケルは緩やかに目蓋を開く。差し込む光。眩しさに堪えながら見て取ったのは、Vネックのセーター。開いた首元から覗く白い素肌。ふくよか過ぎる谷間。
タケルはしばし硬直、そして転がる事でベッドから逃れた。
「ちょっと! 何で君までここで寝てるの!」
「ピピッ……。おはようございますタケル様。本日の空模様は曇り。降水確率40%の……」
「始めないで! いつもの朝みたいな雰囲気で語りださないで!」
「承知しました。どうやらお怒りのご様子、何か不手際があったでしょうか?」
「男女が同じベッドで寝るとか、問題あるでしょうが!」
「事前にネットで調べてみましたが、裸で無ければ問題ないと解釈しました」
「服を着ててもマズイんだよ……」
タケルは道理を説きつつも、顔にムニョンとした感触を思い出し、耳まで赤くして首を振った。
「はぁ、いちいち説明しなきゃいけないとか。疲れるなぁ……」
「それでしたら、ベーシックアプリを活用されてはいかがでしょうか? 先日の護身術など、有用な物が多くあります」
「アプリ? それって高いやつ?」
「初期状態でのご利用は無料です。機能のカスタマイズをご希望であれば、有償版をご購入ください」
「じゃあアプリを入れたら、さっきみたいな説明が要らなくなるの?」
「はい。その認識で問題ないかと」
「それ、早く言って欲しかったなぁ。今までの苦労がバカみたいじゃん」
「大変申し訳ありません。初期設定を終えておりませんので、インストールが出来ませんでした」
「あっ……じゃあ僕のせいか。ごめんよ」
ふと過ぎった記憶は初日の夜。おぼろ気ではあるものの、タケルは確かに、認証設定だけで終わらせた覚えがある。つまり自業自得という訳だ。
「それはさておき、アプリのインストールをお願いできる?」
「承知しました。全種類を一括で進めましょうか?」
「いや、それは怖いから止めておく。ええと、恥じらいと言うか、男女の距離感が掴めそうなヤツってない?」
「交友に関する物があります。そちらで制御できる模様です」
じゃあそれで、と頼んだ矢先、インストールが開始された。ニーナの口元から、カタカタピピッと電子音が漏れ出てくる。
やはりレトロだと思う。旧式のパソコンを飛び越して、祖父が愛用したワードプロセッサを彷彿とする程に。
「お待たせしました。インストール作業、完了です」
「そっか。何か変わった所は?」
「実感としては特にありませんが、適宜、アプリの強制コードに従う形となります」
平たく言えば、何らかの出来事が起きる度に機能するという事だ。キッカケが無ければ、昨夜までの彼女と変わりがない。
なるほどねと思いつつ、タケルは台所へと向かった。空腹で腹が鳴る。朝食がお預けの状態だったのだ。
「そろそろ朝ごはんにするね」
「承知しました。何かお手伝いしましょうか?」
「いや、平気だよ。パンを焼いてサラダ作るだけだし」
朝にサラダを食べるのは、偶然にも安い野菜が買えたからだ。冷蔵庫から春キャベツ、レタスと取り出し、シンクの上に並べた。しかしキュウリまで手にした時、異変が起きてしまう。
「キャァァ! タケル様、なんてものを!?」
「えっ、何、どうしたの?」
「こんな長くて硬くて丁度良さそうな物を出すだなんて、卑猥です!」
「キュウリだよキュウリ! ただの野菜!」
「ともかく片付けましょう。あぁ怖い怖い」
半ば強引に冷蔵庫の中へリターン。タケルは結局、キュウリだけを抜きにしてサラダを作るしかなかった。味付けは醤油マヨ。美味いと言えば美味いが、釈然としないものが付きまとう。
やがて食事を平らげ、温かなコーヒーを楽しんでいると、インターフォンが鳴った。来客ではなくお届け物だった。
「送り主は母さんか。中身は何だろ」
小包を開くと、まず手紙があった。勉強で疲れてるだろうから使え、という事である。そして気になる品はマッサージ機だった。
「へぇ、割と良い。効くなぁ……」
硬めのシリコンは「つ」の形をしており、肩と背中を同時にマッサージ出来る。さらには揉み機能だけでなく振動機能も搭載。強さを3段階で設定する事も可能だ。その使用感の良さも彼の心を掴んだ。
「今のはお届け物ですか?」
「マッサージ機だよ、母さんから。ニーナも使ってみる? でも君には要らないか」
「キャァァ! タケル様、なんてものを!?」
「えっ、また!?」
「こんな絶妙に硬くて扱いやすい形状のものを見せつけるだなんて、卑猥です!」
「これもダメなの……?」
またもやニーナに強奪され、敢えなくクローゼットの中へと押し込まれてしまう。
ちなみに、それからも「卑猥判定」は頻繁に飛び出した。食材整理にラップフィルムを取り出せば回収、荷物をまとめるのに紐を持ち出しても回収。挙句の果てに「のどちんこ 痛み」でウェブ検索を試みようとしたところ、物の見事に拒絶されてしまった。
もちろん快適からは程遠い。アプリ導入前の方が、遥かに暮らしやすかったと断言できる。
「ニーナ、ちょっとしんどい。判定が厳しすぎるって」
「すみません。アプリの挙動が原因なのです」
「絶対おかしいよね。ちょっと中身を見せてもらえる?」
突き出された両手には、交友アプリ清純派というタイトルが表示された。見るべきは詳細だ。タケルの眼は「感度と反応」という項目に釘付けとなる。
「なにこれ。ディザスターってなってるけど」
「どのレベルで反応し、またどんな行動をとるのか。それが現在は最大となっております」
「原因はそれか! もうちょっと下げようよ、普通くらいに……」
しかし、項目に触れても変化はない。そもそもグレーアウトしているので、見た目からして変更不可である事が分かる。
「あれっ。何で変えられないの?」
「そういった変更は、無料版では出来ない仕様です」
「あぁ、有料のヤツを買えば良いんだっけ。ちなみにお値段は?」
「このアプリ単体で、6千8百円となります」
「ろ、ろく……!?」
タケルは戦慄した。無料版は使い勝手が悪く、それ以上を望むなら高い出費を強いられる。そして、他のアプリも揃えようとすれば、どれだけの額面になるか想像もつかない。
そこまで頭脳が計算したなら、結論までスムーズだ。
「これは、アンインストールしよっか」
タケルは今後も、地道に指導する事を決めた。差し当たって、男女の正しい距離感について、細やかに説明を重ねる事に。
「じゃあいいかい、ニーナ。いくよ?」
「はい。承知しました」
カーペットの上に座り、両者ともに向き合う中、タケルから距離を詰めた。そしてお互いの膝先が触れ合おうとした瞬間、ニーナは少し後ずさった。成功である。
続けてタケルは、ニーナの両肩を掴み、顔を近づけた。重なる視線、迫る瞳。しかしここでニーナは顔をそむけて、紺碧の髪を微かに揺らした。静かに押し出した手のひらも、やんわりと拒絶を示すかのようだ。
「あの、タケル様……そういうのはちょっと」
「ゴフッ……!」
「どうかなさいましたか? お加減が悪いのでしょうか?」
「いや、違う! 何でもないから、今の感じで行こうか!」
タケルは咄嗟に飛び退き、手持ち無沙汰から辺りを見回した。そしてクローゼットを開くなり、先程のマッサージ機を奪取。肩を無闇にほぐしていく。
ニーナが見せた恥じらいは、想像を遥かに超えて強烈だった。タケルは未知なる性癖をこじ開けられた様な想いになり、ただただ、マッサージをセルフで勤しむばかり。
彼が心安らかに暮らせる日々は、いまだ遠くにあるらしい。
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