第18話 交錯する想い

 安里家が誇る最大級の別荘に、警備の為のモニタールームがある。そこでは、随所に仕掛けられた監視カメラの映像が映し出され、広大な敷地のほぼ全域をカバーしている。


 リアルタイムで流れていく何百もの映像。もちろん客室や浴場などの例外はあるものの、ここに居さえすれば、大抵の出来事を把握する事が可能なのだ。



「参ったわね、思いの外うまくいかないわ……」



 苛立ち半分に呟くのは、安里伊奈である。牛革のお高いソファをもってしても、彼女の不機嫌を治すには至らない。むしろ鳴り響く音が耳障りに感じるだけだ。



「本番は明日だっていうのに、このままじゃ……」


「随分とご機嫌斜めですな、お嬢様。美しいお顔が台無しですぞ」



 使用人の一同が口をつぐむ中、平然と話しかけたのは初老の男。名を御手洗(みたらい)と言い、イナにとっては第二の父とも呼べる存在である。



「ミタライさん。分かってるでしょ、今回の計画が失敗しそうだって事」


「お嬢様の慧眼には、感服する想いでございます」


「年に1度きりのチャンスを活かせないだなんて、歯がゆくて仕方ないわ」



 明日4月19日はタケルの誕生日である。それを狙って、イナは計画を練りに練り、これまで注力してきた。


 詳細はこうだ。とにかく全力でもてなし、金の力で骨抜きにしてしまい、タケルのガードを緩めさせる。そして誕生日の当日に、圧倒的なプレゼントとともに愛を囁くのだ。


 私の全てはアナタのものよ、と。


 そうなればタケルが陥落する事は確実だ。その裏では、使用人に特設の祝賀ステージを台車で運ばせる。すかさず2人で手を取り合い、くす玉の紐を引く。すると素敵な事に、白ハトと紙吹雪によって祝福されるではないか。そして2人は熱い抱擁を交わし、永遠に永遠に愛をつむぎ続けるのだ。


 そう、彼女は立案時点で勝ち目が見えていた。しかし現実はというと、空振りも同然。勝算を見出す事すら困難であった。



「どうしてこうも上手くいかないのかしら。盛り上がるのは、河瀬君ばかりだもの」


「恐れながら申し上げます。飯場様は実直にして慎ましやか。いかに贅を凝らした歓待であっても、容易になびかぬ御仁とお見受けしました」


「お金の力ではダメという事?」


「財になびかない、すなわち、金品では鞍替えしないという事。さりげない気遣いをみせるあたり、情に重きを置く方やもしれません。生涯のパートナーとするに適した人物かと、愚考いたします」


「もちろんよ。私が見込んだ、最高の男性だもの」



 タケルが褒められたとあって、イナの鼻息が荒くなる。自然と頬もほのかに染まった。分かりやすい性質なのだ。


 そして、気を良くしたイナは気づかない。セワスキンが静かに席を外した事に。その些細な見落としが、トラブルの発生を許してしまうのだが、彼女は明日の事で頭が一杯だった。


 使用人たちも、監視カメラに映るセワスキンを見掛けるが、特に不審には思わない。仕事があるのだろうと見逃すばかりだ。



「でも、どうしたら良いのかしら。もう失敗する未来しか見えないわ」


「真心しかありますまい」


「それはどういう事?」


「アサト財団の後ろ盾に頼ること無く、ただ1人の女性として心を尽くす。それが唯一無二の解決策かと」


「それで上手くいくのかしら?」


「分かりません。しかし、己が力で得たものは、容易く奪われる事がないのです」


「自分の力……かぁ」



 イナはそれまでの渋面を止め、勢いよくソファから飛び降りた。すると、辺りに漂う緊張感も、途端に緩んでいく。



「お風呂でも入って、じっくり考えてくるわ。皆もご苦労さま」



 イナは、労いの言葉を残して立ち去った。臨時態勢が解かれた形となり、使用人たちもゾロゾロとモニタールームを後にした。


 そんな節目の事だ、タケルが客室から抜け出し、岬の方へと向かったのは。警備を任される本職のスタッフですら見落としてしまう、まさに絶妙のタイミングだったのだ。


 これは運命のイタズラか。セワスキンの暴走が発覚するのに時間を要してしまい、事態は刻一刻と緊迫していく。



「さぁ早く構えろ。長々とは待ってやらんぞ」



 セワスキンは武器を中段、正眼の姿勢で構えた。月明かりが刃に届き、冷たく反射する……という事態にはなっていない。その先端は人を傷つけるどころか、むしろ不慮の事故を防ぐため、柔らかな丸みを帯びていた。


 不審に感じたタケルは、改めて足元の棒に眼をやった。そちらもやはり刃物ではなかった。



「これは、自撮り棒?」


「いつまで待たせる気だ。やる気が無いのなら、ひと思いに叩きのめしてやる!」


「待って、こんなもので決闘だなんて。あなたはもしかして……」


「問答無用!」



 間合いを詰めたセワスキンは、勢いよく振りかぶった。それは迷いなく、タケルの脳天めがけて一直線。遮るものの無い一閃。そのまま打ち据えると思われた矢先、甲高い音と共に、その一撃は弾かれた。



「クッ。ここで邪魔が入るとは!」



 身を挺するようにしてタケルを庇ったのは、ニーナである。足元に転がる自撮り棒を素早く拾い上げ、セワスキンの攻撃に対抗したのだ。



「ありがとうニーナ、助かったよ」


「案ずるのは早いです。どうかこのままお逃げください」


「どうしてそこまで……」


「マジリアル1010号。平均的な能力を持ち合わせつつも、戦闘技能に特化したハイクラスナンバー。私の力では、時間稼ぎをするのがやっとです」


「マジリアルってことは、この人もスマホ……?」



 疑惑の眼を向けられたセワスキンだが、特に怯んだ素振りは見せない。ニーナやシトラスの存在から、看破されるのも時間の問題であったからだ。



「マジリアル200シリーズ。万能で忠義に厚く、献身的。こんな事態を想定して、予め部屋を分けたのだがな。いっそ縛り付けておくべきだったか」


「この体に、1アンペアでも力が残されている間は、タケル様に指一本触れさせません」


「やってみるか、クズ鉄!」


「護身術アプリ、高速インストールを開始します」



 両者はまもなく激突した。馳せ違い、棒を打ち付け合う。傍から見れば互角の様にも見えた戦闘だが、時が経つにつれて旗色が明らかとなる。やはり修練を積み上げた武闘派を相手に、付け焼き刃での対抗など無謀でしかない。



「どうした。大言壮語の割には、随分と歯ごたえが無いな」


「タケル様、早くお逃げください。やはりこの男には敵いそうもありません」


「嫌だよ。君だけを置いて逃げるだなんて……」


「しかしそれでは……ッ!?」



 セワスキンが音もなく迫る。変幻自在の太刀筋がニーナを翻弄し、やがて彼女の手から自撮り棒を叩き落とした。そしてすかさず、頭蓋に痛烈な一撃を浴びせた。


 髪をなびかせて倒れ込むニーナ。しかし休む間も与えられず、その体は首元を掴まれる事で宙に浮いた。



「所詮は飯炊きロボットか、くだらん。このまま海に突き落として、メンテ送りにしてやろうか。そして出荷前状態にまで戻るが良い!」



 タケルがその言葉を耳にした瞬間、胸の中が何かで溢れ、そして弾けた。すかさず野太い雄叫びをあげると、脇目も振らずに突進した。



「やめろぉーーッ!」



 体当たりはセワスキンの脇腹に命中。ニーナはセワスキンの手から逃れ、地面に倒れ伏した。


 それでもタケルは攻勢を緩めない。両手を力の限りに振り回す。意表を突いた今だけが、唯一無二の勝機なのだ。


 だが、そんな浅知恵は、達人の前では無力でしかない。

 


「素人め。子供のケンカとは訳が違うぞ」



 タケルは、攻撃を外した瞬間、足をかけられた。転がって倒れた背中には、嘲笑う声が浴びせられる。



「覚悟しろ、飯場タケル。打ち据えられる度に、お嬢への懺悔の言葉を叫ぶんだな」



 棒が振り上げられた瞬間、タケルは最後の好機を見た。懐をまさぐり、手早く開封。そしてセワスキン目掛けて振り抜いた。



「これは……緑茶!? なぜそんなものが!」



 とっさに口元を庇ったセワスキンに、追撃の拳が迫る。それは見事に頬を打ち抜き、達人に確かな一撃を食らわせたのだ。



「これで分かったか! 彼女に、ニーナに手を出したら許さないぞ!」


「この、凡愚が。手加減してやれば調子に乗りおって! こうなれば、この身の破滅を招いてでも……」



 セワスキンが憎悪に顔を歪めると、辺りに鋭い声が響いた。闇夜を切り裂く程に力強いものが。



「セワスキン! これは一体どういう事なの、説明しなさい!」


「お、お嬢……」



 現れたのはイナだった。バスローブに素足と、慌てっぷりを隠そうともしない。息も絶え絶えといった様子だが、眼光は果てしなく鋭い。



「大切なお客様になんて事を! 自分が何を仕出かしたか分かってるの!?」


「オレは……私は、コイツが憎くて仕方なかった。お嬢の心づくしに悪態をつき、見下す姿が許せなかった。それだけですよ」


「待ちなさい、話は終わってないから!」



 上着を肩に引っ掛けて立ち去るセワスキン。その後ろを問い詰めながら追いかけるイナ。騒がしさは徐々に遠のき、やがて波の音だけが聞こえるようになる。


 その瞬間、タケルはその場に尻もちを着いた。



「はぁぁ、驚いた。何なんだよアイツ」


「タケル様、お怪我はありませんか?」


「僕は平気だよ。それよりも君は大丈夫なの? 頭を殴られたよね?」


「はい、しかし損害はありません。所詮は質量の乏しい、プラスチックですし」


「それでもやっぱり許せないよ。女の子に暴力を振るうとか、何考えてんだか」



 口を尖らせるタケルの横で、ニーナが柔らかく微笑んだ。



「どうしたの。笑い事じゃないよ」


「ふふっ。ニーナに手を出したら許さない、ですか」


「そんな事を口走ったっけ? 必死だったから覚えが……」


「ニーナに手を出したら許さない」


「分かったから。あんまり連呼しないでよ、恥ずかしい」


「ピーーガガッ。ニーナに手を出したら許さない。ガタガタ、プスン。ニーナに手を出したら……」


「ちょっとぉ! エラー吐いてるよエラー! 早く正気に戻って!」



 しかしタケルの叫びも虚しく、ニーナは恍惚とした笑みのまま、同じセリフを繰り返した。こうなると長い事を経験則から知っている。


 このまま放置する訳にもいかず、別荘まで背負って帰る事に決めた。しかし前途多難だ。何せ彼の背中にムニンとした柔らかな双房が押し付けられるのだから。間もなく理性は窮地に立たされてしまい、潮風に攫われて霧散しそうになる。


 それから客室まで、無事に帰還できた事は喜ばしい。暴漢から、そして悩ましき欲情の誘惑からも、彼らの平穏は守られたのだ。

 

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