第17話 豪奢な夜と還りたいキモチ
空が夕焼けに染まる頃。タケル達一行は目的地へと辿り着いた。そこは知る人ぞ知る、穴場のリゾート地。道や商店のインフラが整備されていながらも、混雑はどこにも見られず、別荘間の距離も存分に保たれている。都市の喧騒とは無縁の世界だった。
「すげぇな。これが別荘って……うちの実家よりもデケェぞ」
防風林で仕切られた敷地を歩くうち、タケル達に気後れが這い寄ってきた。広々とした庭は、館へと続く長い道を境にして、左右で異なるテーマを表現していた。バラ園などの洋風ゾーンと、枯山水(かれさんすい)の見事な和風ゾーンといった具合だ。
(これのどこが極普通の家庭なんだか……)
タケルは内心で呟きつつ、先頭を進むイナの背中を見た。彼女はもちろん堂々とした足取りで、公園を散策する気軽さすら漂っていた。
「遠路はるばる、ありがとうね。ここがゴールです!」
足を止めたイナが飛び跳ねて振り返り、満開の笑みを浮かべる。すると物陰から何十人もの人が、声援ととも現れた。モノトーンの制服で身を包んだ集団である。彼らは続けて桜の花びらを舞い上げ、宙を桃色に染め上げた。
さながら、映画のワンシーンのように美しい光景である。実際、カツトシは興奮して褒めちぎった。しかし肝心のタケルはというと、派手な演出っぷりの方に気を取られるばかりで、意図しない響き方に終始した。
「凄い人数……これ全員が使用人なの?」
「そうだよタケル君。今日は非番で休みの人もいるから、勢揃いって訳じゃないけど」
その言葉で使用人の男女が、恭しく頭を下げた。一糸乱れぬ動きに、只者ではない迫力が感じられる。
タケルが恐縮して見守る中、イナのもとへ1人の青年が歩み寄った。まだ若年の、二十歳を過ぎたくらい。その年頃にはそぐわない、落ち着きを払った声で、一行の到着を歓迎したのだ。
「お嬢、準備の件は滞り無く」
青年が優雅な仕草で頭を下げると、長い金髪が静かに垂れた。同時に単眼鏡(モノクル)の飾り紐も揺れる。身を包む燕尾服は、他の男性陣よりもジャケットの丈が長く、チーフのような立場にある事を思わせた。
「この人はね、執事のセワスキンさん。若いけど凄く優秀な人で、すぐに出世したんだよね」
「お褒めに与り、恐悦至極」
言葉の上で感謝したセワスキンの眼は笑っていない。むしろ研ぎ澄まされた視線を、客人の方へと向けるばかりだ。タケルは寒気にも似たものに震えた。まるで全てを見透かすようで、本能的な脅威を感じ取ったのだ。
「御学友の皆様。これより部屋に案内させるので、どうぞこちらへ」
しかし、吐き出される言葉は歓迎を示すものだ。タケルの抱いた違和感も、中へ立ち入るなり騒がしくなるカツトシによって、ウヤムヤとなる。シャンデリアすげぇとか、絨毯がフッカフカだとか。割とどうでも良い賛辞によって。
「それでは飯場様、ごゆるりと……」
与えられた部屋は個室だ。あまりにも豪奢(ごうしゃ)すぎる光景に、使用人のメイドが立ち去った後も、タケルは部屋の入口から動けずにいた。
「ここに泊まれと……。こんなの美術館でしか見たこと無いよ」
内装はロココ調で統一。天蓋付きのベッドはキングサイズで、シーツには汚れどころかシワひとつ無い。壁に飾られる巨大な絵画、見るからに高価そうな壺など、手で触れるどころか近寄る事すら恐ろしい。ソファやチェストも意匠が繊細。ただならぬ気品をまとっており、無闇に活用する気になれなかった。
まるで借りてきた猫。心細さの極地に迷い込んだ彼のもとへ、救いの手が差し伸べられた。
「タケル様、お部屋の方はいかがですか?」
「ニーナ、ありがとう来てくれて。もう居たたまれない気持ちなんだよ」
「ひとまず入室を許可いただけますか?」
「もちろんだよ。今はほんと、傍に居て欲しいから」
中へ招かれたニーナは、室内の隅々に眼を向けた。
「調度品の全てが私の部屋と異なります。どうやらここは、VIP待遇と呼ぶべき場のようです」
「VIPって何だよ……。やっぱり、色んな物がお高いヤツなんだね?」
「はい、画像検索と一致しました。参考金額はソファが8百ま……」
「やめて! 具体的な値段を知っちゃうと、尚更落ち着けない!」
「失礼しました。気分を変えるため、お茶でもいかがでしょうか?」
「そうだね……。コーヒーって気分だけど、紅茶でも良いや」
テーブルにはティーセットがある。白磁器で金フチの逸品だ。その美しすぎる白さは、夕日の光を浴びて、自ずと発光するかにも見えた。
「お茶が入りました。どうぞ」
「ありがと……」
震える手でカップを掴み、一口すする。味の善し悪しは分からないものの、渋みと温かさが、堅く閉ざした心を和らげるようである。
「ちなみにこちら、1杯当たり4百円ほどの模様です」
「ゴホッゴホ! 1食いける金額!?」
「これだけの品を惜しみなく出すという事は、かなりの財力があると推定できます」
「言わないでよ。より現実味が湧いちゃうじゃん」
タケルはコートの内ポケットまさぐった。そこにはコンビニで買い求めた緑茶がある。金額にして150円と税。一口飲むだけで庶民的な味わいが広がり、心を蕩(とろ)かす程の落ち着きを与えてくれた。
この現実離れした歓待。驚愕に次ぐ驚愕。針のムシロ同然の時間は、夕食に誘われるまで続く。
やがて、食事の用意が出来たと呼び出しがあった。タケルはとりあえず胸を撫で下ろす。しかし、居心地の悪さから解放されるのは、まだまだ先の話である。
「なんでこんなに沢山、食器があるんだ……」
長テーブルに敷いたシルクのクロース、その上には整然と銀食器が並ぶ。ナイフやフォークが、なぜ何本も置かれているのか、箸のひとつで事足りるのではないか。タケルには見当すらつかない。
彼だけ特別待遇かと言えば、そうでもなく、居合わせた全員が平等であった。
「今日はね、お客さんが来るからって、料理長が頑張ったそうなの。期待しててね」
イナの言葉はもはや死刑宣告に近い。タケルはいよいよ萎縮してしまい、とてもじゃないが、食事どころではなくなる。
そんな時に正面で、舌なめずりするカツトシの姿が見えた。楽しみで仕方ないといった様子だ。そのお気楽さには、タケルも嫉妬心を禁じえない。
「あぁ、このローストビーフ、本当に美味しい! 低温調理で旨味をギュギュッと閉じ込めてるし、山椒とパプリカも良いアクセントになってる。どう、タケル君。お口に合うかな?」
「ウン、スゴク美味シイ……」
「スゲェよなタケちゃん。こんな料理、姉貴の結婚式以来だけどさ、ホテルの飯よりずっとうめぇよ!」
「ソウダネ、最高ダネ……」
タケルの口内は大混乱だ。美味いのは分かる。しかし何を食わされているのか、舌先は理解できず、ただただ疲れるばかり。魚もスープも、前菜やデザートであっても同様で、一分の隙すら無い。料理名もカタカナだらけの上に、やたら「気まぐれ」を起こす点も受け入れ難いものがある。
(はぁ、牛丼とか食べたいな……)
不意に馴染みの味が恋しくなった。自然と口から溢れるのは、感嘆の息ではなく、慣れ親しんだメニュー名ばかりであった。無意識的に、庶民の味にすがってしまうのだ。
「ご飯おいしかったね、料理長ってば、本当に張り切ったみたい」
「ごちそうさま。ツユダク、ツユダク」
「この後はお風呂。波の音を聞きながら、露天風呂を楽しめるんだよ」
「うんそっか。オシンコ、ミソシル」
「それでね、お風呂なんだけど、実は混浴なんだ。だから良かったら……」
赤面しながらの提案は、妙に食いつきが良く、前のめりで歓声があがった。ただしそれはタケルではなく、カツトシの方である。
「マジで! 安里さんとお風呂入れるとか、ここは天国かよ!?」
「あ、いや、私はタケル君と……」
「オッケーオッケー、じゃあオレとタケちゃんと安里さんの3人で入ろうぜ!」
「何言ってんだ、ダメだよ河瀬君。混浴だからって、男女が一緒に入る理由にはならないでしょ。少しは冷静に考えなよ。アタマ大盛り」
「ウソだろオイ! この千載一遇のチャンスを見逃すのか!?」
「はいはい。そういう夢は、未来の恋人にでも託しなよ。半熟タマゴ」
その後に案内された風呂も、やはり落ち着けない。どこの旅館よりも整備された脱衣所、広々とした岩の湯船。更にはサウナまで完備。湯に浸かりながら空を見上げれば、綺羅星と満月が視界に広がった。
(個人宅の風呂なんだよな、これでも……)
心を慰めるのは、寄せては返す波の音ばかり。いっそ母なる海に還ろうかと、新たな思想が芽生えそうである。
それから部屋に戻ると、一通の手紙が、テーブルの上に置かれているのに気付く。差出人は不明。飾りの無い用紙に、次の言葉が書かれていた。
――岬で待つ。1人で来るように。
温度感の読めない文面である。しかし簡単な地図も添えられており、不親切という訳ではない。別荘から程近い事もあり、とりあえずタケルは呼び出しに応じる事に決めた。
使用人に外出を相談し、快諾を得られると、別荘の裏手までやって来た。切り立った崖の傍、1人の男が待ち受けるのが見える。金色の長髪。執事のセワスキンである。
「あの、僕に何か用ですか?」
セワスキンは答えない。脱いだ上着を、足元に置いただけだ。タケルは意図が読みきれず、思わず後ずさりしたい気分になる。春とはいえど夜は冷え込む。特に潮風が強い。コートを着込んだタケルでさえ、肌寒く思う程である。
「飯場タケル。お嬢に仇なす愚か者め。その性根を叩き直してくれる」
そう冷たく言い放つと、2本の長い棒を手に取った。その片方を、タケルの足元へ向かって放り投げた。
「さぁ構えろ。丸腰を相手に闘うなど、オレのポリシーに反する」
あまりにも唐突過ぎる展開に、タケルの脳はエラーを吐き出した。何かと困惑させられる1日の中で、とりわけ大混乱の出来事である。
やはり母なる海に還りたい。強烈な敵意を向けられ、その一方で波の音を聞きつつ、タケルは不意に願うのだった。
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