第16話 週末は別荘で
桜の花が咲き誇り、吹く風に舞い散る。キャンパスが白桃色に彩られる様を、タケルは独り眺めていた。この景色に見惚れるのも3年目の事である。
自然と思い返されるかつての記憶。眼前ではあの頃の自分と同じ様に、新入生が右往左往していた。食堂の位置も、校舎名すらも分からずに彷徨うのは、いわば通過儀礼である。
「最初は大変だよね、でもすぐに慣れるから」
タケルは新顔をそっと見守りつつ、包み袋を開けた。弁当は二段式で、下段に白米、上段には炒め物や揚げ物が敷き詰められている。ニーナの家事能力は目覚ましい向上が見られた。さすがにそこは、常時ウェブ接続するスマートフォンといったところか。
ありがとう、いただきます。内心で呟きながら箸に手を伸ばしたその時、不意に声をかけられた。
「あっ、タケル君だ。これからお昼?」
「そうだよ。安里さんもお弁当なの?」
「奇遇だね。今日はほんと偶然。タケル君に合わせてお弁当に切り替えるだなんて、付きまといでもあるまいし」
「何言ってるか分かんないけど、とりあえず座る?」
「うんそうだね、失礼しまぁす」
安里伊奈(あさといな)は自己弁護もそこそこに、タケルの隣で腰を降ろした。ベンチは3人がけだ。しかしタケルは右端、イナは真ん中に座るというお茶目を挟みつつも、違和感は桜の木々が和らげてくれた。
「キレイだよねぇ、桜って。毎年この季節になるとワクワクするの」
「僕も好きだよ、桜の花。満開の今も、散り際も両方ね」
「いつまでも、こうして咲いててくれたら良いのに。ほんと儚(はかな)いよね」
「まぁ、来年もまた咲くから」
「と言うか……そうだった! 私、タケル君に用事があったんだ。スマホに何度も電話したのに、出てくれないんだもん」
「あっ、スマホは、その……。家に置いてきちゃって」
ちなみに留守番を任されるニーナは、着信の度に人知れずプルプルした。それは1度や2度ではなく、何度も繰り返しに。
「それで、用事って何?」
「あのね、今度の週末、うちの別荘へ遊びに行かない? 海が近くって、見晴らしの良い場所なんだよ」
「別荘……安里さんってお金持ちなの?」
「いやいや、全然そんな事無いよ! 使用人なんて、せいぜい100人くらいだし。別荘も7軒くらいしかないし。ほんと、極普通の家庭だから!」
「う、うん。そうなんだ」
十分金持ちだよと思いはしても、口には出さなかった。仮に告げたとしても空気が悪くなるばかり。それが事前に分かる程度には、彼も慎重さを備えていた。
「まぁ、お邪魔でないなら、遊びに行ってみようかな」
「本当に!? 嬉しいなぁ、家の人にはゴチソウをお願いしておくね!」
イナは両手を合わせて、さながら拝む様にして微笑んだ。まさに天にも昇るような心地で、笑顔というよりは恍惚の顔に近い。
「ちなみにだけど、ニーナも連れて行っていいかな?」
「えっ、うん。大丈夫。お友達を連れて来ても、部屋数はあるし。多い方が楽しいから……」
「じゃあ河瀨君にも声をかけてみるよ。きっと食いつくと思う」
「わぁい。すっごく賑やかで、たのしみぃ……」
上げて落とす。天まで続くハシゴはスルッと外され、イナの乙女心は外界へと真っ逆さま。こうして彼女の計画は、出発前から暗礁に乗り上げてしまうのだった。ちなみにタケルは満開の桜に眼をやるばかり。遂には、隣でトグロを巻く失望に気付かなかった。
その日の夕刻。タケルは、ニーナの待つアパートへと帰宅した。
「ただいま。何か変わったことは?」
「タケル様が不在の間、不在着信が11件。未読メッセージも2件程あります」
「そんなに? 珍しいなぁ」
通知を確かめてみれば、それら全てがイナからの物だと分かる。着信は午前の時間帯に集中し、メッセージはほんの数分前に届いたばかりだった。ひとまず、そちらの方から眼を通す事にした。
――タケル君、ちょっと相談です。家の人に確認したら、大勢が泊まるには部屋が足りないって。だから私と2人で行くのはどうかな?
タケルは思案顔を浮かべ、すかさず結論を出した。ニーナと離れて外泊するのは、相当に厳しい。控えめに言って無謀だ。そう思い至れば、選択肢など存在しないのだ。
――それは残念だね。じゃあ別の機会に持ち越そう。
タケルの回答はスムーズ。しかし、イナも負けず劣らず、素早く対応した。
――何度もごめんね。たった今増築したって言ってるから、全員泊まれるよ!
――そんなに早く増築したの? 何その超技術。
――あとね、相談はもう1つあって。お家の人に送迎の車を出してもらうんだけど、2台に分かれても良いかな? 私とタケル君で1台、残りはもう1台に乗るとか。
――もう河瀨君がレンタカーを借りちゃったよ。それに、遠くからわざわざ車を出して貰うの? そこまでされると気が重たくなるなぁ。
――あっ、今確認したらね。お家の車が全部爆発したんだって! だからそのレンタカーで行こうよ。
――爆発って大丈夫なの!?
――平気平気、これはその、安全な方のヤツだから!
安全な方とは。タケルは再三に渡って首を捻るのだが、深く考えない事に決めた。たとえイナからのメッセージが、不審を通り越して怪文書じみていたとしても、一応は信頼の置ける相手である。少なくとも現時点においては。
やがて迎えた金曜日。講義が終わり、タケルがキャンパスを出ようとした所で、小刻みなクラクションが鳴った。
「タケちゃん、こっちこっち!」
駐車場で、運転席から身を乗り出したカツトシが、大きな声をあげた。
すかさずタケルが乗り込む。それから留守番のニーナも拾い上げたなら、車内はフルメンバーとなる。
「さぁ全速前進! スッ飛ばして行こうぜ!」
カツトシの鼻息は荒い。見開いた瞳もランランと輝くかのようだ。
「安全運転で頼むよ。事故に遭ったら、別荘どころじゃないし」
タケルが助手席からたしなめる。
その背後に眼をやれば、後部座席にイナ、シトラス、ニーナと並ぶのが見える。三者三様の美女達だ。一見すると眼福の光景であるのだが、それだけに、イナの曇り顔が際立ってしまう。
(せっかくの計画が……。どうしてこうなっちゃうの?)
そんなイナの肩を優しく叩くのは、隣のシトラスだ。
「あの……何か?」
「アナタ、とても良い表情してるわね。才能あるわよ」
「はぁ、それは、どうも……」
午後3時過ぎ。日暮れを迎えるにはまだ早い時間帯に、1台の軽自動車が海辺を目指して疾駆する。
果たして、別荘では何が待ち受けているのか。タケルには知る由もなく、ただ移りゆく景色を愉しんでいた。
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