第15話 浅はか過ぎた夢

 出費とは不思議とかさむものである。電化製品が同時に壊れたり、服が立て続けに破れる等したり。飲み会にやたら引っ張りだこ、というパターンもある。


 堅実なタケルも今月は、妙に浪費を強いられる側に立っていた。



「仕送りまであと5日、バイト代はもっと先かぁ」



 見つめる通帳の数字が寂しい。一応、それなりの貯金があるので、窮地という程ではない。しかし蓄えに手を付けるのは最終手段。何とかして予算内に収めたい所である。



「どうしたんですか、タケル様?」


「今月は色々あってね。あと2千円しか残ってから切り詰めないと」


「せっかく時給も上げていただいたのに、残念ですね」


「上がったけど10円だし。誤差レベルだよ」


「もしよろしければ、私も働きに出ましょうか? 幸い、店長さんからオファーが来ているようですし」


「いや、それはいいよ。止めておこう」



 バイト先の店長はしつこかった。超有能な売り子を、何としても雇いたいと必死なのだ。その為、プレゼント作戦で釣ろうと躍起になる。タケルを代理窓口として扱いながら。


 しかし手紙や雇用契約書は良いとしても、コンサートやリゾート地のペアチケットを寄越したのは不可解だ。顔見知り程度の間柄なのに、店長の名前入りチョーカーだとか、果ては下着などを送りつける始末。


 それら全てを突っ返した経緯があり、自然と不信感までも募らせていた。



「ともかくね、当面は節約するから。ニーナも協力してね」


「承知しました。では早速」



 その言葉とともに、ニーナはエアコンを切った。そしてタケルの背後から静かに、しかし強く抱きしめた。



「ちょっとぉ、何してんのニーナさんん!?」


「節約するという話でしたので」


「で、電気代は月末払いだから、使ってても良いんだよ!」


「しかしどうでしょうか。暖をとるには十分だと思うのですが」



 稼働中のニーナには程々の温もりがある。いわゆる人肌に近い温度を発しているのだ。


 しかしタケルはそれどころではない。背中に押し付けられる柔らかで巨大な塊が、理性を奪い去るのだ。スマホなのに堅くないよねぇ、などという指摘(ツッコミ)も、この愉悦を前にしては無力である。


 そんな最中、インターフォンが鳴り響いた。それは天の助けか、あるいは見えざる者の妨害なのか。真相はさておき、タケルは目眩を覚えながらも玄関へと向かった。



「はい、どちら様……」


「おっすタケちゃん、人生は上々だな!」


「河瀬君、いきなり何言ってんの?」



 来客はカツトシであった。その背後には、不敵に笑うシトラスの姿もある。



「長々と待たせちまったな。借りてた2万円返すよ」


「えっ、本当に?」


「それからコレはお礼だ。存分に楽しんでくれ」



 手渡されたビニール袋は、豪勢な品々で満載だ。輸入菓子にブランド物のコーヒー、有名店が手掛けるレトルト料理と、各々がお高い物であった。とりあえず、学生の身分で手が出る価格帯ではない。



「一体どうしたのさ。パチンコ? それとも競馬?」


「フフン、そんなんじゃねぇって。つうか暇なら上がっていい?」


「うん、それは構わないよ」



 カツトシは鼻息を撒き散らしながら、堂々とあがりこんだ。家主の怪訝な顔など意に介さず。テーブル前でドカリと腰を降ろして、機嫌の良さを隠そうともしなかった。



「さてと、話が聞きたくて仕方ねぇって顔してんな?」


「当然だよ。いっつも金欠の君が、ここまで大盤振る舞いするなんて」


「ハッ。金に悩まされる人生はもうお終いだ。何せ錬金術を知っちまったからな!」


「れんきんじゅつ……」


「どうよ。タケちゃんにも教えてやろうか?」



 カツトシの笑顔が獰猛に歪む。それが不快なものとして映るのは、胡散臭さが原因であった。



「タケちゃんは、クラファンって聞いたことないか?」


「何だっけ。クラウド、ファンディング?」


「そうそう。オレはな、そいつで一攫千金、大金持ちになるんだぜ!」


「大丈夫なの、それ。そんな簡単に上手くいく?」


「おいおいタケちゃん。お前はクラファンの何を知ってんだよ?」


「いや、別に詳しくなんか無いけど。お金っていうのはさ、もっとこう、汗水たらして稼ぐものじゃないの?」


「あっはっは、古い古い。今は賢くガッポリ稼ぐ時代なんだぜ? そんなジジ臭ぇ話、昭和かよ」



 カツトシの高笑いが、タケルには不吉なものに感じられて仕方がない。その脇で、今も不敵に微笑むシトラスの姿が見えしまえば尚の事だ。



「まぁ、河瀨君が言いたいことは分かったよ。だから散財してるし、お金も返してくれたと」


「2万3万なんて、はした金だ。オレはこれから、2億3億の男になるんだぜ」


「悪いことは言わないからさ、もっと堅実に生きなよ。絶対ロクな目に遭わない……」


「フフン、もう投稿は済ませたんだよねぇ、お金入ってるかなぁ?」


「どこまで向こう見ずなんだよ、君は……」



 タケルの老婆心など華麗に一蹴。すでに出資を募った後であり、もう引き返す事は容易でなかった。


 自慢8割で見せつけられるウェブページ。シトラスの両手に表示された画面は、思わず眼を疑ってしまう内容であった。目標金額3千万。思わず目がくらむ数字である。更に、その説明文もやはりというか、実に醜悪なものであった。



「ええと、なになに? 僕は二十歳の苦学生です。親は仕送りを増やしてくれないし、バイトの時給も上がらない。こんなんじゃ、人生で2度と無い青春を楽しめません。そんな訳でご協力をお願いします……。あのさ、これ本当に投稿したヤツ?」


「当たり前よ。そろそろ丸一日経つからな。目標の半分くらいは入ってるはず……」


「参加者0人って書いてあるけど」


「ウソだろ!? もしかして、サーバー障害でも起きてんのか?」



 カツトシの懸念はもちろん的外れ。接続状況は快適そのもので、各種リンクもスムーズだ。そして、この乞食同然の募集が炎上してしまうのも、当然の成り行きだと言える。



「コメント欄が凄いことになってるね。控えめに言っても大荒れだよ」


「チクショウが。金は出さねぇクセに口だけ出そうってのか!」



 カツトシはシトラスの掌を、指先で機敏になぞりだした。すると、尋常でない速度で返信が書き込まれていく。その文面はというと、寄せられたコメント以上に汚らしく、もはや罵倒でしかなかった。


 貧乏人は黙ってろカス。ゴチャゴチャ言わずに金寄越せ。死に損ないのジジイが金抱えてどうすんだ、あの世に札束なんて持ち込めねぇぞ。良いから金出せよ死なすぞ。


 タケルは唖然を通り越し、感心すらした。よくもまぁ公的な場所で、こうも悪し様に書けるもんだなと。打ち込むペースも神速と呼べるほどで、カツトシの『有能さ』が垣間見える、貴重なシーンでもあった。



「全くよぉ。ネットの暇人どもめ、足を引っ張りやがって。タケちゃん、ちょっとトイレ貸してくれ!」



 カツトシが苛立ち半分に席を立つと、タケルは静かなる相棒に語りかけた。



「ねぇシトラスさん。河瀨君を止めないの?」


「止めない。これで良い」


「でもこのままじゃ大変な事になるよ。君には分かってるんでしょ?」


「当然。火を見るより明らか」



 ここでシトラスの眼がグニャリと歪んだ。それは新月間近の月のように細く、タケルに強烈な寒気をもたらした。



「ニィニはあれで良いの。ピンチに陥れば、一層私に依存するようになる。私が居なきゃ生きられなくなる。他の女なんて、所詮は豚饅頭だって気付いてくれるハズだから」


「うん、僕はもう何も言わないよ」



 それから何時間経とうとも、出資者が現れなかったのは予想通り。


 そして幾日か過ぎ去り、タケルの仕送り日が目前になった頃、カツトシは再訪した。先日よりも酷く騒がしい様子で。



「タケちゃあん! 助けてくれよぉ!」


「どうしたのさ。まぁ察しはつくけど」


「例のクラファンだけど、コメントとか色々規約に引っかかったらしくって、アカウント消されちまった! 3千万どころか1円も入って来ねぇ!」


「なるべくしてなったね。これに懲りたら下手な欲をかかない事。地道に倹約して、バイト頑張るとかして……」


「えへへ。それは追々考えるとして、金貸してくんない?」


「何だよそれ。返したばっかなのに、また2万貸せとか言うつもり?」


「あぁいや、今回はパァーーっと使っちまって。家賃とか光熱費の分までキレイさっぱり。だから10万くらいチョロっと貸してくんないかなぁ、なんて」



 その時、辺りに風が吹き付けた。まだまだ冷たいながらも、どこか甘い香りを乗せたものだ。春の便りは目前まで迫っている。



「君はそろそろ地獄を見るべきだよ、本格的なやつを」



 そう言いつつ浮かべた笑みは、午後の日差しよりも眩いものだった。

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