第13話 快晴の空の下

 随分と陽がのびたものだと、ニーナは部屋の中から外の景色を眺めた。今現在、家主は不在。そのため彼女は独りきりである。



「日没まであと13分……。12分……」



 窓の向こうで暮れゆく町並み。ブロック塀の影は長く、駆け回る子供たちの声もまばらだ。



「数種類の野菜を煮込む臭いを感知。カレーの下準備であると断定します」



 報告の義務もないのに、口からは自然と言葉が溢れていく。拾う者など皆無だ。そのせいか、ワンルームの部屋が広く感じられ、酷く閑散としていた。窓の向こうから漏れ伝わる街の喧騒が、一転して室内の静けさを深めていく。



「電池残量、32%弱。充電を開始します」



 ヘソにケーブルを挿し込み、それからテーブル傍に座ると、微かに眼を細めた。冷凍食品のたこ焼きが一人前用意してあり、今もほのかに湯気がたゆたっている。ニーナの為にと残されたものを、今しがた温めたのだ。



「ありがたく頂戴します、タケル様」



 さっそく一口。頬張り、噛みしめる。しかしどこか味気ないのは、やはり孤独であるのが大きい。


 本日タケルは、テスト終了を祝って飲み会へと出向いている。本来ならニーナも付いていく所だが、懐の冷え込みを理由に辞退した。それを察したタケルも断ろうとした所を、ご遠慮なくと送り出した経緯がある。そのため、こうして留守番を任される事になったのだ。


 ちなみに宴席にはカツトシも同席している。借りた金を先に返せ、という真っ当なツッコミは、絡みつくような笑顔で封殺された。



「楽しんで来るだけなら良いのですが……」



 爪楊枝で持ち上げたたこ焼きを見つめながら、そっと呟いた。脳裏に過ぎるのは、酒席でのトラブルや事故である。



「飲みすぎて倒れてはいないでしょうか。帰り道で、転んだりはしないでしょうか」



 まるで子供に向けるような心配事が、浮かんでは消え、消えた傍から形を変えて過ぎる。そうなれば、待つだけの時間は拷問のように長い。ましてや秒単位で時を刻むニーナにとって、数分が数年の様にも感じられてしまう。



「8時半。そろそろ戻られる予定ですが……」



 頭は心配事で大混雑だ。なまじっか高性能なCPUであるのが災いし、全ての不安をストックし、さらには解決法をパターン化して保有していた。だが、物事には許容量が存在する。彼女とで例外でなく、いつしか口から白煙の筋を浮かべてしまうのだ。



「タケル様、もしや何らかの事故に? いやそれとも、出会った女性と……?」



 ニーナは、白煙の向こう側に1つの想像を浮かべた。それは飲み会でタケルが、意気投合した女性と一夜を過ごし、結ばれる光景であった。ある意味で最悪の未来を想定した訳だ。妄想の中のタケルは饒舌で、顔の無い女を腕に抱きながら、ニーナに冷たく言い放つのだ。



――今までお疲れさん。今後はこの子と暮らすから、君は会社に帰りなよ。


――無理無理。ここにニーナの居場所なんて無いよ。つうか邪魔だよ、2人で精一杯だもん。


――この子は凄いんだ。美人だし金持ちだし、親は有名タレントなんだよ。しかも今度、テレビの収録に連れてってくれるんってさ。ニーナにはそんな真似出来ないだろ? ほんと利用価値無いよね。



 酷く悪しざまな、妙にタケルが意地悪くなってしまったが、ニーナは克明にイメージしてしまった。それだけ彼女は疲弊しており、冷静な計算が不可能となった証拠である。



「申し訳ありません、タケル様。テレビの収録は無理でも、録画機能による動画収録ならど得意でして……」



 仮定でしかない罵倒に頭を下げていると、不意に辺りが騒がしくなった。この時になって静けさは不安ではなく、不穏な緊張感へと変貌してしまう。


 閑静な住宅街に、車が急ブレーキを踏む音を響かせたからだ。



「もしかして……タケル様!?」



 胸騒ぎからニーナが駆け出した。家を飛び出し、階段を飛び降り、音の出どころを探して道を疾走していく。



「発信源は遠くない。東に3メートル、北に31メートル……!」



 進路は路地裏を駆使してジグザグに。用水路を、朽ちたフェンスを飛び越え、全速前進で進んだ。


 伸び放題の雑草を手荒く払う。転がる空き缶は、避けもせずに踏み潰す。普段の彼女からは想像も出来ない程、仕草のひとつひとつが乱雑である。胸の内が焦りで黒いのだ。



「私に愛想を尽かしても構いません、良縁に恵まれたのなら祝福し、速やかに身を引きます。だからどうか、ご無事で……!」



 果たして機械に祈るべき神は居るのか。その答えは不明であるが、間もなく願いは叶う事になる。



「あれ? もしかしてニーナちゃん?」



 不意に声をかけられ、足を止めた。すると街灯の下、鈍重に歩くカツトシの姿があった。その隣にはぐったりとしたタケル。肩を借りなければ、まともに歩けない程の状態であった。



「タケル様! しっかり、今すぐに救急車を!」


「違う違う。タケちゃんは酒が超絶弱いってだけだ。少し休めばケロッとするって」


「そうですか。よほど飲まれたのでしょうか。あなたはご友人であるのに、タケル様を守ってはくれなかったのですか」


「目を離した隙ってやつだ。これでも、ビールのジョッキ半分くらいなんだけどな」



 そんな気安い言葉とともに、タケルの身体がニーナへと委ねられる。力なく崩れそうになるのを、両腕を使って抱きとめた。



「じゃあ後は任せたわ、酔いが覚めるまでヨロシク。オレは早く帰って、シトラスの相手をしなきゃだから」



 カツトシはそう言い残すと、街灯の向こうへと消えた。ニーナはその背中を視線だけで見送り、すかさず気持ちを切り替えた。まずはタケルの安否である。



「タケル様、ご気分はいかがですか?」


「うぅん。水。冷たい水が飲みたい」


「承知しました。お水ですね」



 ニーナはタケルをおぶり、付近を探し回った。用水路を見つけると、生水は不可と判断。水溜りを見つければ、すかさず論外と判断。


 しかし大して彷徨う事もなく、飲み水にありついた。近くで児童公園を見つけたからだ。



「タケル様、どうぞお水です」



 コップなんて都合の良いものは無いので、両手に溜めた水を飲ませようとした。ひと口、ふた口と喉を鳴らしたかと思えば、すぐに全てが飲み干された。



「もう少し飲みますか?」


「やだ、いらない。お腹一杯だもん」


「承知しました。ではご自宅へ帰られますか?」


「やだよ、ここが良い。風が涼しくて気持ち良いの」


「そうですか。あまり夜風に当たられると、お身体に……」


「つうかニーナ、突っ立ってないで座りなよ。それとも僕の隣には座りたくないって?」


「とんでもない。では失礼します」



 ニーナが腰を降ろすと、その肩に確かな重圧が加わった。酒に侵された身体は、もはや自身の力だけでは座る事すら怪しい。彼女はそれを理解しているため、無言のまま、体ごと支えた。



「星がキレイだなぁ。キラキラしてる」


「今夜は降水確率0%の快晴です。天体観測にはうってつけかと」


「へぇそうなんだ。どうりでねぇ」



 タケルは首を持ち上げ、頭を仰け反らせる様にして空を見上げている。そして音を立てて息を吐き、宙を白く染めた。



「ありがとうね、ニーナ」


「急にどうされました?」


「僕はね、感謝してるんだよ。前までは孤独だったっていうか、割と虚しい毎日でさ」


「そうだったのですか、初耳です」


「でもね、君が来てからは毎日が賑やかで。まぁ、裸になったり変な声出したり、色々と困らされるけど。それでも、何だか悩むことは無くなったかな」


「私がお役に立てているのなら、大変光栄です」


「これからもよろしくね、仲良くしてね。嫌いになったから帰りたいとか、言わないでね」


「そんな事は決して……」



 ニーナの反論は最後まで語られなかった。タケルの頭がぐらりと揺れ、ニーナの肩にもたれると間もなく、腿の上に落ちたからだ。


 静寂の中に聞こえる微かなイビキ。ニーナは寝入った横顔を眺めては、タケルの頬を優しく撫でた。



「こちらこそ、ありがとうございます。素敵な居場所を与えてくれて……」



 程なくして、ニーナはタケルを抱き上げてから帰路についた。いわゆる姫抱っこの態勢だ。


 傍目には役割が逆のようにも見えるのだが、ニーナの浮かべる微笑みは柔らかだ。どことなく、普段みせるよりも穏やかな笑みを。


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