第10話 友の頼み
タケルは比較的、大人しい性格であるが、決して気弱ではない。嫌だと思えばノーと言うタイプなので、人の良さに付け込もうとする連中を驚かせる事もしばしば。
そんな彼が嫌うものの1つに、金の貸し借りがある。小銭程度なら許せても、大金になれば露骨に拒否反応を示す。それがたとえ、気の置けない友人を相手にしてもだ。
「頼むタケちゃん! 来月になったら絶対返すから!」
「あのね、僕も余裕は無いの。2万円なんて大金、サッと貸せる訳無いじゃん」
「そんな事言わねぇで頼むよ……タケちゃんに見捨てられたら生きていけねぇんだ!」
場所はタケルの部屋。ワンルームの手狭な空間に、家主とニーナだけでなく、カツトシとシトラスも招いている。ただでさえ狭苦しいのに、金の無心とあってはタケルも不機嫌になった。これまでの親交から、口調こそ柔らかであるが、それもいつまで保つか。
「そんなに困るならさ、もっと節約したら良いんだよ。バイトしてるんだし、それなりに稼いでるでしょ?」
「いや、本当ならギリ足りたハズなんだ。でもさ、突発的な出費があって」
「へぇ。具体的には?」
「それは、その……」
カツトシは隣に眼を向けた。どこか探るような、弱々しいものである。
視線を向けられたシトラスはというと、厳(いかめ)しい顔のまま黙りこくった。への字に曲げた唇も、今ばかりは不思議と寂しげに見えてしまう。無言を貫く姿勢が、むしろ饒舌に語るようにも感じられ、溜め息を1つ溢した。
「分かったよ、貸すよ。その代わり、何に使うのかキッチリ話すこと。それが最低条件だよ」
「えっ、今ここで……?」
「それが筋だよ」
「よし……そういう事なら腹くくる!」
カツトシの訴えは、それなりに予想通りのものだった。とにかくシトラスが嫉妬深くて扱いづらい。街中で美女に見惚れれば叱られ、水着アイドルの検索を頼めば泣かれてしまう日々。おかげでアダルト動画からも縁遠くなる。せっかくサブスク登録したのに、ろくに楽しむことが出来ないと咽び泣くのだ。
思い悩んだカツトシは閃いた。だったら、シトラスの性格を変えてしまえば良い、という暴論を。ストアには、数え切れないほどの人格セットが販売されている。思いの外に高額な点を除けば、すぐにでも手を出したい所だと語った。悪びれもせず、むしろ嬉々として。
「何と言うか、君が節操を覚えたら済む話じゃないか。ちょっとくらいは女の子から遠ざかってみなよ」
「んな事できっかよ! こちとら年中、それこそ24時間休まずムラムラしてんだ。我慢しようものなら、どうにかなっちまうよ!」
「いっそ出家でもしたら楽になるんじゃないの」
「理由は他にもある。シトラスのヤツ、1度ケンカすると長いんだ。お陰で夜も寝かせてくれねぇから、マジで寝不足なんだわ」
「確かに、眼のクマが酷いね。肌も荒れてるし」
「頼むよ。このままじゃ辛くて辛くて……!」
タケルは泣き言を聞く一方で、シトラスの方を見た。彼女はやはり異論を挟もうとしない。虚ろな瞳も誰を見るでもなく、部屋の片隅をジッと眺めるばかり。少なからず同情を誘うような横顔に、ついついお節介を焼きたくなる。
「シトラスさん。君は良いのかい? オーダー通りの人格なのに、河瀨君の都合で変更されても」
「妾は、ひたむきであった。これで喜んでもらえる、口では悲鳴を喚きつつも、内心はまた違うのだろうと。しかし本心を知ってしまえばな、話はそれまで。自身の至らなさを呪うだけじゃ」
「そうかい。辛い事だろうに、受け入れてくれるんだね」
「返品されぬだけマシというもの。それにしても、何故そなたが苦しそうな顔をする。妾なぞ人間様を楽しませるだけの駒。そもそも他人事であろうが」
「何でだろうね。自分でもよく分からないや」
「おかしなヤツじゃのう」
そう呟くと、シトラスは力なく笑った。茶髪のボブヘアーからミョンと飛び出る毛束が、微かに揺れたかと思えば、ヘッドドレスにもたれかかった。
タケルは今更ながらに思う。この口調でメイド服なのかと。全てが指定通りなので、そもそもカツトシの好みなので、苦言を吐いたりはしないが。
「じゃあ、もう良いよ。2万円。ちゃんと返してよね」
「助かるぅ! 物のついでに後1万円つけてくんない? ストアには『ぎりぎりスカート』っていう、すんげぇ衣装があって……」
「僕はそろそろ怒っていいかな?」
「ウソウソ、冗談だからキレないで!」
カツトシは万札を握りしめるなり、慌ただしく部屋を飛び出した。最寄りのATMで入金を済ませ、息を切らしながら舞い戻ってきた。その顔は、実に満足げである。
「よぉし、シトラス。ストアページを開いてくんな!」
すっかり上機嫌のカツトシは鼻歌混じりだ。このやたらと正直な男の事を、タケルは嫌いではない。
「えっと、人格は……。スゲェあんじゃん。どれにしよっかな」
「ちゃんと考えて選びなよ、これからも一緒に暮らしていくんでしょ?」
「おっ、妹属性あんじゃん! そんでもって、副属性がツンデレ、野生児、傲岸不遜とか色々あんだな」
「聞いてる? 興味とか好奇心だとか、そんな理由で選ぶと後々辛い事に……」
「よっし、これに決めた!」
「届いてる? 僕の仏心が」
こうして即決に近いテンポで購入、インストール。すると、シトラスはすかさず項垂れ、全身を激しく震わせた。時おり見える顔も白目を剥いており、異常事態にしか見えない。
「ねぇニーナ。これ大丈夫なの? 何だか激しいよね」
「人格変更は内部の深い所で処理されます。その為、見栄えに些細な問題が生じます」
「些細かなぁ、これ」
相変わらず白目のまま、首を左右に振り乱し、終いには大きく痙攣。口もだらしなく半開きだ。タケルは無力感に苛まれるあまり、無意味に両手をソワソワさせて落ち着けない。
しかしそれも間もなく終わる。シトラスが「インストール完了」と告げた事で、彼女が意識を取り戻したのだ。
「終わったらしいね、河瀨君」
「お、おうよ。気分はどうだシトラス?」
探るように投げかけた言葉には、柔らかな笑みが返された。しかし、どこか重たいというか、不敵な物が感じられる。ニーナが浮かべるような真っ直ぐなそれとは、また質の違うものだった。
「大丈夫よニィニ。むしろ清々しいくらい」
「おぉ、そっか。ちょっと心配したぞ」
「嬉しい……。ニィニが想ってくれた。頭の中をアタシで独占してくれた。アタシの事だけを見ていてくれた。嬉しい、嬉しい、嬉しい」
シトラスは首を傾げつつ囁いた。瞳の色は、見た目の幼さからはかけ離れる程に淀んでいる。少なくともタケルにはそう感じられ、寒気を覚える想いになる。
「ねぇ河瀨君。本当にこれで良いのかい?」
その問いかけにはサムズアップ。眩い笑顔とともに、親指が突き立てられた。
「最高! こんな妹が欲しかった!」
「あぁ、そうですか。もう何も言わないよ」
シトラスの変化を大歓迎で受け入れたカツトシは、他愛のないやり取りを楽しんだ。それこそ家主のタケルをそっちのけで、親密な会話に終始する。やがて「君達そろそろ帰ったら」の言葉により、その場はお開きになるのだ。
その翌日、夕暮れ時。明日も学校だと準備を進めていると、インターフォンが鳴る。やって来たのはカツトシだ。出迎えるなり両手を揃えて拝みだす。嫌な予感を感じていると、悲しくも的中してしまった。
「タケちゃん、悪い! もう2万貸してくれ!」
「はぁ!? 何言ってんの!」
「いや聞いてくれよ、人格を『妹・ヤンデレ属性』に変えたら、思いの外しんどくって!」
カツトシはそう叫ぶと、自身の背後に顔を向けた。そこにはカツトシの袖を指先で摘みながら、そっと控えるシトラスの姿がある。
彼女はタケルと視線を重ねると、目礼し、挨拶代わりに独り言を呟いた。
「今日ニィニは17回、総計2分56秒見てくれた。全然足りないけど良いの、分かってる。ニィニは照れてるだけ。だから他の女に目移りしちゃう。アタシの魅力に気付いてさえくれれば、他の女が豚である事実を理解したなら、その時は……」
「もうこんな感じで大変なんだよ。頼む、追加で2万!」
その時、寒風が辺りに吹いた。タケルの胸に冷たいものが入り込み、冷ます。春はいまだ遠くにあるのだ。
「君は1度くらい地獄を見た方が良いよ」
そう告げる顔は、冬空よりも晴れ晴れとしていた。
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