第8話 着せ替えニーナ

 タケルは自室で、ニーナと正面から向き合った。小さくない緊張感を伴うのは、お互いが正座であるからだ。



「良い? それじゃあ、着けるよ」


「はい。お願いします……!」



 ニーナが差し出した両手に、毛糸の手袋が装着された。指までしっかり通し、手首までを覆う。しかし、彼女の指が僅かに動かされると、なぜか手袋は外れた。カーペットの上に音もなく落下する様は、自身の眼を疑いたくなるほど不条理だった。



「なんで、どうしてこんな事に!?」


「申し訳ありません。こちらは対応していないアクセサリーですので」


「そもそも物理法則を無視してるじゃん」



 この現象は手袋だけに留まらない。マフラーにコート、ジャケットやらと着せたとしても同じだ。一応は装着することが出来る。しかし、僅かでも身じろぎしようものなら、全てがハラリと舞い落ちてしまうのだ。



「どうりで毎日同じ格好で居るわけだ。服屋さんとか行った試しないもんね」


「マジリアルシリーズの服には、すべて電磁コーティングが為されています。汚れどころかホコリ1つ寄せ付けませんので、衛生面に問題はありません」


「それでも、これからが冬の本場だよ。今年は特に寒いって聞くし」


「お気遣いありがとうございます。しかし私は、暑さ寒さを感知する機能を持ち合わせておりません。そして、病を患うことも無いのです」


「人目が気になるんだよ」



 ニーナは初対面から変わらず、Vネックのセーターにスカートという装いだ。ガラ空きの首元はいかにも寒そうで、眺めているだけで震えを誘うようだ。


 室内に居る内は良い。外出をしようものなら、その隣には完全防備のタケルが控えている。手袋にマフラー、厚手のダッフルコートを着込み、靴下もモコモコだ。そんな2人が氷点下まぎわの冷え込みの中、並んで歩くのだから。違和感を通り越して異質だった。



「別衣装をお望みでしたら、専用のECサイトで購入を検討なされては?」


「あぁ、そういえば、そんな話もあったね」



 品物を見るだけでもと、サイトにアクセスを試みた。自宅に居ながらのウィンドウショッピング。しかしページを開いてみると、表示項目があまりにも多く、商品名もやたら長文だ。とにかく眼が滑る想いになる。



「衣装やアクセサリーは、絞り込み検索がかけられます。いかがなさいますか?」


「じゃあ冬物でお願い」



 そうすると、画面はイヤーマフラーにコートなど、求める物ばかりになった。品数もようやく現実的なまでに絞り込めている。しかし、今度は値段に悩まされる事になった。



「1番安いコートで一万円弱、マフラーが8千8百……結構高いなぁ」



 タケルは服装に無頓着なタイプで、着飾る楽しみを知らない。実際、冬物セールで買ったコートは4千円、マフラーなど3桁代というお値打ち商品だ。手が引けてしまうのも当然の成り行きだった。



「ちなみに、サイズとか問題ないの?」


「はい。私の型番に合うものを抽出しています。何か試してみましょうか?」


「そうだね、せっかくだし。1番上のコートを着てみてよ」


「承知しました。WT4527を装着します」



 その言葉とともに、ニーナは旋風に包まれた。窓を締め切った室内であるのに、長い紺碧の髪が優しく浮き上がる。


 だがそれ以上に目立ったのは首から下だった。着込んでいた衣服を煌めかせたかと思えば、一瞬のうちに消失。眩さから細部までは見えなかったのだが、胸元の膨らみと、センシティブな先端の影が見て取れた。少なくともボディラインはバッチリだ。


 それは時間にしてコンマ5秒。刹那的な出来事だったとしても、タケルを驚愕させるのに十分であった。そして、恥じらい混じりの説教までも誘う。



「あのさ、どうして一瞬裸になったの!?」


「仕様です。衣装を変える場合は、先程のプロセスを踏むことを避けられません」


「ええと、今後、外では着替えない事。裸を絶対に晒さない。良いね?」


「承知しました。以後、タケル様の前のみで衣装を変える事とします」


「僕からも見えない所で!」



 その頃にはニーナも黒いロングコートを羽織っていた。シルエット重視の、スタイルを損なわない作りだ。袖も裾も丁度良く、まさにジャストサイズ。


 ちなみにコートの下はというと、以前までのセーターなどを着込んでいる。それならなぜ1度裸になる必要があったのか。タケルは理不尽に感じながらも、仕様だと聞けば納得するしかない。



「それはそうと、良さそうだね。似合ってるよ」


「ありがとうございます。ですが、比較的高価なように感じられます」


「確かに……。今月はバイトも少なかったから厳しいんだよね。貯金を崩すしかないのかなぁ」



 首を右に左にと捻るうち、タケルは1つ思い出した。それからクローゼットの中を漁り、細長の茶封筒を手に取った。



「これ、ニーナが貰った日当。たこ焼き屋のやつね。使っちゃっても良いかな?」


「もちろんです。私は差し上げたつもりなので、お好きなように」


「まぁあれだ。ニーナの為に使うわけだから、横取りにはならないよな……って、3万円も入ってる!?」


「どうかされましたか?」


「店長……経営ヤバいとか言って。次のシフトで時給あげてもらおう」



 にわかに育った闘争の芽はさておき、予算の心配は不要になった。それならばと、より高くともお得な方を買う気分にさせられる。



「これ良いんじゃないかな。ウィンターセット。さっきのコートに、ストールと手袋がついて2万円弱だし」


「本当に宜しいのでしょうか、私の為に……」


「気にしないで。薄着をさせてるのも気が引けるから」


「どうせなら、コチラのオールシーズンセットになされては? キャミソールから襟シャツと、幅広く梱包されてます」


「いや、良いよ。それは春先とかに買うよ」


「他にも、夜のトクトクお誘いセットもあるようです。内容は過激につき、秘密だそうで」


「僕の事を何だと思ってるのさ」



 そんな会話を挟みつつも無事購入。ニーナの装いも一新された。黒いロングコートにベージュ色の皮手袋。首元に巻くストールは紺とグレーのチェック柄で、下は元からの衣装。少なくとも、セーター1着よりは冬らしい装いだ。


 それにしても着こなしは見事。彼女に備わる気品や柔和さが、コーディネートの質を格段に上げていると言っても良い。思わずタケルが言葉を失い、熱い視線を注いでしまうのも、無理のない話である。



「タケル様、どうされました? どこかおかしな点でも?」


「あ、いや、何でもないよ! それよりホラ、新しい服を買ったんだ。散歩にでも出かけようよ!」


「はい。お供させていただきますね」



 タケルは邪念を振り払うようにして、家から飛び出した。線路沿いの道を行き、河川敷に着いた頃、今度は後悔の念が押し寄せてくる。慌てたあまり手袋を忘れてしまったのだ。しかも、今日は風が吹いているので、指先から容赦なく体温が奪われていく。



「うぅぅ、寒い。失敗したなぁ」


「お辛いですか? 少々お待ち下さい」



 ニーナはそう告げるなり、手元だけを煌めかせた。すると手袋がいずこかへ消失。素手となった手のひらを、タケルに向かって差し出した。



「どうぞ。起動している間は熱を発するので、暖かいですよ」



 タケルは、相手の顔と手元を何度か見比べたが、やがてその手を握りしめた。言葉に偽りはなく、体温にも似たぬくもりが伝わってきた。肌に触れる感触も、柔らかさが感じられ、本当の人間と手を繋いでいる気分にさせられる。



「ところでさ。さっきも衣装を変えたのに、裸にならなかったね。どうして?」


「手袋は、胴体装備でない為ですね」


「ずいぶんと都合が良いなぁ。騙されてる気分だよ」


「ご不満のようですね。やはり、全裸になる方がお好みでしょうか?」


「やはりって何。僕のモラルをみくびらないでよ」



 そこから2人は、当て所もなく土手の上を歩き続けた。


 いたずらに吹き続けた風も、いつしか止んでしまう。しかしタケルは、繋いだ手を離す事を忘れ、冬の景色を堪能するばかりになった。


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