第4話 騒音問題にイヤホン添えて
散歩なり、雑貨屋巡りなりを堪能するうち、時刻はお昼時を迎えた。やって来たのは駅前ハンバーガーショップ。タケルはチーズバーガーのSセットを注文し、2階席へと向かった。店内は中高生メインで、他にも家族連れなどで大賑わいだった。
「席が取れたのは幸いでしたね。どうぞ、お昼をご堪能ください」
ニーナが対面席で微笑むものの、素直に味わえる状況ではない。何せタケル1人だけが食事にありついているのだ。相手は水すらも無いという有様で、傍から見れば、モラハラ彼氏の図式が成立していた。
それに気付いてしまうと、周囲の視線が痛いほど突き刺さった。
「ねぇニーナ。ポテトでも食べる?」
「ありがとうございます。しかし、私は飲食を必要としません。電池残量も84%ほどありますので、お気遣いは無用です」
「君は平気かもしれないけど、変に目立っちゃってるから」
「人目を気にしすぎるのも考えものです。何か気晴らしでも検討されては?」
ニーナが手のひらを差し向けたので、タケルは試してみる事にした。思い返せば、数日ほどウェブコンテンツから遠ざかっている。そろそろ何かしらに触れたい頃合いであった。
「じゃあ、動画でも見ようかな」
画面を操作するうち、ひとつ気が付いた。それは油まみれの手で触れても、画面が汚れないという事。従来型にはないメリットは、地味ながらも快適だ。強張った頬が少しずつ緩んでいくようである。
アクセスしたページは動画サイトのプイチューブ。推しのアーティストを検索し、公式アカウントから一覧画面を展開。吟味の後に再生したのは、お気に入りのヒーリングミュージックだ。
そうして聞こえた楽曲は、薄々勘付いていた通り、スピーカー越しでは無かった。
「ル〜〜ルルゥ、アァーーワァーー」
ニーナの口からは、複雑に彩られた多重奏が流れ出した。オルガンの和音も、遊びのように鳴るハイトーンの電子音も、ドラムキットでさえお構いなし。完璧な合奏を口先1つで表現してみせたのだ。
いったいどんな構造なんだ。不思議に感じながらも、響きの美しさに心を委ねた。幸い、環境音に溶け込む曲調であり、誰かに見咎められる事もない。
しかしそんな平穏も、間もなく終焉を迎えてしまう。
「ここは山奥、人里離れたキャンプ場。シュンシュン! ログハウスに閉じ込められた、都会の青年たち。シュバオォン!」
「えっ。急にどうしたの?」
「忍び寄る未知の暗殺者の影。若者が1人、また1人と蹂躙されていく。ズギャン! こんな山の中にサメなんて居るわけねぇだろ、仮に居たとしても、このショットガンでイチコロさ。ズドォン!」
「ねぇってば」
「もう探り合いなんてウンザリだわ、ジョンソンを殺したのは誰なの、答えなさいよ! スフィイン! これ以上我慢できねぇ、オレは部屋に籠もるからな! ズッギャァアン!」
「分かったから、ともかく声を……」
「迫りくる暗殺者の恐怖。キィャアアーー! アァーーッ! 人間ごときでは敵わない、圧倒的な力。あの世でジョンソンに謝れ、クソ野郎が! この春、日本全土は、かつてない恐怖に震撼する……!」
「待ってもう良いよ、やめてやめて!」
動画を停止させた所で、広告が再生されていた事に気付く。新作映画の宣伝は、何の脈絡も無く披露されてしまったのだ。しかも迫真の演技にて。
当然、店内もにわかに騒ぎ出す。一体何だ、どこからだと、探る声が聞こえてきた。
「ちょっとニーナ。どうしてスピーカーにしたのさ」
「この距離だと、どうしても音が聞こえづらくなりますので」
「気遣いの方向性……。お店の中なんだからさ、もっと騒音に配慮してよ」
「承知しました。ではこうしましょう」
まずニーナは、席を立ってタケルの傍に寄った。タケルを抱き上げてから椅子に腰掛け、膝の上に座らせた。そして背後から腕を回し、手のひらを見せつける様に両手を掲げた。まるで、いないいないバァのような態勢である。
確かにこの姿勢であれば画面を眺めつつ、囁き声による音声を聞くことも可能だ。しかし、まともな倫理観を持っていれば、実に耐え難い態勢である。密着した身体に、太ももや胸元の柔らかさが伝わってくるのも不健全だ。
すっかり理性を蹂躙されたタケルは、「降ろしてください」と告げるのがやっとであった。それから逃げるようにして店を後にしたのも、当然の成り行きだと言える。
「ハァ……全然食べた気がしないな」
「確かに成人男性にしては、いくらか少量に思えます。何か追加で食べてみては?」
「そんな意味で言ったんじゃないよ」
足取りに疲れを隠さないまま、タケル達は駅前をさまよった。商店街を通り過ぎ、駅前公園の脇を掠め、最後に辿り着いたのは家電量販店だ。
「タケル様。こちらでは何を?」
「うん、まぁね」
生返事を繰り返しながらフロアをうろつくと、やがて周囲はスマホ周辺機器ばかりになる。それから手に取ったのはイヤホンだ。比較的安価で、有線型のものをチョイス。
「初めからこうすれば良かったよ。君にも使えるんだろ?」
「はい。ジャックさえ合わせていただければ。タイプはこちらですね」
「分かったよ。ちょっと買ってくるから」
そうして会計を済ませたタケルは、店先で開封した。イヤホンを耳にはめ込み、ケーブルの端をニーナに手渡す。コードの長さも3メートル程あるので、無闇に密着する必要もない。それどころか対面に座ったとしても、ゆとりが有る程だった。
「ではタケル様。音楽でもいかがですか?」
声はイヤホンから直接伝わってきた。その時、ニーナの口も一切動いてはいない。
「そうだね。さっきの動画を再生してくれる?」
「ただ今起動します。少々お待ちください」
歩道脇のベンチに座り、瞳を閉じながらその瞬間を待つ。すると静かに、ゆったりと持ち上がる楽曲が耳に伝わり始めた。まるで渇いた地面に水滴が落ち、染み込んでいくかのように。
日常の中に生じた非日常。喧騒は遠のき、心を蕩(とろ)けさせる旋律が鼓膜を包み込む。上質な音楽は心の旅行だ。煩わしさをすっかり手放したタケルは、気の向くままにイメージを浮かべ、世界観に深く浸った。
しかし至福のひとときも長くは続かない。時々、驚愕と非難めいた声が聞こえるようになった。そして、突き刺さる視線までが感じられ、タケルは思わず眼を見開いた。
そうして見た光景にどこか納得しつつも、身体が仰け反る程に驚いてしまう。目の前でニーナがセーターの裾をたくしあげ、直立していたからだ。
「ちょっとニーナさんん! 何やってんのぉ!?」
「差込口はヘソにしかありません。セーターを下ろすと、ジャックに良くない負荷がかかり、激しく劣化させてしまう事を懸念しましたので」
「それよりも気にする事があるでしょ!」
見目麗しきお嬢さんが素肌を晒す事は目立つものだが、それ以上に絶叫が人目をひいた。何だ痴話ゲンカかと、通行人の多くが振り向くようになる。その結果、タケル達はそそくさと退散するしかなかった。
騒ぎから逃れきった頃、2人は駅前公園の中にいた。それからはお説教。タケルにしては珍しく、語気も強めだった。
「あのねニーナ。人前で肌を晒さない、絶対だからね」
「それは何故でしょうか?」
「何でって……。そういうのは、大切な人の為に取っておくものだから。誰彼構わず見せるものじゃないんだよ」
「承知しました。今後、タケル様だけに見せるよう心掛けますね」
真っ直ぐな瞳を笑顔に乗せて、ニーナは断言した。
「そういうのって、どうなんだろうね……」
タケルはうつ向き、口調も著しくトーンダウンさせるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます