第3話 君の名前を教えてよ

 早朝。今ひとつ寝付けなかったタケルは、薄暗い室内で身を起こした。時刻は午前7時前。休日にしては、少し気の早い時間帯であった。



「どうしよう。あの子も起こすべきなのかな」



 既に腫れ物に触るような扱いとなっていた。スマホとはいえ、人型であれば気を遣う。このまま眠っていてくれれば気楽だと思うが、少女が三角座りのまま、チラチラと視線を寄越すのを見て諦めた。



「お、おはよう……」


「おはようございます、タケル様。本日は晴れ時々くもり。最高気温は11℃と、比較的暖かな1日となりそうです」


「うん、ありがと」



 朝食はいつものように、焼いたパンにマーガリン、そしてミルクコーヒー。正面に柔和な笑みを見た事が、昨日までと比べて大きな変化だと言える。


 そして胸に罪悪感が漂ったのは、自分ひとりだけパンを頬張るせいだ。



「あのさ、君は本当に食事が要らないの?」


「えぇそうです。今は100%まで充電しましたので、元気いっぱいです!」



 少女は細腕を見せつけ、力こぶを作る仕草を披露した。少なからず愛嬌が感じられる。しかしタケルは、どう受け止めるべきか分からず、曖昧な笑みを浮かべるばかりだ。


 そうして朝食を食べ終えると、食休みをとる事もなく、おもむろに身支度を始めた。



「タケル様、お出かけですか?」


「うん。散歩でもして、ついでに駅ビルにも寄ってみようかなって」


「承知しました。お供させていただきます」


「あぁ、やっぱり付いてくるんだね」


「タケル様に、快適な暮らしをお届け出来るようサポートする事が、私の役目です」



 そうですかとタケルは呟きつつ、むず痒いものが過ぎる。そんな気持ちを払うように、大振りな仕草でコートを羽織り、マフラーも巻いた。


 家を出たなら、馴染みの道を歩いた。比較的早い時間帯なので人影もまばらだ。その為、タケル達の姿は一段と眼をひいてしまう。



「ねぇ、どうしてそんなに引っ付いてんの?」



 少女はタケルの腕に抱きつき、身体を密着させていた。恥ずかしい上に歩きにくく、とにかく閉口させられる。



「今はマナーモードです。こうして触れていないと、通知がある場合に気付きにくいかと」


「だったらマナーモードを解除してよ。悪目立ちして恥ずかしいから」


「承知しました。ではそのように」



 そうして互いに半歩ほどの距離を隔てた事で、タケルは安堵の息を吐いた。しかしそれも束の間、少女の口から甲高い電子音が鳴り、辺りを響かせた。



「ちょっと、それ、何事!?」



 差し出された掌には、河瀬勝利(かわせかつとし)の文字が表示されていた。数少ない大学の友人である。これは着信なのだと当たりを付け、アイコンをスワイプしてみた。


 すると、先ほどまで電子音を吐いた口が、今度は聞き覚えのある声に様変わりした。



「おうタケちゃん。やっと連絡がついたな、スマホ買い替えたん?」


「どうなってんだコレ。声がそっくりだよ」


「そっくり? 当たり前だろ、本人が喋ってんだから」


「いや、ごめん。こっちの話。ところで何か用?」


「今日の夜さ、みんなでマージャンやろうと思って。タケちゃんも来るだろ?」


「ええと、そうだなぁ……」



 タケルは目の前の相棒を見た。彼女は今現在、見開いた瞳を虚空に向けたまま、完璧なまでの無表情を晒していた。そのくせ、口だけは忙しなく動かされる。通話モードだとこうなるのかと、不気味なものを感じた。


 そして、この子も付いて来るんだろうなと思えば、遊ぶ気になどなれなかった。仲間内に見せようものなら、面倒な騒ぎになるのは確実だからだ。



「今日は、その、用事があるから」


「何だよノリ悪いな。まぁ気が向いたら来てくれよ。いつものフリテンリーチ。夜通しでやってるからさ」


「わかった。行けたら行くよ、じゃあね」



 通話終了のアイコンに触れると、少女に笑みが戻る。全てを包み込むような、慈愛に満ちたものが。


 タケルは徒労感から溜め息を吐くが、ふと何かに気づき、視線を鋭くした。



「ねぇ、通話すると今みたいな感じになるの? 会話がダダ漏れで恥ずかしいんだけど」


「いえいえ。先ほどはスピーカー機能を活用しました。離れていては聞き取りづらいと思いまして」


「良いよそんな気遣いは。誰かに聞かれちゃうでしょ」


「承知しました。以降はスピーカー機能をオフとします」



 それから当て所もなく散策を続けた。河川敷の土手を歩き、犬を連れたランナーと幾度となくすれ違い、街路樹からは鳥のさえずりを聞いた。それらに被せるようにして、短い電子音がピロピロ鳴る。何らかの通知であった。



「タケル様、先ほどメールを受信しました」


「そう。どんな内容?」


「では読み上げますね。お耳を拝借」


「えっ、何で?」



 少女はタケルに身を寄せて、そっと耳打ちをした。柔らかな吐息が肌をくすぐるかの様である。



「初めまして、私は31歳の未亡人です。夫がデスリザードに食い荒らされて早10年。莫大な遺産のお陰で、暮らしぶりは申し分ありませんが、火照る身体に悩まされる毎日で……」


「うわぁ! ストップストップ!」


「はい。読み上げを中断します」


「何してんの!? 急に艶めかしい雰囲気まで出してるし!」


「スピーカー機能を切りましたので、耳元でお伝えしました。声色は、文面を参考に自動生成されました」


「ええと、うん。メールとかメッセージみたいな文章は、液晶で読むよ」


「承知しました。ではそのように」



 散歩に出かけて小一時間だというのに、早くも疲労感が濃い。それは相手に社会通念や常識が通じず、事細かな指示出しが求められるからだ。



(ほんと参ったな、この子には。いちいち決めなきゃいけないんだから)



 そう思った矢先、タケルは何かに気づき、ふと足を止めた。隣の少女もそれにならう。



「どうなさいましたか、タケル様」


「ねぇ、君って名前は無いの?」


「私はマジリアル217号です」


「それは型番みたいなものでしょ。もっとこう、呼び名っぽいのは?」


「まだありません。どうぞ、お好きなように呼んでください」


「急に言われてもなぁ。何か参考になりそうなものを教えてよ、場合によってはそれを使うから」


「研究所で開発されていた頃は、次のように呼ばれていました。メスガキ、壁尻、公衆便……」


「うん、うん、ゴメンね。知らなかったとは言え嫌な事を思い出させちゃって!」


「いえいえ。学びの多い、有意義な開発期でしたよ。その頃にちょうど、メインプログラマーの方が婚約者に逃げられたようで、比較的荒れた言動に終止しておられましたが……」


「どうしようかなぁ! なんか良さげな名前はないかなぁ!」



 タケルは気不味さに背を向け、晴れ渡る空を見上げた。脳裏に浮かべるのは固有名詞。スーさん、マホさん、リアルちゃん。やや貧困な発想力を呪わしく感じながらも、比較的マシな案が閃いた。217という、一見すると無機質な数字に着目した結果である。



「じゃあさ、ニーナっていうのは、どうかな?」



 その時、辺りにはそよ風が吹いた。それが少女の髪を弄び、柔らかく舞い上げる。やや見開かれた瞳、赤く染まる頬。そして拳が微かに握りしめられた。


 その変化にタケルは気づかない。視線は今も空に向けられたままだ。



「素敵なお名前です。ありがとうございます」


「そ、そうかい。気に入ってくれたかな?」


「えぇとても。嬉しくて堪りません」


「良かった。笑われたらどうしようかと思ったよ」



 そんな温かな空気が漂う中、2人は土手の上を歩き続けた。半歩の距離を、狭めず離れずと保ったままで。



「タケル様。これからどちらに向かいます?」


「駅ビルにでも行こうかな。そろそろお店も始まる時間だし」


「承知しました。では、ナビゲーションを開始しますね」


「別に良いよ。慣れた道だから」


「でしたら、到達時間の見込みを……」


「それも要らないって。あと15分くらいで着くよ」


「お役に立てない我が身が、情けなく感じられます」


「気にしないで。ニーナには、必要な時に色々とお願いするから。休みなく働けだなんて思わないよ」


「はい。ではその時が来ましたら、全力でサポートさせていただきますね」



 こうしてタケルとニーナの、どこか不器用な日々は本格的に動き始めた。互いを紡ぐ縁は儚いながらも、今、確かに結ばれたのである。

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