潜降42m 傷つくもの②

俺はいつも何かにイラついていた。

その日もイラついていて、丁度、この工場脇にあった一斗缶を蹴とばしたんだ。


「くそっ! おもしろくねー! 」

空かと思った一斗缶は重くて足が痛かった。


しかし、俺は足の痛さなど忘れるほど焦った。

一斗缶の蓋が外れると、トロリとした液体が道路に広がっていったからだ。


すぐに分かった。

それがオイルを含む廃油だということが。


向こうから子供を乗せた自転車が走って来た。

俺は止めようとしたが、オイルの上でブレーキをかけた自転車は、大きな音を立てて転倒してしまった。


子供の泣き声がゆっくりと始まり、やがて俺の耳にはその声しか聞こえなくなった。


顔をうちつけた子供はオイルまみれで、母親は我が子を抱き寄せた。


その様子に俺は足がすくみ思考が停止してしまった。


そこに出勤してきた社長が来たんだ。

社長は救急車を呼び、親子を事務所で休ませ、すぐに道路のオイルをありったけの新聞紙や布でふき取っていた。


俺もそれを手伝った。

ズボンや靴はオイルで汚れたが、それよりも自分がやらかしてしまった事がただ怖かったんだ。

だから、『自分のやらかしてしまった事を無くしたい』『隠したい』という思いで道路のオイルをふき取っていたのかもしれない。


社長は俺にそこの処理を頼むと事務所にいる親子のケアに走った。


俺はただ道路をきれいにすることしかできなかった。


親子を乗せた救急車が走り去り事態が落ち着くと、何も知らない社長は俺にお礼を言ったんだ。

俺は自分がしたことを打ち明けた。


痛かったなぁ。

職人のグローブみたいな手だった。

ビンタがあんなに痛いなんて。

顔の中がジンジンした。


その後、警察が来たけど、社長は管理が悪かったことだけを説明し謝罪していたよ。

もちろん、そのあと、親子の家に行き謝罪し、いろいろとお金も払ったようだった。


俺は、後日改めて社長に謝りに行った。

そしたら社長はひとことだけ口を開いてくれた。


「怖かっただろう。ひとが傷つくのは。それがわかればいいんだ」


俺は胸と顔が熱くなって涙出たよ。




——そんな過去を太刀さんは1度だけ俺に話してくれた。

今でも自分のやらかしたことに深い反省をしている反面、最後に少しだけ得意げに言うんだ。


『社長、かっこいいだろ? 俺もそういう風にしていくことに決めたんだ』


それからの太刀さんはイライラすることもケンカをすることもなくなった。

何か『こうやって生きていく』っていうのを見つけたみたいでね。


今思えば太刀さんのイライラは『他人を傷つけてしまう自分自身へのイライラ』だったのかもね。


それから高校卒業して太刀さんは柿沢さんの会社に就職したんだよ。

・・・・・・

・・


ジンさんは話し終わると再び軽トラを走らせ仕事へ向かった。


(そっかぁ.. 太刀さんにはそんな過去があったんだ.. 今度、お礼に手作りの料理でも作ろうかな)


****


「ふう、昼休憩終わったら太刀君、陸運局に名変行ってくれるか? 」

「はい。島村さんのですよね? 」

「ああ、よろしく」


昼の知らせがラジオから聞こえると、お昼休みになった。

テーブルに相良さん、太刀さん、須田さん、お父さんが各々の昼飯を広げる。


「たーちさん、この前はいろいろありがとうございました。で、ここにお昼のお供にいろいろ料理を作ってきたから、みなさんで食べてください。ジャーン!! 」


「おお、これってもしかして唐揚げに.. こっちは肉団子かな? ..ところでこれ食べて大丈夫なやつ? 」


「ひどーい! 」


「わははは。冗談、冗談、マイケル・ジョーダン」


「うわ、おじさんっぽい! お父さんの影響ね、太刀さん、それやめたほうがいいよ」


「桃、おまえ、減給するぞ!」

「嘘です。パパー!」


事務者が笑いに包まれた。


****


こんな風に笑顔でいられる時間がこれからもいっぱいあるといいな。

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