第3話


 ホームセンターで包丁を購入した。


 よしよし、これでいい。

 これを彼女の首元に突きつけて「服を脱げ」と命令するのである。そうすれば涙を浮かべて、大人しく俺の指示に従うことだろう。


 彼女が誰と結婚していようが関係ない。家庭を築いて子供がいようが関係ない。全部滅茶苦茶にしてしまうだけ。

 所詮はあんなクズと付き合っていたクソ女である。

 最低最悪な悪女だ。


 そんなに誰にも嫌われたくなかったのか? 愛想よく振る舞っておいて、やることだけやりやがって。清楚ぶっていながら中身はドブ以下だなぁ。俺に優しくしやがって。俺なんかに優しくするからこうなるんだ。それがお前の末路。勿論、強姦した後は口封じで始末する。弄んで殺してやる。じゃないと世間の反感を買わないし、死刑にならないからなぁ。よし、あの世で思い知ればいい。後悔しろ。くっくっくっ。

 俺という最底辺の人間に関わってしまったことを悔いればいい。

 情けねえバカ女め。ざまぁみやがれってんだ!

 

 彼女の実家へと足を運ぶ。

 古びた家屋だが、ちゃんと表札には「橘」と書いてある。


 実家にいないってのはわかっている。もう相手も30歳だ。だから友達のフリをして、親御さんに今住んでいる場所を尋ねて、それからが本番だ。帰宅時を狙って襲いかかる。

 よし、完璧な作戦だろう。

 家に火をつけたりしてもいいかもしれないな。

 親も不信感を抱いたら始末してやる。


「……」


 心臓がバクバクと音を立てている。小さなカバンを背負いながら、インターホンを押す。

 勧誘セールスお断り、の文字に一瞬指が震えた。

 反応しない。留守なのかもしれない。

 誰もいないのか? もしくは引っ越してしまったのかもしれない。

 時間が流れるのが遅い。不純な動機でここまで来てしまった。もう後戻りなどできない。

 グッと唇を噛み締めて、もう一度インターホンを押す。

 今度は声が聞こえてきた。


「『はい』」


 初老の声である。

 祖父だろうか?



「あの、すいません……。灯里さんって今ご在宅中ですか?」


 声が震えている。

 汗が出てきた。マスク越しにふぅと息を吐く。


「『はい?』」


 疑うような声が聞こえてくる。

 当然だ。住んでいるわけないし、急にそんなことを言われたら怪しむに決まっている。やばい、引き返すべきか?



「ええっと……自分、灯里さんのお友達でして、というか昔の同級生なんですけど、なんといいますか、用事があって、どうにかお会いできないかなと思い、探しているんですけども……」



 適当に並び立てた言い訳をする。嘘はついていない。会いたいのは事実だ。

 ただ、完全に怪しまれているのでダメかもしれない。

 結局、俺はなにもできない人間なのか。



「……」


 

 反応がない。怪しまれて居留守を使われたのかもしれない。勧誘とかと思われた可能性もある。インターホンのカメラに向かってわざとらしく頭を下げてみる。だが、声は聞こえない。ここまでか……。



「『あんた本当に灯里のお友達か?』」


「え、あ、いや……」



 いきなり聞こえてきた直球の質問に困惑する。友達と言っても挨拶を交わしていたのはもう15.16年前くらいなので、ほぼほぼ他人である。関わりだって皆無だ。彼女がどういう状況なのかもわからない。

 怪しまれるのは当たり前だ。



「昔、お世話になって……感謝の気持ちと言いますか、それをお伝えできればと思い、足を運んだといいますか……」



 適当な言い訳をつらねる。


 もうダメだ、そう思ったときだった。



「『なるほど。ちょっと待て』」



 そんな声と共にインターホンが切れる。

 プツンと消えた音にはぁと息を吐く。汗を拭って、目の前の家屋を見つめる。待てということは出てくるということだ。一応、話を聞いてはくれるらしい。

 バクバクと張り裂けそうな心臓の鼓動を感じながら、頭を掻いていると、目の前の扉が開いた。


 不機嫌そうな面に、腰の曲がった白い髭の初老の男性。

 手すりをつかまりながら、ゆっくりと階段を降りてゆく。

 

 背筋を伸ばしてそのときを待つ。このくらいの爺さんなら勝てるかもしれない、とふと思ってしまった。だが怪しまれているというのは違うかもしれない。攻撃よりも言葉だけでなんというか騙しやすくもある。


 おじいさんが静かに階段を降りて、門の前に立った。

 「悪いな」という言葉と眉をひそめた表情に唖然としていると、ふと門を開けられた。



「入りなさい。灯里は中にいる」



 おじいさんの言葉と共に再び額に汗が流れてゆく。

 彼女が家の中にいる。

 刃物の入った小さな鞄を掴みながら、歩を進める。

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