4.

 おばあさんから教えられた場所。それは港の近くにある灯台だった。


 灯台、とは言ったものの、今は使われていないみたいで、入口には立ち入り禁止と書かれたテープが貼られている。

 その文字に若干の罪悪感を覚えながら、扉を開くと、


「おお、ほんとにいた」

「げっ」


 中には寝そべっているミズキの姿。どうやら彼女の秘密基地ってところらしい。


「なんでここが……って、おばーちゃんか」


 恨めしそうな顔をしながら、後頭部をかく。そして今回ばかりは逃げられないと思ったのか、その場にぺたんと座った。


「なあおっさん」

「おっさんじゃない。おにーさんと呼べ」

「なあおっさん」

「……」


 もういいや、好きに呼ばせておこう。


「なんでそんなにがんばって勉強教えようとしてくるわけ?」

「だから言ってるだろ? 泊めてもらう交換条件だよ」

「そのわりにはぜんぜんできてねーじゃん」


 そりゃお前が逃げ回るからだろ、という言葉が寸前まで出かかったけど飲み込む。


「別に勉強なんてしなくてもいいでしょ。誰にも迷惑かけないし」

「現在進行形で俺に迷惑かけてるぞ」

「うるさいな。そんなのどうだっていいの」


 私はひとりで生きていくんだから。ミズキはそう言って、どこか遠くを見る。その目に何が映っているのかはわからない。


「なんなら、私からおばーちゃんに頼んでやるからさ。おっさんに勉強なんて教えてもらわなくてもいいって。それならいいだろ?」

「ま、たしかに魅力的な提案かもな」

「だろ? んじゃそれでいいじゃん――」

「でもそれを差し引いても、俺はお前にちゃんと勉強してほしいと思ってる」

「はあ?」


 ミズキの隣に腰を下ろすと、いぶかしげな視線を向けてくる。


「なんだよそれ」

「まあなんて言ったらいいかわからないけど……お前には、俺みたいになってほしくないんだよな」

「どういうこと?」

「俺……仕事が嫌でここに来たんだ」


 あまり思い出したくないが、こうして口にするとどうしても記憶はよみがえってくる。


「残業ばっかりやらされるのに給料は出ないわ、毎日上司からはパワハラを受けるわで……どうだ? 笑えるくらいひどい会社だろ?」


 ブラックとはよく言ったもので、働いていた間の俺の生活はなにも思い浮かんでこないくらい真っ黒に塗りつぶされていた。


「そんなところから逃げるしかなくなって、初めて思ったわけよ。『ああ、もっと勉強しておけばよかったな』ってな」


 今さらになって後悔したのだ。


「ミズキも、東京で嫌なことがあったからここに来たんだろ?」

「それは……」

「別にそこに戻れ、逃げるなとは言わない。俺が言えたことじゃないしな」

「……」

「逃げたっていい。だけど逃げる場所がなかったら、それすらできない。そうならないように……うまい逃げ場所をつくれるように、勉強はしといた方がいいってことだ」


 俺は仕事から逃げてきて、ミズキはいじめと家族から逃げてきた。似ている俺たちだけど、彼女には俺以上に未来がある。ならば、俺のようになってほしくはない。


「なんだよそれ。めちゃくちゃ後ろ向きな理由じゃん」

「うるせえ、俺は先生でもなんでもないからな。いつも前向きになんていられるわけないだろ」


 ロクでもないことを言っている自覚はあるが、それが俺の正直な気持ちだった。


「ふーん……」


 ミズキは息を吐きながら、窓の方を見つめる。一点の曇りもない空と海があった。

 すると、おもむろに立ち上がって入口の扉を開ける。


「ほら行くぞ」

「行くって、どこへ?」

「そりゃ……ここじゃできないだろ」

「なにがだ?」

「だから、その……」


 頬をかきながら、こちらを向かずに彼女は言った。


「……教えてよ。勉強」

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