いつかくる日のために

今福シノ

1.

 目の前には、透き通るくらいにきれいな海が広がっていた。


「はあ……」


 そんな絶景を前に、俺はため息をひとつ。


「やっぱ、安け合いするんじゃなかったな……」


 港をウロウロしてみるが、探している相手・・・・・・・は見つからない。それどころか、人影すらまったくない。ここへ来る唯一の交通手段、1日1本しかない本島との連絡船が行ってしまった後だからだろうか。さすがは離島だ。


「にしても10月だっていうのに、ほんと暑いな」


 まるで真夏のような熱気と湿気しっけが全身にまとわりつく。ほんと、東京とは全然違うなあ。


「ん?」


 ひたいの汗をぬぐいながら辺りを見回していると、遠目に見える防波堤に人影らしきものがチラついた。目を凝らしながら近づけば、徐々にその姿は鮮明なものへと変わっていく。

 小麦色の肌に黒い髪。Tシャツに短パン姿。そして、小学生くらいの小柄な背丈。

 見つけた。間違いない。


「ミズキ!」


 名前を呼びながら防波堤まで走っていく。

 すると、俺の存在に気づいた彼女・・はこちらを見て、


「げっ」


 苦い薬でも飲んだみたいな表情を向けてきた。


「しつこいなあ! いい加減諦めてよ!」

「そうはいくか! 俺の寝床がかかってるんだよ!」


 言って、俺は脇に抱えていたものを突き出す。


「今日こそ勉強してもらうからな!」


 教科書とノート。小学生にとっての必需品。それは目の前の少女ミズキにとっても例外ではない。


「だーかーら! イヤだって言ってるでしょ!」

「駄々をこねるな!」

「ほっといてってば! おっさんのくせにつきまとって!」

「失礼な、俺はまだ24だ!」


 ぎゃあぎゃあ言ってくるのに負けじと言い返す。

 だが、俺だってただ小学生の言葉にムキになっているわけじゃない。


「あっ」


 ミズキが声を上げる。なぜなら彼女の背後に逃げ場はなく、背後には美しいマリンブルーしかないから。そう、俺は言い争いの間に彼女との距離を詰めていたのだ。


「もう逃げられないぞ」

「ぐ……」

「さ、観念しろ」

「……わかったよ」


 言うと、肩を落として俺の方へとトボトボと歩いてくる。

 まったく、手間をかけさせやがって。まあいい、あとは大人しく勉強してもらうだけ。それで俺のここでの寝床は安泰あんたいだ――


「スキありっ」

「え?」


 どんっ。


 が、しかし。そんな言葉とともに俺に浴びせられたのは――なんとりだった。

 素早い回し蹴りが腰へクリーンヒット。とはいえ小学生の蹴りだから、さほど痛くはない。

 問題は、予想外の衝撃でバランスを崩してしまったことだった。


「ちょっ」


 ぐらり、と身体が揺れる。大して幅が広くもない防波堤で、重心が投げ出されるのは避けられない。そしてそれがもたらすことといえば、たったひとつ。


 ざっぱーん!


 大きな水しぶき。直後にやってくる無重力感。俺は無茶苦茶な泳ぎで必死に全身を動かして、


「っぷはあ!」


 やっとの思いで海面から顔を出す。すると、俺の顔に影が差す。


「ばーか、ひっかかったな!」


 べー、と舌を出してきた。かと思えば、すぐさま走り去っていく。


「あっ、おいこら! 待て!」


 力の限り叫ぶが、おとなしく待つはずもなく。無人の港なので誰かがやってくるわけもなく。

 残されたのは、ちゃぷちゃぷと海に浮かんでびしょ濡れの24歳男性がひとり。


「……なにしてんだ、俺」


 むなしいつぶやきは、無情にも波の音にかき消されていった。

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