第4話 母のくちぐせ4

 時計から、午前十一時を知らせる音楽が流れた。まだ客は来ていない。世間の大半はカレンダー通りの生活を送っているため、当たり前だが平日の朝に客が来ることは滅多にない。それでも稀に、誰かへの贈り物や自分へのご褒美を求めて来店する客もいる。

 ところで今日は稀な日らしい。ちりりん、店のベルが鳴った。

 頬杖をついていた右手をさっと下ろし、カウンターから立ち上がる。

「いらっしゃいませ」

 ぱっと目に入った印象は、綺麗な白髪と少しばかり丸い背中。来店した老婆が風夏の容姿を目に留めて言った。

「あれまぁ、若いお嬢さんだこと」

 すると夏空が自分の存在をアピールするかのように、珍しく背後から奇声を発した。あまりの甲高い声に肩が跳ねた。どうしたんだろう、いつもは静かにしてるのに。思わず振り返ってしまったが、はっと接客中であることに引き戻された。

「すみません、驚きましたよね」

「…あんれまぁ、赤ん坊も連れているの」

 老婆が度々目を丸くするので、風夏は小さく頬をかいた。気分を害さなかっただろうか、この方は特に初めてのご来店だ。風夏に懸念が過ぎった。

「はい、弟なんです」

不安げに口を開いた風夏の心配を余所に、老婆の返答は存外優しいものだった。

「そう、頑張っているのねぇ」

 柔らかく目を細めて言う様はまるで自分たちのこれまでを知っているのかと思わせる。目尻にくしゃりと寄るしわが何とも特徴的な笑顔だった。何故かその微笑みが、くすぐったくも心地よく感じられて、風夏は顔をこっそりと綻ばせた。

 そんな風夏に、老婆がゆったりと話しかけた。

「どれ、私に花を見立ててくれないかしら。きっといいことを教えてあげられるわ」

 はて、いいこととは。目を瞬かせながらも、言われて風夏は店内を見渡し、ひとつの小さな白い花に目をとめた。

「この子、いかがでしょう」

 カウンターにことり、鉢植えを置いた。

「あらまぁ。可愛らしいね。私の髪と同じ色」

 老婆が自身のお団子頭にそっと手をやり、嬉しそうにふふっと笑った。と束の間、眼差しが変わった。先ほどとは異なる空気感が重たい。

——どうしたんやろう。なんだか、お婆さんの見た目も違うような…。むしろこれはお婆さんと言うよりも、

 風夏の思考は、老婆の凛とした言葉で遮られた。

「よく覚えておきなさい、これがあなたの選んだ道。引いちゃいけないの。まっすぐ進んでお行きなさい」

 唐突な話だ。脈絡のない、意味も不明だ。だがこれを無視するには、あまりにも高慢なように思える。

——一体なんのことやろう。や、まずは返事しなくちゃ…

 だが喉が貼り付いて声が出ない。体が強張っているらしい。困ったように眉が下がっていく風夏に、老婆がわかったね、と優しく、力強く念を押した。

「は、い」

 絞り出した声は掠れていたが、それで良しと、老婆は元の緩やかな雰囲気を纏って件の花と一つの球根を買って帰ったのだった。

 件の花、それはプリムラ。花言葉は「運命を切り開く」。

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Another World かっぱ、のち、てぃーぬ。 @hossy4

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