第3話 お仕事

 晩御飯を食べ終わり片づけをしていた際のこと。

 「仁のお仕事は、しょどうか? でしたよね?」

 「あぁ、そうだぞ。それがどうかしたか?」

 「いえ、和室にあった掛け軸は仁が書いたものなのかと思いまして」

 アンナを通した和室には確かに俺が書いた掛け軸が飾られているが名前は雅号を使っているので書に興味のない人間には俺とは分からないだろう。そもそもロシア人であるアンナに日本語のそれもかなり崩れた行書体を読むことができるのだろうか?

 「あぁ、あれな。去年俺が書いたものだ。読めるのか?」

 「いえ、文字はよくわからないんですがなんとなく……おじいちゃんからは自慢の孫だとよく作品を見せられていたので」

 「そうだったのか、まぁ最近はさっぱり賞も取れなくなってきてるけどな」

 「そうなのですか?」

 「残念ながらな」

 「あの、書いてるところ見てみたいんですけど……」

 おずおずといった感じでのお願いだ。

 「あぁ、いいぞ」

 

                  〇〇〇


 片づけを終えた俺はアンナを2階の俺の部屋へと招いた。

 部屋は机と座布団、本棚とベッドしかない簡素な部屋だ。部屋中に墨の匂いが充満しており、馴れないアンナは顔をしかめた。

 床にはボツになった作品が丸めて投げ捨てられている。

 「ここで書いてるんですね」

 器用に丸まった半紙を避けながらアンナがつぶやく。

 「来月コンクールがあるからな、散らかっててすまないな」

 「いえ、大丈夫です」

 机の前まで移動した俺は硯に墨を注ぐ。

 注いだ墨でさらに固形の墨を擦り、より濃い墨を作る。このほう墨の乗りが良いのだ。

 興味深そうにアンナが手元を覗いてくる。

 半紙をセットし、筆巻きから筆を取り出して墨へと浸ける。

 一連の動作を終えアンナの方を見る。

 「何書いてほしい?」

 「なんでもいいですよ」

 「了解、それじゃあ今月小学生の生徒に出してる課題にするか」

 今月の課題は 「命」 だ。バランスの難しい字だがシンプルゆえに美しい文字だ。外国人受けもいい。

 サラサラと半紙に書いた字を見てアンナが息を漏らす。

 「凄いですね。筆が意思を持ってるみたいに動きますね」

 「面白い表現をするな。意思を持ってるみたいか……そうだな筆先までどれだけ意識を持っていけるかが綺麗な字を書くコツなのは確かだ」

 「そうなんですね。……あの私も書いてみていいですか?」

 胸の前で手をもじもじさせながら上目遣いでのお願いだ。

 わざとか天然かは知らないがソレはあざと過ぎませんかアンナさん。

 「あ、あぁもちろん」

 筆を渡し、場所を譲る。

 新しい半紙をセットしてやり、さっき俺が書いた物を隣に置く。

 「これをお手本にして書いてみな」

 「分かりました」

 少し緊張した感じで筆に墨を付ける。

 筆先がプルプルと震え、恐る恐る字を書き始める。

 じわっと墨が半紙に広がり筆を中心に墨の●が広がっていく。

 「あっ」

 ばっと筆を放し驚いたようにこちらを見る。

 「滲んでしまいました」

 「ためらうとそうなるんだ、失敗してもいいから思い通りに書いていいぞ」

 「分かりました」

 そしてまた半紙に向き直り今度は一息に一画目を書く。続いて2画、3画と勢いよく続き、記念すべき初めての作品が完成する。

 「仁のようにうまく書けません」 

 少ししゅんとした感じで俺の字と見比べる。

 「そりゃあ初めてだしな。俺が何年書いてると思ってるんだ?」

 「それでも自分の下手さが嫌になりますね」

 「そんなことないだろ、ポイントは押さえてるしよく書けてると思うぞ。それにアンナにとっては異国の文字だしな。上出来だろ」

 「そうですかね?」

 首をかしげながら筆を置く。

 もう一枚半紙を用意してやると目を輝かせながら筆を取った。

 しっかり集中しながらイメージトレーニングをしている。たっぷりと時間をかけてようやく書き始める。

 さっきよりも上手く書けた字を見ながら満足気にうなずく。

 「さっきより上手く書けました」

 「だな、かなり飲み込み早いな」

 「ありがとうございます。もう少し書いてもいいですか?」

 「もちろん、好きなだけ書いていいぞ」

 半紙を袋ごと渡してやる。

 「ありがとうございます!」

 こちらとしてもこんなに楽しそうに書道をしてもらえるとは思っていなかったので嬉しい限りだ。

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