9月6日(火)ピンポンの速度でラリー出来る人
昨日、10ウン年ぶりに養成所時代の友人に会ってきた。
一緒に通ったのはたった1年だったし、養成所を出てからは付き合いもなかったので本当に久しぶり。
生きてさえいれば縁があればまた会えるとよく言うが、「生きとったんか、ワレ」の凄みをリアルで感じた。
彼女はあの頃のままで全く変わっていなかった。
コロナ禍をきっかけに絵の勉強を始めてついに先日個展を開いたのだ。
その行動力たるや本当に関心したのだが、なにより「速さ」が気持ち良い。
養成所時代の他の友人の話になり、その子のTwitterを聞くとその場でDMを出していた。それくらいフットワークが軽い。
私ならとりあえず個展が終わって落ち着いたら連絡してみようかなとか、なにかワンクッション置いてしまうと思うのだが、彼女は「会いたい!」ので、「会う!」なのだ。
自分もせっかちな性分だが、ここまでくると見ていて清々しい。
そんなおかげで、昨日の今日で(しかも朝のうちに!)もう次回のランチ会で会う予定が決まってしまった。そうそう、そうだった。この速度感、本当に気持ち良い女だ。
私は友人にしても、仕事にしても、縁の濃度を速度で測る。
自分の速度で進まないモノに関しては縁が薄い、もしくは無いと判断する。
仕事に関しては信用度にも関係する。
深い関係になる人とはトントン拍子で会うことになるし、どんなに気が合っても、好きでも、やり取りが日をまたぐような人とはどうしても疎遠になってしまう。
メールやLINEでやり取りをすることが多いからこそ、返事を待たせたり自分が仕事のボトルネックになってしまうようなことを避けたい。
でも、誰でもやむを得ない事情でどうしようもないときだってある。それでも待たせるときは「ちょっと待ってね」の一言を返すのに5秒いらないだろう。それが出来る人はその辺の意識が同じだろうから友人になれる。
どうして私がこんなに「速度」こだわるのかというと、
コレって、要するに「時間の尊重」が出来ているかどうかなのかなと考えた。
相手の時間、自分の時間、だ。
時間とは命の長さだ。
無意識で、私の命をぞんざいに扱う人とはいられないと判断してるんだろう。
たった5秒「返事するのに時間がかかります」と返信する時間を私のために使ってくれない人には私も渡せる時間はない。
同じ理由で平気で遅刻する人間も信用できない。
命をフルに稼働させて人にあったり仕事したりしてる人が好きなのだ。
しかし面白いもので、返信の速度は早いけどやり取りのタイミングが合わずにちぐはぐな感じになる人というのもいて、やはりそういう人とも心許せる友人にはなりにくい。
逆に、そんなせかせか追い立てないでくれという人だっているだろう。時間の流れ方も命の使い方も人によって全く違う。メールやLINEのやりとりの速度が自分と合うかどうかというのは、その辺の価値観を簡単に測るツールになってくれていると思う。
コミュニケーションのラリーには気持ちの良い速度というのがある。
それが合う人とは友人になれる。
滞る取引先とはトラブルが起こる前に早めに手を切れる。
経験上、素晴らしい仕事をする人は問い合わせへの返事が本当に早い。逆もしかりなので、かなり信頼できる判断基準だと思っている。
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