4/12(火)まるで修行

ひたすらPCに向かって音声作品の編集をやっている。

波形をにらみつけて小さなノイズをひとつひとつ取り除いたり、音を整えたり、効果音を探したり作ったり……。


最後にそれらを組み合わせていく作業が一番好きだ。

チクチクとひたすら針を刺し、大きくて綺麗なタペストリーが出来るみたい。

パッチワークを作るのに似ているなと、いつも思う。


……が、なぜだろう。

特にノイズを探して消す作業や音を整える作業をしている間はいつも、

過去にあった辛かったこと、屈辱的なことなど、

胸糞悪いことを思い出し続けてしまう。


昨日はなぜか先日読んだ「イノサン」という

フランス革命時にいた死刑執行人が主役の漫画に出てくる、

貧民たちのひどい地獄みたいな暮らしぶりを思い出してムカムカしていた。


ワンクリックですぐに消えてくれるノイズはいい。

だけど、セリフにかぶっていたり

何の音だかわからない地響きのようなものが入っていたりするとき、

いろんな機能を使ってなんとか消そうと試行錯誤する。


その隙を付くように、その記憶たちは滑り込んできて

ままならないノイズと一緒に私をいらつかせるのだ。


視覚で波形と聴覚で音を長時間照らし合わせながら雑音を探す。

これはなにか記憶をほじくり返す効能でもあるんじゃないか?と私は思っている。


それにしても辛過ぎる。

活舌が悪い自分を呪う。リップノイズが乗りやすい構造をしている己の口を呪う。

どこかでマンションの裏階段をドシドシ上がってくる人を呪う。


このままではいつか音声編集妖怪を生んでしまうのではないかというくらい

心のコンディションが悪くなる。


……私、編集作業は向いてないかもしれない。なんてへこんだこともあったが、

他の作業は好きなのだ。

効果音を手作りするのも楽しいし、

組み合わせて演出をつけていくのなんて寝食忘れるくらい夢中になれる。


同じようにコツコツ作業を進める手芸ではこんなことを思ったことないのに、

どうして音声編集作業は呪い産みマシーンになってしまうのだろうと考えた時、

やはり、特にノイズ消し作業というのは

基本的に「失敗」を消していく作業だからなのではないかと思う。


故意ではないとしても失敗して乗っかったものを、

わざわざ時間をかけて消す作業をさせられる。

これが心のどこかで恨みつらみになって、

同じような引出しに入っている記憶を引きずり出してくるのではないかと。


そして、思うのだ。


こ……、心が狭すぎる……。


ノイズが消えればよりお客さんが聞きやすくなるのだからいいじゃないか。

しかも、99%は自分の技術不足のせいだ。

ぐぎぎぎ……。


本当にびっくりする。もう少し大人になれていたと思っていた。

自分に迷惑かけられて自分でブチ切れているようでは、

私はまだまだ修行が足りない。


整音作業、心の狭い人間には出来ない仕事です。

私の心の治安を守るために、ここだけでもどなたか請け負って頂けませんでしょうか……。

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