第3話 鬼子母神の呪
長かった梅雨も明け、夏を予感させる眩しい日差しが窓から差し込んでくる。
目を覚ました和眞は、布団の上で大きなあくびを一つした。
朝ごはんを食べようと起き上がったとき。
リリリン、リリリン。
けたたましい電話の音が鳴った。寝巻のまま急いで駐在所の電話に出る。
「はい、寺町駐在所、明石です」
「若いお巡りさんか!? わしじゃ! 天龍寺の和尚じゃ!」
和眞が勤務する寺町駐在所が担当する地域は、その名の通り寺や神社が多い。天龍寺ははその中でも一番古くからある。和尚は仙人のように白い顎髭の老人で、たまに正造と将棋を指しに来るので和眞もよく知っている。
「和尚さんですか、どうしました?」
こんな早朝から電話をしてくるなんて、ただ事ではないだろう。そう思いはしたが、和眞の予想の斜め上を行くことを言われた。
「墓から、骨が盗まれた」
朝食を諦め、高速で制服に着替えた和眞は、まず正造の家に電話する。ことの次第を伝えると、自分も後から行くので先に現場に行ってほしいと言われた。
自転車に飛び乗り、天龍寺へと急ぐ。駐在所から天龍寺は南に十五分ほどいった山の中腹にある。和眞は持てる限りの力で飛ばし、七分で到着した。全身が汗だくになっている。
「お巡りさん! こっちこっち!」
門の前で白い割烹着を来た女性が手を振っている。確か和尚の息子のお嫁さんだ。自転車を止めて、墓地へと案内される。
天龍寺の墓地は広い。サンダルで小走りに前を行くお嫁さんを追いかける。入口近くの整理された区画にある墓は比較的新しいが、林の中にある墓たちは古く、苔むした墓石が点在しており、彫られた名前が読めるものはほとんどない。
高い木の陰に隠されるような、奥まった場所に和尚が立っているのが見えた。隣には息子もいる。
「お父さん! お巡りさんが来ましたよ!」
和眞は和尚たちに短く挨拶をしようとしたとき、和尚の前にある大きさ直径一メートルくらいの穴があることに気が付いた。ここからでは暗くて中はよく見えないが、掘り返された土が穴の隣にこんもりと盛られている。
「朝早くからすまんのぉ」
「いえいえ。これは一体……」
「私が朝、花に水やりに来て見つけたんです」
そう言ったのはお嫁さんだ。
「昨日、墓地の扉の鍵を占めるときにはこんな風にはなっていませんでした」
和尚の息子が言う。彼は寺の跡を継ぎ、住職を勤めている。墓地の入口には背の低い木戸に、申し訳程度に南京錠をつけているらしい。息子は昨日、閉門時間に誰もいないか一通り確認してから鍵をかけた。和眞が急いで入口まで戻って見てみれば、力づくで押し開けたのか、木戸がゆがんでいた。
「この程度だったら簡単に壊せるな……」
そこに息を切らして正造がやってきた。和眞は今聞いたことをそのまま伝えながら和尚たちのもとへ歩く。
墓を前にて正造は「あらまぁ」と呑気な声で驚いた後、
「盗まれたのは、こちらの仏さんの遺骨?」
と聞いた。和尚はうなずく。
「本堂の仏像やら賽銭箱は無事じゃ。わしらの家の方もなんともない。墓地に忍び込んで、
墓だけ荒らしていったようじゃ」
「このお墓、どなたのものなんです?」
穴の近くには三・四十センチほどの丸い苔むした墓石が転がっているだけで、法名を書いた卒塔婆もない。
「それが昔のものらしくての分からんのじゃ。少なくともわしの代の仏さんではない。先代の記録を調べてみんと……」
「うわっ」
和眞たちと和尚が話している間、懐中電灯で穴の奥を照らして見ていた息子が、短い悲鳴を上げた。どうしたのかと一同は穴の傍による。
「これ、見てください」
息子が懐中電灯の光とあてる。和眞が目を凝らして見ると、そこには白い何かが浮き出ている。
「土葬されたものみたいです」
白い何かは、骨だった。
「骨壺が盗まれたわけじゃなかったのか」
さすがの和尚も青ざめて言う。
「天龍寺さんは土葬も受け付けていましたっけ?」
「いや、正造さん。うちは火葬しか受け付けておらんよ。じゃが何十年も前と土葬のものも多い……」
そこで、もっとしっかり調べてみようということになった。和尚の息子と和眞の二人は、さらに穴を掘ることにした。骨を傷つけないよう慎重に少しずつ土をどかしていく。
だんだんと露わになっていく骨の数々に、和眞は思わず目をそむけたくなる。人骨を見るのは、父の葬儀の時以来だ。胃がムカムカして気持ちが悪い。
和尚の息子は見慣れているからか、さっきから眉をひそめてはいるが、一つ一つの骨を丁寧に外へ出した。
その結果、次のことがわかった。
盗まれたのは、頭の骨――つまり、骸骨のみだということが。
あの後、和尚たちは墓の主を調べると言った。被害届を出すのは、それが分かってからにしたいそうだ。和眞はもしかして殺された死体がこっそりと天龍寺の墓地に埋められたのではないかと思ったが、他の古い墓石と同様のものが使われていたことや和眞の目から見てもかなり昔に埋められた骨であると分かったので、その考えを捨てた。ひとまず正造は駐在所に戻ることになった。和眞は改めて天龍寺の人々に詳しく事情を聞いたが、誰も不審な音などには気づかなかったという。
天龍寺は山の中腹にある寺なので、周りに民家もない。聞き込みをしたところで、あまり意味がなかった。
しかしいったい、何が目的な犯行なのだろう。墓泥棒というのは、骨壺の中にある指輪など価値の高い金品を狙うものが多い。あるいは有名人の遺骨であるとか。誰のものかも分からぬような、忘れさられた墓の骸骨だけを何故盗んだのだろうか。
天龍寺では墓地の入口をより頑丈な戸に作り直すことにし、和眞も近辺をこまめに巡回するようにした。
しかし、肝心の犯人の行方はしばらく分からずじまいだった。
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