第2話-終


 グツグツと煮え立つすき焼き鍋を前にして、ギンの涎が垂れそうになっている。

「やっぱり肉だぜ」

 まだ赤いままの牛肉を箸でつまんで口の中に放り込んでいる。

「ギン! わたしも食べたい!」

「こら! お前ら野菜も食べろ!」

 和眞は行きつけの飯屋に、雪路とギン、そして美鈴を連れてきていた。

 例によって事件解決のお礼と称して、雪路を飯に誘い出した。犬神の件は彼の式神であるギンの活躍も大きかったので、一緒に連れてきた。もうひとりの式神である、少女の姿をした美鈴だけをのけ者にするのも気が引け、結局4人で飯屋にやってきた。

 予想外に大所帯になってしまい、財布の中身が心配になる。美鈴はともかく、ギンは肉が好きだと言っていたし、たくさん食べそうだ。

「和眞、僕が出すぞ」

 隣に座る雪路が耳打ちしてきた。

「大丈夫だ。ここは俺のおごりだ」

 やせ我慢しながら胸を張る。実際は新米警官の安月給に比べたら、名家の坊ちゃんである雪路の方が金を持っているだろう。だが、これは心意気の問題である。

「それより、全然食べていないだろ。一番食べなくていけないのは君だぞ」

 鍋に入っていた菜箸で煮え立った肉をつまみ上げて、雪路の解きたまごが入ったお椀にひょいっと入れてやる。

 雪路は食べるのが遅い。今のうちに肉を確保してやらないと、ギンにすべて食べられてしまいそうだ。

「ふん、余計なお世話だ」

 雪路はぶっきらぼうに言い放ち、小さな口に肉を入れた。和眞は今度は菜箸で白菜をわさっと掴み、自分のお椀の中に入れた。

 アツアツに煮た白菜を、冷たい解き卵に絡めて豪快にかっこむ。数回噛んだ後にごくっと飲み込んだ。

「なあ、呪術師の仕事は辛くないか」 

 うるさくじゃれ合っているギンと美鈴を放って、雪路に話しかける。

 雪路はなかなか噛み切れないのか、まだ咀嚼している。

「呪いというのは、哀しいものだな」

 人間の負の感情を嫌というほど見せつけられた。雪路は呪術師を生業としている以上、ことあるごとにそれに触れなくてはいけないだろう。

 ようやく一口分を呑み込んだ雪路が口を開いた。

「同情しているのか?」

 いつも余裕しゃくしゃくで、人を小馬鹿にしている癖に、このときは無表情だった。

「違う」

 感情のない瞳を、和眞は真正面から見つめ返した。

「君は、たくさんの人を救っている」

 呪詛で死ぬかもしれなかった母子も、憎悪に苦しむ従業員の男も、さまよえる犬神の魂も、雪路がいなかったら救えなかったではないか。

 その気持ちに偽りはない。目は口ほどにものを言うのだから、信じてくれと思いながら視線に力を込める。

 伝わったのかは定かではないが、雪路は肩の力を抜き、「僕は町の嫌われものだよ」

と、いつもの決まり文句を言って自嘲した。

「そんな風に笑うな」

 今度は和眞が怒りを込めて言う。強い口調に、雪路は笑みをひっこめた。

「ただ、哀しい場面ばかり見てしまうと君自身が辛くならないかと心配になっただけだ」

 和眞は思い出したように鍋に手を伸ばす。煮えすぎて野菜がぐずぐずになっている。

 隣が静かなので、また怒らしてしまったかと窺えば、きょとんとした顔をしていた。

 意表をつかれたときの、子供のような素顔だ。

「雪路?」

「そんなこと、初めて言われた」

 想定外のことだったのか呆気にとられている。

 そんなに変なことを言っただろうかと反芻してみるが、特におかしなところはない。首をひねっていると、雪路はぷっと噴き出し笑い始めた。

 最近、雪路は和眞の言動を見て、突然笑いだすことが増えた。

「おい、また馬鹿にしているな」

「……くっ……やっぱり、素直な奴だと思っただけだ……っ」

 途切れ途切れに言葉を紡ぐ様は、笑いをこらえきれていないのが丸わかりだ。 

 大笑いされて苦々しいが、爆笑する雪路を見ていると、容姿のとおり無邪気な少年に見える。その顔を見るのは、悪くない。

「あっ、和眞! テメェまた変なこと言ったんだろ!」

 笑い転げる雪路に気づいたギンが和眞の許に詰め寄ってくる。

「和眞さん、お肉のおかわり食べたいです」

 いつの間にか鍋は空っぽになっていて、美鈴が可愛らしく上目遣いでおねだりしてくる。

「もう食べてしまったのか? 肉のおかわりはいくらだ……? って、君はいつまで笑っているんだ」



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