第2話-4

 道中、ギンに何度話しかけても、鋭い三白眼で睨まれるだけで、ろくに会話をしてくれなかった。和眞はついに諦めて沈黙のまま目的地へと向かう。

 数日前やってきた民家の前にたどり着く。玄関で声をかければ老人が出てきたので、再度鶏小屋を調べさせてほしいと頼んだ。

 おじいさんは快く許し、自分は家の中にいるので勝手に色々見てくれて構わないと言った。和眞は帽子を取りお礼を言った。この間もギンは一言もしゃべらずに後ろに居るだけだった。

 畑へとまわると、鶏小屋があった。凄惨な鶏の死骸は片付けられており、どす黒い染みが木板に残っているだけで、中はからっぽだった。

「……どうだ?」

 和眞はギンの様子をうかがうと、三白眼を大きく見開いて鼻をならしている。

「……こりゃ犬神の仕業だ」

 と、ついに口を開いた。

「やはり、そうなのか……」

 野犬の姿を探しても見つからないはずである。念のため、池の方も確認しておこうと、和眞はギンを地主の豪邸へと連れていくことにした。

 初夏の田んぼ道を歩いていく。深緑に芽吹く草たちが道端に勢いよく飛び出していた。

「なぁ、犬神……お前じゃなくて暴れている方の犬神だが、なにが目的だと思う?」

 同じ立場のギンなら分かるのではかと問いかける。また無視されると思ったが、答えが返ってきた。

「決まってんだろ。自分を犬神にした奴らへの復讐だ」

「粗末に扱われたのが許せないからか?」

「違う。お前、何も知らないのか」

 ギンは射殺さんばかりに、目を吊り上げて和眞を睨んでくる。だが、和眞はこの程度ではひるまない。まっすぐに見つめ返して、教えてくれと訴える。しばらくにらみ合っていたが、ギンは視線を外しぼそぼそと話し始めた。

「犬神の作り方は酷いもんだぜ。まず犬を生きたまま土の中に埋める、首だけ出してな。近くに餌を置かれるが、決して食べさせちゃくれない。飢えが限界に達したとき、首を斬られる。その首を四辻に埋められて多くの人間に踏ませる。掘り出して祀れば完成だ!」 

 最後は自棄になったように声を荒げて吐き捨てた。

「お前にわかるか!? 目の前に餌をぶら下げられて、食えない飢餓の苦しみを!」

 怒りのままにぶつけられる言葉に、和眞は何も言いかえすことができない。

「なぜ人間のためにそんな思いしなくちゃいけない? 私利私欲のためにどうしてそんなことができる? 俺はずっと殺したいと思っていたね」

「……だが、君は夜崎家の犬神なんじゃないのか?」

 人間のために働いているじゃないかと問えば、ギンは嫌悪感を丸出しにして否定する。

「俺は夜崎家がつくった犬神じゃねえよ。もとは四国の呪術師の犬神だった」

 戸惑う和眞を見かねて、ギンは雪路との出会いを懐かしそうに語りだした。

 ――ある時、主人の命を受けて夜崎家を呪いに行った。夜崎家は呪術師として有名だったからな、誰かに依頼されたか、商売敵をつぶしたいのかしたかったんだろう。 

 当時の夜崎の当主はすでに雪だった。まだ十歳だったけど、あいつは呪術師としての腕前は本物だからな、呪詛を返されたよ。

 あ? 呪詛返しも知らねえのかよ! 呪いを受けたときに、仕掛けてきた術者にそのまま跳ね返す呪法だ。式神を使った呪詛を返されたら、使役しているその式神に殺される。

「俺はこれ幸いとして、俺を犬神にした術者を食い殺したよ」

 ギンは舌なめずりをした。にやりと上げた口角から、鋭い犬歯が飛び出ていた。

「その後、無人になった家をどうしたもんかと思っていたら、雪が俺を呼んでくれた」

 ――ねえ、一緒に来る?

 今よりさらに幼く、本当に小さな少年だった雪路の姿を思い出して、ギンは三白眼を細める。

「それ以来、俺はずっと雪の式神だ」

 和眞は黙ったまま話を聞いていた。

 身勝手な人間の都合で犬神にされたギンに、人間である自分はかける言葉が見つからなかった。 

 少し触れられた雪路の過去もまた、和眞の胸を締め付けた。そんなに小さなころから命を狙われるような思いをしてきたのか? 十歳の子供が呪詛で狙われるってなんだ?

「おい、勝手に感傷に浸るなよ」

「いや……」

「とにかく、今暴れている犬神は、最初に自分を犬神にしたやつらを探しているはずだぜ。あの苦しみと恨みは忘れることはできねえ」

 地主の豪邸にある池に来ると、ギンは先ほど同様に鼻を鳴らして「ここも同じヤツの仕業だ」と呟いた。

 すべてを終えたころには、あたりは赤く夕焼けに染まっていた。和眞は、ギンに明日屋敷に行くと雪路に伝えてくれるように頼み、駐在所に急いで戻った。


 正造には「呪詛がかかわっている可能性が高い」とだけ話した。

 通常の勤務を終えた正造は近所にある自宅へと帰っていく。駐在所は普通、警察官がそこで暮らして常駐するものだが、和眞がやってきてからは一人でそこを使わせてもらうことになった。年老いた正造は、近くにある家に家族と住んでいる。和眞が来る前も近所の人には駐在所にいなかったら家に直接来るように言っていたらしい。(それが許されるのか分からないが、事件の少ない寺町駐在所というのと長く勤める正造だから成り立っていたのだろう)

 和眞は駐在所の奥にある居間の畳に、ごろんと横になった。

 制服から着替えもせずに仰向けになって、シミの付いた天井を見上げる。

 ――雪以外の人間が嫌いなだけだ。

 ギンの言葉を頭の中に響く。

(そりゃ嫌いになるよな……)

 教えてもらった犬神の方法によれば、ギンが遠い昔、ただの犬だったということだろう。動物を残虐なやり方で神にしてまでも、家の繁栄を祈る必要があるだろうか。

 知れば知るほど、呪詛というのは恐ろしくて哀しいものだ。人間がおそろしい生き物であると思い知らされる。それを扱う呪術師も、また同様だ。 

 雪路が生きてきた世界は、深くて昏いものだったのではないか。

 今回、雪路は不動産屋から依頼を受けて仕事をしている。呪詛は基本的には請け負っていないと正造は言っていたが、誰かに依頼されて呪詛を行ったことはないのであろうか。

 儚げな美少年の見た目とは裏腹に、口が悪く不遜な男。町の人から忌み嫌われている怪しい呪術師。

 胸の中に渦巻く靄は晴れることのないまま、瞼を閉じているうちにそのまま眠ってしまった。


「やっぱり犬神の仕業だったか」

 ギンから粗方報告を聞いであろう、雪路が言う。翌日、和眞は宣言とおり彼の部屋を訪れていた。

「ああ。犯人は分かったわけだが、どうすればいいのやら……」

 五月も半ばになれば、だいぶ暖かい。雲ひとつなく晴れており、むしろ暑いくらいだった。いつもは湯飲みで茶を出す美鈴も、気を効かせてか氷の入った麦茶のグラスを出してくれた。

「犬神って皆ギンみたいに話せるのか? 見つけ出して説得できないだろうか」

 その問いに雪路は首を横に振る。

「ギンは術師が作った式神だから人型も取れる。素人が作った、しかも一代までしか祀っていないのなら、もっと曖昧で本能で動くような獣みたいなものになっているんだろう」

「そうなのか……」

 がっくりと肩を落とす和眞を見て、雪路はカラカラと笑う。

「自分だけではどうしようもできない和眞に、僕から良い報せがある」

「おい……」

 相変わらず尊大な言いようだ。この前は熱であんなにしおらしかったのに……。

「僕は最初にあの犬神を作った人間の行方を調べていたんだ。もし本人や親類が近くにいれば襲われるかもしれない」

 和眞はごくごくと麦茶を飲み干しながら、目で続きを乞う。

「幸か不幸か、血縁者はいなくなっていた。子供が出来なかったり、事故でなくなったり……それが犬神の影響かはわからないが」

「そうか」

 ギンは、犬神にした者に復讐するだろうと言っていた。だが、その相手がすでにいないとしたら、犬神はどうするのだろう。目的が果たせぬまま、ぶつけるところのない怒りをもって暴れ続けるのか。

「和眞、犬神の呪法について聞いたんだね」

 それも銀髪の式神から聞いたのだろう。和眞はうなずく。

「前に犬神を作った痕跡を見つけたと言ったよね。あれは庭に首だけない犬の骨があったことだったんだ」

「ああ、そういうことだったのか……」

 雪路は呪法と関わりがない和眞に気をつかって、ざっくりとしたことだけを伝えていたのだなと今更に気が付く。

「胴体と離された首を一緒にして弔ってやれば、もしかしたら犬神の気も少しは収まるかもしれない」

「それはそうかもしれんが……首を祀ってあった祠は壊されてしまったんだろう?」

 直前の家主が家庭菜園のために取り壊したという話ではなかったか。

 雪路はおもむろに臙脂の風呂敷につつまれた四角いものを取り出した。丁寧に広げていくと、中から両手のひらで収まるほどの桐箱が現れた。

「これが祀られていた犬の首の骨だ。さすがに祠に祀られていたものは無碍にできずにお寺に収めたそうだ。昨日、これも取りに行っていた」 

 それを見て和眞は気分が一気に浮上した・

「さすがだ! これで成仏してくれるかもしれないな」

「だと良いが……。和眞、一緒に来るか?」

 問いかけているが、それは以前のように顔色を窺うものではなく、確信しているような言い方だった。

「当たり前だろう!」

 力強く答えて和眞は立ち上がった。

 部屋を出たところに、ギンが両腕を組んで立っていた。

「俺も行く」

 切れそうな程鋭い目つきで睨んでくる。和眞は頷き、雪路は微笑んだ。

 三人で揃って屋敷を出るが、「あっ」と和眞が思い出したように声を出した。どうしたのかと雪路に問われると、

「ちょっと寄ってくところがあるが、先に行っていてくれ」

と言って行先だけ聞いて走って行ってしまった。残された雪路とギンは顔を見合わせたが、まあ後程合流するだろうと歩きだした。

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