第2話-3


 目の前に広がる悲惨な様子に和眞は思わず目をそむけたくなった。

 朝から通報を受けて、寺町の民家の畑にやってきている。

 家の人に案内されたのは、畑の横にある小さな鶏小屋だった。

 中は、血まみれだった。

「なんですか、これは……」

 八羽ほどいるはずの鶏たちは、噛みちぎられたかのように胴体がバラバラになっており、そこらじゅうに血が飛び散っていた。

「朝、卵をとりに来たら、このざまです。うちの大事な鶏たちが……」

 この鶏小屋の主である老人が肩を落として項垂れる。

 小屋の鍵は壊れていて、開きっぱなしだった。鶏たちの傷を見る限り、野犬に襲われたのではないかと予想がたてられた。

「昨日、晩飯の後に畑を身に来たときは何もなかったんです」

「では夜に物音か何かを聞きませんでしたか?」

「とくには……。あっ犬の遠吠えのようなものを聞きました」

「やはり野犬の仕業かもしれませんね」

 和眞はある程度聞き終えると、近くの民家にも聞き込みに行った。なにかを目撃したものはいなかったが、犬の遠吠えを聞いたという者は数人いた。

 駐在所へ戻ってきた和眞は、正造に一連のことを報告する。

「野犬か……。腹を空かせたやつが山から下りてきたのかもしれないね」

「そうですね。人にまで被害が出ないといいのですが。見回りの範囲も広げてみます」

「まったく。昨日まで暇だったのに、急に物騒な事件が起こるもんだ」

 正造はお気に入りの湯飲みで茶を飲みながら愚痴をこぼした。


 数日後、和眞は寺町に住む名のある地主の豪邸に呼ばれた。

 急いで駆けつけてみれば、中庭にある大きな池の鯉たちが無惨な姿でぷかぷかと浮いていた。池の水は、茶色く濁ってしまっている。

 いずれも噛み千切られたように頭がなかったり、尾だけが浮いていたりした。

 鯉の状態を見れば、これも野犬の仕業に違いないと思う。

 だが、この豪邸は和眞より背の高い塀に囲まれていて、夜はしっかりと門が閉ざされている。

 調べてみても塀に穴が開いていたり隙間ができていたりすることもなかった。まさか野犬がこの高い塀を乗り越えて侵入してきたのか。

 泥棒ならいけるかもしれないが、人間の歯ではこんな風に鯉の身を噛み千切れないであろう。そもそも池の鯉を噛み殺す人間がいるのか? 

 地主も深夜に犬の遠吠えを聞いたという。 

 豪邸のまわりや田畑など広い範囲をくまなく見回りを行ったが、野犬は見つけられなかった。夜にしか動いていないのかもしれない。

 駐在所に戻り、正造に不可解な点を相談すれば、宙を仰いだ後にポンと手を叩いた。

「和眞くん、夜崎の坊ちゃんに相談してみたらどうだい?」

「えっ? まさか今回も呪いか何か関わっていると……?」

「あの豪邸に忍び込むなんて、泥棒だって無理だよ。和眞くんも見ただろ? あの絶壁の塀。猫ならともかく、犬がのぼれるとは思えない。また不可思議な何かがかかわっているかもしれんぞ?」

 鶏や鯉を殺すような呪いがあるのかは謎だが、雪路に話を聞くのはいいかもしれないと思った。怪しげな類でなくても、彼は頭がいい。なにかしら糸口を見つけ出すかもしれない。それに、また様子を見に行くと言ったのに、最近の事件で行けていない。約束を果たすにもちょうどいい。

「明日行ってきてもいいですか?」 

 上司に許可を求めれば、笑って快諾してくれた。


 夜崎の屋敷を訪ねると、美鈴が出迎えてくれた。

 初対面ではよそよそしかったのに、今では満面の笑みを向けてくれる。先日の看病で一定の信頼を得たらしい。

 トコトコと歩く美鈴の後にゆっくりとついていき、雪路の部屋に訪れた。

 いつもの着物姿の雪路が文机に向かって、小筆で何か書き物をしていた。

「もう大丈夫なのか?」

「うん。もう平気だ」

 顔色はだいぶ良くなっている。熱ももうないそうだ。

 美鈴が座布団を引っ張り出してくれたので、薦められるまま座った。雪路は筆をおき、和眞に向きなおった。

「今日はどうかしたのか?」

「ああ、実はちょっと相談があってな。君の意見を聞かせてもらえないかと――」

 和眞は野犬の仕業と思われる二つの事件について説明した。

 相槌を打っていた雪路だが、話を聞き終えると黙ってしまった。きっとまた何か思案しているのだろうと、和眞は美鈴が小さな手で運んできてくれたほうじ茶を飲みながら待つことにした。

 窓に視線をむければ、庭に青紫のあやめが美しく咲いているのが見えた。人手がない割に、庭の草花はきれいに手入れされている。がらにもなく、鮮やかに咲く花を見るのも良いものだなと和眞は思った。

 深い思考から戻ってきた雪路が声を発した。

「僕が今受けている仕事と関わりがあるかもしれない」

「なに!?」

 予想外の返答だった。 

「どんな仕事なんだ?」

「それは――」

 ある不動産屋からの依頼だ。 

 もっている不動産の一つが、曰く付きの物件なのだと。古いが立派な家屋で立地などの条件が良いのに、住む人に必ず不幸が訪れるという。不吉なことが起こり、すぐに出ていってしまい、なかなか住みつかない。 

 この家に問題がないか調べてほしいという。

 この家に住んだものが、必ず言うのは――

「毎夜、犬の遠吠えが聞こえるそうだ」

 犬の遠吠え……最近、よく耳にする言葉だ。和眞は腕を組み、ううむと唸った。

「実はギンに頼んでいたのは、その家のことだったんだ。調べてもらった結果、庭に犬神を作った痕跡があった」

「犬神……? それはギンのことではなかったのか?」

 混乱して首をひねると、雪路はふふんと笑って得意げに説明してくれた。 

「犬神は主に四国地方で行われていた呪法だ。犬の霊を家に憑依させて、その家を繁栄させるというもの」

 ということは、ギンは夜崎家に憑いている犬神だということか。呪術師の家に生まれた男はたんたんと話を続ける。

「犬の霊は代々に渡り、神として大切に祀らければいけない。粗末に扱えば逆にその家に災厄をもたらすといわれている。今の時代に犬神を作ろうなんて人はあまりいないだろうね。犬神の痕跡もかなり古いものだったし……犬神は家に憑く式神だから、人間が出て行った後も家に残ってしまったのかもしれない」

 次にその家に住んだ人は犬など知らないだろうから、きちんと祀ることはなかっただろう。だから次々に不幸に見舞われたのかもしれない、と雪路が言う。

「その犬神がなぜ今になって鶏や鯉を食べるのだ?」 

「直前の家主が家庭菜園のために、庭にあった祠を先日壊してしまったそうだ」

 雪路は深いため息をついた。

「今までの家主は、祠を壊すと罰が当たりそうだからそのままにしていたそうだが、今回の人は気にしない阿呆だったみたいだね」

「そうか。それで犬神は怒っているんだな」

 おそらく、と雪路はうなずく。

「まだ憶測の域だ、犬神の仕業と決まったわけではない。ひとまず被害があった鶏小屋と池に行ってみてくれないか?」

「ん? 一緒に行くのではないのか?」

「僕はまだ調べなければいけないことがある。……ギンを連れて行ってくれ。同じ犬神の仕業なら、においでわかるはずだ」

 ギン、と雪路が名前を呼ぶと、いつからか部屋の外に待機していたのか、襖ごしに返事が聞こえた。

 和眞が襖を開けると、仏頂面でたたずむギンがいた。

「早く行くぞ」

 不機嫌そうに顎をしゃくられた。

 こいつと二人で行くのか……? と不安になり振り向けば、

「いってらっしゃい」

と、雪路がにこにこしながら手を振っていた。

 和眞は仕方なく腹を決め、急いでギンを追いかけた。

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