第2話 犬神のつくりかた


 狂いそうなほど、腹が減っている。

 今意識を繋いでいるのは、

 あいつらを噛み殺してやりたいという猛烈な殺意だ。

 あの子は無事だろうか。

 同じような目に遭っていないだろうか。

 たとえこの身が朽ち果てようと、

 全身を焦がすこの恨みが消えることなど 

 未来永劫、ないだろう。


 

  本日も明石和眞巡査は寺町駐在所で暇を持て余した。

 たった一人の上司である正造は、柔らかな午後の陽気に誘われて椅子に座ったまま先刻より舟をこいでいる。

 和眞は所内の片づけや書類の整理を行っていたが、それもすぐに終わってしまった。今日は落とし物の相談もない。正造が起きたら、少し早いが見回りにでも行こうかと思っていた、そのとき。

 りん、と鈴の音が聞こえた。

 硝子戸の向こうに赤い着物姿の小さな女の子が立っていた。おかっぱ頭の黒髪に鈴のついた髪飾りをしている。見覚えのある幼女に、和眞は駆け寄った。

「夜崎のところの子じゃないか!」

 引き戸を開けて声をかける。女の子はびくっと身体を震わせたが、つぶらな瞳で和眞を見上げてきた。

「和眞さん、ですか?」

「そうだ。俺が明石和眞だよ。雪路はどうかしたのか?」

「ぬし様、倒れた。助けて」

 黒曜の瞳から涙があふれたかと思うと、泣き出してしまった。

「ぬし様って、雪路のことか? なにかあったのか!?」

 幼女はえんえん、と泣くばかりで答えてくれない。とにかく雨ヶ崎の屋敷に行こうと、正造を叩き起こした。涙を流す少女と血相を変えた和眞に、寝起きの正造は驚いたがすぐに状況を理解して「行ってきなさい」と送り出してくれた。

 和眞は礼を言うと、巡回に使う自転車を引っ張り出して乗った。少女をどうするか一瞬悩んだが、緊急事態だと言い訳して前のカゴにひょいと小さな身体を載せて走り出す。

 全速力で漕ぎ、夜崎の屋敷がある山を駆け上っていく。


 途中で自転車を止めて、古い木の門の前まで少女を抱きかかえて走ってきた。

 石畳の道を抜けて玄関に入ろうとしたとき、声がした。

「誰だテメェ」

 振り向けば、銀色の短髪の青年がいた。年は二十くらい、和眞よりは少し下であろう。白の和装に身を包み、三白眼で和眞を睨みつけてくる。以前、屋敷に来た時は見かけなかった人物だ。

「勝手に入ろうとしたな?」

 説明をと口を開く前に、怒りを露わに問いつめてきた。

「ギン!」

 腕の中にいた少女が、青年に向かって言った。

「美鈴!? なにやってんだ、そんなところで」

「わたしが呼んだの! ぬし様が大変なの!」

「なに!?」

 ギンと呼ばれた男は、彼女の言葉に慌てて自らも玄関へと足を踏み入れた。和眞はなにがなんだかわからぬままに、男の後をついていく。

 立派な板張りの廊下を走っていくと、男が和室に入っていくのを見て、和眞も続いた。

 和室には布団が敷かれており、額に濡れた布を載せた雪路が横たわっていた。

「雪路! 大丈夫か?」

 和眞の呼び声に瞳を閉じていた雪路が「んん」と反応し、瞼を開けた。

 大きな瞳をきょろきょろと動かした後、和眞を見つけると驚きに口をあけた。

「和眞? なぜこんなところに……?」

「わたしがお呼びしました。ぬし様、大丈夫?」

「おい、雪! 大丈夫なのか!?」

 ギンと少女は雪路のもとへと血相を変えて駆け寄る。和眞はそれを茫然と立ったまま見ていたが、ひとまず雪路が無事でよかったと、詰めていた息をふうと吐いた。


「騒がせたな」

 男と幼女を落ち着かせると、雪路は半身を起き上がらせて和眞に謝った。いつもの紺色の和服ではなく、寝巻のような白い浴衣を来ている。

「起き上がって大丈夫なのか?」

「たいしたことはない」

 今日は晴れて気温も高いが、昨日までは雨が続き肌寒くなっていた。雪路は身体を冷やしてしまい風邪を引いたらしい。なかなか熱が下がらない主を心配して、彼に仕える少女、美鈴が和眞に助けを求めに駐在所までやってきたのだった。

「ギンがいないから、わたしだけじゃ心細くって……」

 美鈴は潤んだ瞳でごめんなさい、と続けた。

「ったく、今日帰ってくるって言っておいただろうが」

 男は呆れて一息漏らした後、美鈴の小さな頭をぐしゃっと撫でまわした。

「和眞は初めて会うな、こっちはギンだ。今まで仕事のお使いをお願いしていていたので、屋敷にはいなかったんだ。ギン、こっちは明石和眞巡査。駐在所に新しくきた警官だ」

「明石和眞巡査だ。よろしくな」

 雪路に紹介され挨拶するが、不機嫌な顔のギンに無視される。初対面だというのにどうやら自分のことが気にいらないらしい。

「ギンは人見知りなんだ」

「違えよ。雪以外の人間が嫌いなだけだ」

 妙な言い回しがひっかかり、首をかしげる。今の言い方だと、自らが人間でないような。それとも若くして人間嫌いなのか……? と疑問に感じていたら、雪路が苦笑いをして答えてくれた。

「ギンは犬神なんだ。僕に仕えてくれる式神」

「式神?」

「僕は呪術師だからね。美鈴も式神だぞ」

 驚いて少女を見れば、可愛いらしく微笑んで頷いた。まるっきり人間にしか見えない。

「そういえば、子猫の名前も美鈴ではなかったか?」

「はあ? その猫が彼女だよ。術で人型にしている」

 初めて訪れたときに見かけた小さな黒猫。あれと彼女が同一人物だというのか。あっさりと言われてしまったが、和眞は眉を上げて驚愕を露わにした。夜崎家はもともと陰陽師の血筋だと聞いていたが、呪法に詳しいだけでなく実際に使えるんだなと感心してしまう。

 丑の刻参りの一件から、和眞は呪いの存在をだんだんと信じるようになっていた。

「他にご家族やお手伝いはいないのか?」

 大きな屋敷なのだから、他の人はいないのだろうか。不思議に思って尋ねると予想外の返答が来た。

「……この屋敷には僕一人で住んでいる。普段は美鈴とギンがいるよ」

 式神の他には、広い屋敷に雪路一人だけ。道理で前に来た時も今も、しんとして人気がないわけである。

(十の時に先代が亡くなったと言っていたが……。まさかずっと一人だったのか?)

 なんと言葉を返せばいいかわからずに、雪路をじっと見つめる。顔が蒸気していて赤くなっている。よく見れば、苦しげに浅い呼吸を繰り返していた。

「君、全然治っていないだろ!? 寝ろ!」

 和眞は起き上がっていた半身を無理やり、だがゆっくりと布団に沈めた。唖然としたままの雪路の額に手のひらをあてれば、想像よりはるかに熱い。

「美鈴! 水を入れ替えて、冷たい布を載せてやれ!」

「ギン! 台所に案内しろ!」

 と、式神ふたりに指示を出す。美鈴は慌てて動きだし、ギンは渋々だが立ち上がり和眞を部屋の外へと連れだした。

 雪路はその様子を横目で見ながら、ぼんやりと霞み出した視界にそっと目を閉じると、そのまま意識を失った。


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