第1話-終
数日後、和眞と雪路はうどん屋にいた。
「へい、おまち」
ほかほかと湯気が立つ、月見うどんがテーブルに二つ置かれた。ぷるんとした色鮮やかな黄身と桃色のかまぼこと茹でたほうれん草が載っている。匂いたつ鰹だしの香りに唾液が出てしまう。
いただきます、と二人同時に手を合わせてから、いざうどんに箸を入れる。コシのあるうどんをちゅるちゅるっと啜った。
「うまい!」
「……美味しい」
雪路は猫舌なのか、一気に啜らずにふうふうと息を吹きかけてから一口一口、細切れに小さい口の中に入れている。
「しかし、本当に平太は捕まえなくてよかったのか?」
丑の刻参りの呪いで逮捕することはできないが、雪路は殺されかかったのである。殺人未遂で現行犯逮捕しようとしたところ、当の雪路に止められた。
「もうしないと約束してくれたからね」
泣き崩れる平太を必死に諭し丑の刻参りを二度とやらないと誓わせて、家に帰してやったのだ。次の日、平太は田島屋を辞めた。
坂上神社の神主、瀧からも藁人形を見かけなくなったと報告を受けた。香名子も原因不明の痛みに苦しむことがなくなったという。
「雪路がいいなら、いいが……」
「いい。……しかし、和眞に助けてもらうとはな」
雪路は不機嫌そうに口を尖らせた。
「あっ! そういえば、丑の刻参りは見つかっても目撃者を殺せばいいなんて物騒な情報は前もって教えておけよ」
「……さすがに警察官と一緒なら大丈夫だと思っていたんだ」
「お前なぁ! そんなひょろっこい身体しているんだから、無茶するんじゃない」
真剣に話しているのに、雪路はふん、と言って聞こえない振りをする。こいつ、本当に成人しているのか?
「無事だったらからいいが……。それにしても平太は身勝手なやつだ。もともと田島屋が香名子さんに岡惚れしたことが原因だろう? それは香名子さんのせいだと勘違いして」
「あー、それはあながち間違いじゃない」
言いづらそうに雪路が否定してきたので、弾力のある麺の歯ごたえを楽しみながら、理由を尋ねる。
「気づかなかったのか? 香名子さんは妊娠8か月、喜八郎さんと昌枝さんが離婚したのが去年の十月。つまり別れる前には赤ちゃんが出来ていたんだ。香名子さんはむしろ子供が出来たからと田島屋さんに結婚を迫ったんだろう」
「なっ……!」
「僕は昔なじみだから知っているが、彼女はとてもしたたかな女性だぞ」
和眞の脳裏には触れたら消えてしまいそうなほど儚げに微笑む香名子が浮かぶ。その姿からは到底信じられない。
「和眞。僕は君がどこぞの女性に騙されないか心配になってきたぞ」
ニヤニヤと意地の悪い笑みが憎たらしくて唇をかむ。
「……なぜ平太が昌枝さんのことを好きだと気づいたんだ?」
「平太さんは香名子さんのことを絶対に奥様と呼んでいなかった。他の人は呼んでいたから、平太さんの中では奥様は昌枝さんだけなんじゃないかと思って。それに普段おとなしい従業員が店主に意見するなんて、よっぽどのことだろう」
和眞はまったく気づかなかったので、愚鈍な自分に落ちこんでしまいそうだ。
「平太は昌枝さんに思いを伝えないのか? 呪うほど好きだったろうに」
「うーん、伝えないだろうね。夫婦になりたいという思いとは少し違うんだと思うね。近くにいるだけで満たされるというか……」
「俺にはよくわからんな」
「頭まで筋肉でできた和眞には、繊細な男女の機微などわかるはずがない」
さきほどからガキの見た目をしたやつに馬鹿にされて、面白くない気持ちになる。
テーブルに置いてあった七見を食べかけのうどんに振りかけた。勢いがよすぎて大量にかかってしまったが、気にしない素振りで一気に啜ると思いっきりむせた。
「大丈夫か? ほら水」
雪路に差し出されたお冷のクラスを受け取りあおる。
「ごほっ……すまん」
「いい。……それにしても、お礼なんていらなかったのに」
今日は捜査協力のお礼がしたいと和眞が言い出し、うどんをご馳走するからと雪路を連れてきた。
「僕は仕事として報酬はもらっているぞ。それに不本意だが助けてもらったし」
「助けたのは警官として当然だ。いいんだよ、もとはといえば俺がお願いしたんだから」
それに年齢不詳だが、おそらく年下に馳走になるわけにはいかない。新米巡査の和眞とて年上としての矜持があるのだ。
雪路は納得がいかないのかまだぶつぶつと言っていたが、極上のうどんを頬張るうちに黙った。相変わらず食べるのは遅いが、一口ずつ噛みしめて美味しいと目を細めている。
麺を食べ終えた和眞はその様子を満足そうに眺めて、どんぶりにかぶりついて汁を飲む。
「なぁ、このうどん屋は来たことなかったんだろ?」
「は?」
今日来たのは、甘味処と行くか迷ってやめたうどん屋だ。店に来てからの雪路の反応を見る限り、実際に来たことはないようだった。。
驚いた雪路は食べていた箸を止める。
「……噂は聞いていたが、僕はあまり町に出ないようにしているからな。だから今日は……ついてきてやったんだ」
としれっと言って、うどんを食べるのを再開した。
――僕はこの町の嫌われ者なんでね。
だから街中をおいそれと出かけないようにしているのか?
「あー、なんだ。俺もこの町にきたばかりだからな。どの店がうまいとかは知らないんだ」
「? そうだな」
これだけ敏いところを見せておきながら、和眞が今言いたいことは伝わっていないようだ。
「だから教えてくれ。できれば、一緒に行ってくれ」
真正面から見据えて、まっすぐに投げつける。
雪路は、きょとんと目を丸くした。普段は高慢で不遜な態度のくせに、その表情は童顔のせいでどうにも愛くるしい。
「……僕と一緒にいると嫌われるぞ」
と、冗談に聞こえるようにふざけて笑った。和眞はその言い方が無性に腹が立ったのでそっけなく言う。
「おい、俺は君をこの町で初めての友だと思っているぞ」
「……和眞も相当な変わり者だな」
うどんを食べ終わるころには、二人の体にはじんわりを温かさが染みわたっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます