第1話-6
今宵が新月でよかった。
呪いの成就に今夜ほどおあつらえ向きな夜はない。
街の明かりも届かずに、山は暗闇が支配している。
草木を眠る丑三つ時とは、よく言ったものだ。
黒の外套に身を包んで、夜に溶け込んで山道を進む。
あと少し。
あと少しであの女は死ぬ。
焦燥と高揚がらせんのように交差して、叫びだしてしまいたい気持ちになる。
これで、あの人が返ってくる。
嬉しくて、嬉しくて、涙が出そうになる。
私はこんなにも、あなたを愛している。
大木の前までくると、羽織っていた外套を脱ぎ捨てて、あの女に見立て藁人形を取り出した。
口角が上がるのを止められない。
幹を背にした藁人形に、五寸釘を押し当てる。
ああ、これで――。
釘を突き刺すために、右手に持った金槌を大きくふりかぶって……。
「そこまでだね」
声がした。少し高めの子供みたいな声。
音の方を振り返れば、和服の少年とランプを持った警察官が立っていた。
「やはり貴方だったか……。平太さん」
左手に藁人形、右手に金槌を持ったひょろ長い優男が目を見開き驚きで固まっている。田島屋の従業員の平太であった。纏っている白装束が、闇の中にぼんやりと浮かんでいる。
店に戻りあることを調べ終えた後に、和眞たちは一度解散し、深夜にふたたび合流した。田島屋の裏口にて二人で息をひそめて待ち、出てきた人影を気づかれないよう尾行した。
「……な、ぜここに、あなたたちが……」
絞りだされた平太の疑問に、雪路が答えた。
「身重な香名子さんはしばらく散髪にも行っていない。髪の毛を集められるのだから、犯人は田島屋の人間だと思っていました。あなたなら簡単に手に入れられるでしょう。最初はあなたが昌枝さんのために手伝ったと思っていたのですが」
平太は金槌を握りしめたまま黙っている。雪路は話をつづけた。
「昌枝さんの話を聞いてからちょっと調べてみたんです。昌枝さんは跡継ぎが生まれないことから義母の千代さんに散々にいびられていたそうですね。嫁姑の仲はひどいものだったようです」
香名子に対して異常に優しく構う千代を見ているので、その正反対だったと思えば想像するにたやすい。昌枝への当たりは相当強かったのだろう。戻った後、田島屋で働く若い女をつかまえて、こっそりと話を聞いてきたのだ。
「昌枝さんは長年の状況に耐えかねていた。別れるときに十分なお金も貰っていましたし、たしかに怒り苦しんだでしょうが、丑の刻参りをするほどとは思えませんでした。……平太さん、あなた近々田島屋をくびになるそうですね?」
「……っ!」
図星なのだろう、平太は血走った目で雪路を睨みつけた。
「昌枝さんが田島屋を出される際に反発した従業員はお前だったそうだな。それが原因で喜八郎さんの不興を買ってしまった」
これも店員に聞いた話だった。
「長年働いていたのに理不尽に思うのは分かるが、こんなことをするなんて――」
「和眞、違うよ」
途中で優しく肩をたたかれた。
「平太さんは……昌枝さんのことが好きだった」
えっと愕いて平太を見れば、唇をかみしめてうつむく。
そして、震えるような声で絞り出すようにしゃべり始めた。
「……奥様はこんな私にも優しくてしてくださった。口下手でうまく接客できない私に在庫の管理を回してくれたんです」
働き始めたばかりの頃、おどおどしていて、店先で客と満足に話もできなかった。喜八郎には怒鳴られてばかりで、もう店にはいられないと思ったとき、昌枝が仕事の配置を変えてくれた。
『平太は細かい作業が得意だからね。着物の生地や帯の仕入れ管理の仕事の方が向いていると思うんだよ。平太が一番得意なことを頑張ってくれればいい』
たくさんの生地の種類を覚えて管理しなければいけないのは大変だったが、話術が必要な店頭の接客よりずっと気が楽だった。元来、地味な作業が得意だった平太だが、何より昌枝が自分の長所を見出し仕事を任せてくれたのが嬉しかった。
別に平太だけが特別だったわけではなかった。昌枝は従業員を一人一人をよく見て、店がうまく回るようにしていた。みんなの中の一人だとしても、平太は涙が出るほど嬉しかったのだ。それ以来人一倍一生懸命に取り組み、力を発揮していき、布の取りまとめまで任されるようになった。
「奥様はよく人を見ていらして、信頼してくださる素晴らしいお方だ。それなのに、旦那様は芸者の女にそそのかされて呆気なく奥様を捨てた……!」
いくらお子ができなかったからって、奥様を追い出すなんてあんまりじゃないか。気が弱い平太はそれまで誰かに歯向かうなど生まれて一度もしたことがなかったが、この時ばかりは同じように奥様を慕う従業員からの意見をまとめ、喜八郎に進言したのだった。
それを受けた喜八郎は、烈火のごとく怒った。一蹴し、平太をとりまとめ役から外し、平太が苦手とする店先の接客に戻した。
しかし人とうまく話せないうえに年もいっていた平太は、客からも不評だった。喜八郎は客から苦情があがっているとして、近頃くびを言い渡したのだった。
「赤ん坊ができたから何だというのだ……! それは奥様があまりに可哀相ではないか。あの女が悪いのだ、あの女がいなくなれば、奥様が戻ってくるかもしれない。あの女さえいなければ」
また一緒に働ける。平太の目からは次々と涙が溢れて、地面にこぼれ落ちていく。
「平太さん、ご存知でしょう? 丑の刻参りは誰かに見られたら叶いません。もう諦めなさい」
雪路が平太に近づき、震える肩にそっと手を添えて諭すように優しく声をかけた。
「夜崎……そうだ、見られたら失敗。だが、お前こそ知っているだろう?」
平太は涙を垂れ流したまま、にやりと笑みを浮かべた。
「見た者を殺せば、呪いは続行できる!」
手にしていた金槌を勢いよく振り上げた。
とっさのことに雪路は思わず目をつぶることしかできない。
次の瞬間に訪れるだろう衝撃を覚悟するが、現実となることはなかった。
恐る恐る目を開けば、目のまえには大きな体が盾となっていたからだ。
「大丈夫か!?」
和眞は両手で金槌を必死に受け止めていた。ありったけの力で金槌を引っ張ると、そのまま自分の身体へ巻き込むようにして平太を背負い投げた。
けたまましい音がして、平太は林の中に吹っ飛ばされる。
荒い呼吸のまま後ろを振り向けば、きょとんとした顔の雪路がこちらを見上げていた。
「無事のようだな」
平太が金槌を振り上げた刹那、和眞は飛び出した。身体が反応してくれてよかったとしみじみ思う。
どかどかと草木の中に倒れている平太の許までいき、胸倉をつかみ上げた。
「お前! 逆恨みもいい加減にしろ! 田島屋さんのことも! 昌枝さんのことも香名子さんのことも! すべて当人たちの問題だ! 昌枝さんに頼まれたわけでもないくせに、結局は自分のために無関係の赤子にまで手にかけようとするなんて!」
静寂を切り裂いて、和眞の怒鳴り声が森の中を響き渡る。
「だいたいそんなに昌枝さんが好きなら、別れた後に思いを告げて一緒になってくださいと頼めばよかっただろう!」
「そっ、そんな恐れ多いこと、私は考えたことも……!」
「呪う方がよっぽど大それたことだろうが!」
胸倉を掴み上げたまま、怒りに任せて平太の体をガクガクとゆさぶった。
「和眞、そのへんにしておけ」
呆けていたはずの雪路がなだめてきたので、和眞は仕方なく平太を離した。冷たい土の上に平太の体がどさりと落ちる。
「平太さん、変わってしまったことは、もとには戻せないんです。たとえ香名子さんが死んだとしても、田島屋さんはまた新しい女の人を妻にするでしょう。昌枝さんが戻ってくるとは限りません」
平太は倒れたまま、己が身体を抱きこむように丸まらせた。
「呪詛というのは、必ず返ってくるものです。もし成功しても貴方になにかしらの不幸として返ってきます。僕は呪いで不幸になる人を見たくありません。どうか誰かの不幸を願って生きるのではなく、あなたの幸福のために生きてください」
雪路は柔らかい微笑みを浮かべて語り掛けると、平太は嗚咽をもらして泣き続けた。
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