第1話-5
雪路と別れた後に駐在所に帰った和眞は、正造にことのあらましを報告をした。
「はっはっは、和眞くんなら坊ちゃんと年も近いし、気があうと思ったんだ。この件は君に任せるから、彼と一緒によろしく頼むよ」
と豪快に笑って和眞の肩をばんばんと叩く。思わず苦笑して首を縦に振った後、愉快そうに鼻歌を歌う正造に話しかけた。
「……正造さん、少し聞きたいことがあるのですが――」
翌日の午後三時、和眞は中心街からふたつ隣の駅にいた。
平太に聞いたところ喜八郎の前妻・昌枝はこの町に住んでいるらしく、雪路と駅前に落ちあう約束をしたのだ。
数分すると昨日と似たような紺色の和服を着た雪路が現れた。
「君はもっと明るい着物は着ないのか?」
と言ったら無視されて先に歩き始めたので、追いかける。
昌枝の家はここから歩いて三十分ほどだ。
「今朝、駐在所に瀧さんが来たぞ」
午前中に、気の毒なほど精気のない顔をした坂上神社の神主である瀧が交番に顔を出した。手には釘が刺さった藁人形を持っていた。
『今朝もありましたよ……っ、捜査は進んでいるんですか!?』
和眞を見つけると掴みかかって大丈夫なのかと訊いてきたので、今日には必ずなんとかすると宥めて帰ってもらった。
「やはり呪いは続けられているね」
昨日と打って変わって、空には鈍色の雲が立ち込めはじめている。あいにく傘の用意がない。雨が降らないことを祈るばかりだ。
昌枝の家は田畑の中に点々と存在するうちの一つだった。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、ちょうど本人が出てきた。
田島屋の元女将は、化粧っけもなく地味な顔をしていた。年は四十くらいか、目元には細かく刻まれた皺がある。和眞は故郷の漁村で働く女たちを思い出した。突然訪問してきた警察を目のまえにして不安げな表情を浮かべている。
和眞は職権を使い、「事件の調査」と言って家の中にあげてもらった。
だが、いざ目の前にすると、なんと切り出していいかわからない。
昌枝は平凡な暮らしを営んでいる普通の人間にしか見えない。もっと憎しみに目が血走った般若を想像していたので、毒気を抜かれてしまった。一向に話を始めない警官に、昌枝はますます困惑している。
「田島屋さんが何者かに悪質ないたずらをされているみたいでして、その調査をしているんですよ」
いつぞや自分が呪いにした表現をつかって、さらりと雪路が口火を切ってくれた。
「いたずら……?」
「ええ。田島屋を長い間切り盛りされていた昌枝さんなら、誰か心当たりないかと思いまして……」
詳しいことは言わないまま、昌枝に問いかける。昌枝は顎に手を当てて、記憶をさぐるように考え込む。
「いえ……、特に心当たりは。去年までは何もありませんでしたし」
「失礼ですが、一昨年までというのは昌枝さんが田島屋さんにいらしたとき、ですか?」
「はい。去年の十月に離縁されてからは、お店のことは知りませんから」
「そうですか……。では新しい奥様が来てからか……」
真面目に考え込むように雪路は腕を組んだ。和眞にはそれが演技だとわかっていたが、知らなかったら自然な行為と受け止めていただろう。
(なかなか演技派なのだなぁ)
一般市民(雪路は呪術師だが)が働いているのに、自分が何もせぬわけにはいかない。
「昌枝さんは新しい夫人についてどう思っていますか?」
言ってから、しまった、と思った。あまりに直球な質問だ。案の定、昌枝は眉をきりりとあげてこちらを睨んだ。
「……私が亭主を若い女にそそのかされて家を追い出された、憐れな女だとご存知の質問ですよね?」
鋭い目つきに思わずたじろぐ。従業員の面倒を見、数多の客を相手にしてきた女である。今は地味な風体をしていても、その眼光は圧を放っている。
「もしや、そのいたずらとやらも私の仕業だと疑っているんですか?」
「いえ、その……」
怒っている女性は怖い。あたふたと言葉を出せずに言いあぐねていると、昌枝はふいに肩の力を抜いてふっと笑った。
「そう思われても仕方ないですねぇ。私も四十で離縁を言い渡されたときは途方にくれましたから」
「お辛かったでしょう?」
雪路が幼けない表情で昌枝に寄り添う。見た目は儚げな美少年なので、思わず抱きしめたくなるほど庇護欲をそそられる。中身はまったく不遜で失礼な奴だが。昌枝ももれなくそんな雪路に胸を打たれたのか、少しくだけた口調で言う。
「そうねえ。裏切られたと思ったし、口惜しかったし、すごく辛かったわ。香名子さん……新しい奥さんのこと、殺してやりたいと思ったわ」
物騒な物言いに、はっとして昌枝を見つめるが、言葉とは裏腹に穏やかな顔をしていた。
「でもね、私じゃありませんよ。喜八郎とは決められた縁談でしたし、しばらく暮らしていくのに十分なお金をもらいました。それに……私は子供ができなかったから……。ずっと申し訳なく思っていたわ。だから離縁されて少しほっとしたの」
笑っているのに、瞳には哀しみが滲んでいる。和眞はいつか自分が嫁をもらったら、たとえ子が出来なくても大切にしたいと思う。だが、代々続く老舗の田島屋では立場が違う。
香名子を大切に扱う喜八郎の母の姿を思い出した。
もしかしたら、跡継ぎができない昌枝には香名子とは正反対の態度だったとしたら? 昌枝の寂しげな顔を前に、和眞の胸はぎゅっとしぼられるような痛みを感じた。
「それにお店のみんなは私を好いてくれていたんです。今も働いている従業員たちに迷惑がかかるようなことはしません」
従業員たちの面倒は実質昌枝がみており、彼らも彼女を慕っていたらしい。昌枝が追い出されるとなったときも従業員からの反発があったと雪路が言っていた。
昌枝から話を聞き終えると、突然の非礼を丁寧にわびて家を後にした。
外に出ると、空が薄紫に染まっていた。二人は駅へと戻るべく、とぼとぼと歩きだした。田畑を通り抜ける風が少し肌寒い。
しばらくお互いに黙ったままだったが、和眞は警帽をとって頭をガシガシと掻きむしって声を荒げた。
「俺には彼女が嘘をついているようには見えなかった!」
同意を求めても、雪路は首を縦に振らない。
「嘘をついている可能性はある」
「そうだが……!」
「君は本当に信じやすいな。良い人そうに見えたって腹の底でなにを考えているかなんて誰にもわからない。善良な人間の仮面をかぶって呪い殺してほしいと僕に依頼にくる人だってごまんといる」
冷たく言い放つ雪路を、和眞ははっとして見つめた。
『……正造さん、少し聞きたいことがあるのですが……。夜崎氏はなぜ町の人に嫌われているのです? 呪術師とはいえ由緒ある立派な家柄ですし、今回のように彼を頼ることもあるのでしょう?』
昨夜、和眞は正造に昨日からの疑問に思っていたことを尋ねた。いくら怪しい家業だろうとあそこまで嫌悪感を露わにするなんておかしいのではと。それまで笑っていた正造は急に真顔になった。
『先代までの夜崎家は、多額の金と引き換えに呪詛を行うことを生業にしていたのだよ。金持ちに金を積まれれば、奴らの邪魔になるものを呪詛で消してきた。だから今でもその名は毛嫌いされている』
呪術師として一番の仕事は、依頼された相手を呪うこと。金次第で呪いをひきうける悪しき一族だと、蔑まれてきたのだという。
『雪路も、ですか?』
茶屋でわらび餅を頬ぼっていた雪路。彼もその家業を引き継いでいるのだろうか。
『先代までだと言ったろう。依頼は今でもたくさん舞い込むらしいが、坊ちゃんは呪詛の依頼は基本的には請け負わないそうだ……まぁ本当のところまでは分からんが、夜崎の名を背負う以上は仕方ないだろう』
正造の言葉を聞いて、和眞はほっと胸をなでおろした。同時に胸の奥がジリっと焦げるような痛みがした。
『正造さんはなぜ雪路の仕事の仲介をしているのですか?』
雪路によれば、この町で正造だけが雪路に普通に接しているという。和眞はそれを誇らしく思ったのだ。
『坊ちゃんもわしにとって孫みたいなもんだからねえ』
小さい頃から知っているんだよねえ、と糸のような目で笑った。
この街に来たばかりの自分には、まだわからないことがたくさんある。生意気で傍若無人に見える雪路だが、深い闇を背負っているのかもしれない。無機質な瞳で遠くを見つめる雪路を見て、口の中に苦みが広がるようだった。
「雪路」
名を呼ばれると雪路は硬かった表情をいくぶんかほころばせた。
「だた、僕にも昌枝さんが呪いの主には見えなかった。呪いに手を出すほどに憎しみを抱えている人はもっと昏い目をしている。彼女はどこかすっきりとしているように見えた」
恨み、嫉み、憎しみをたくさん知っている彼が言うのだから、説得力はある。
「しかし、だとするといったい誰が藁人形で香名子さんを呪っているんだ……?」
和眞の中では、犯人は前妻の昌枝でほぼ決まりだった。しかし、有力な候補を失った今、誰が香名子を殺したいほど憎むのか、てんでわからない。
七日目の満願成就は今夜である。
呪いで人を殺せるなどといまだに信じられないが、万が一成功してしまったら。亜麻色の髪を持つ、あの美しい女性はこときれてしまうのだろうか。
「俺が一晩中見まわって藁人形を持っているやつを探すのはどうだろうか?」
無謀な策だとは思うが、何もしないよりマシである。
しかし、雪路の反応はなく、無言でなにかを思案している。呆れられてしまったかとため息を漏らした時、名を呼ばれた。
「和眞」
「なんだ?」
「もう一回街にもどるぞ」
えっと驚いて隣を振り向いた。日が落ちて、あたりはすっかり薄暗い。夕闇の中、雪路の唇は綺麗な弧を描いた。
「今夜でケリをつける」
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