第1話-4


「前妻があやしいな……」

 白玉ぜんざいを頬張りながら、和眞はつぶやいた。

 田島屋を出た後、少し休みたいという雪路が言い出した。職業柄体力に自信がある和眞と違い、見た目からして貧弱そうな雪路は方々歩きまわって疲れてしまったのだろう。

雪路は長らくこの町に暮らしているだけあり、美味い店についても詳しかった。そこそこ腹も減っていたので、うどん屋にいくか甘味処にいくか迷ったのだが、夕飯を食べるには早い時間だったので、結局甘味屋にした。

 街角にある小ぢんまりとした甘味処は、和菓子が自慢の店だという。平日だからか、店内は空いていた。

 窓際にある木彫りのテーブル席に座った。雪路はきな粉と黒蜜がふんだんにかかったわらび餅を美味しそうに食べている。

「まぁ、香名子さんを憎む理由は十分にある」

 くずれおちそうに柔らかい餅を竹楊枝に器用に刺し、口元へと運んでいる。綺麗な食べ方に、育ちの良さを感じさせた。雪路はテーブルに置いてあった紙ナプキンで上品に口元をぬぐうと、「ちょっと藁人形を出してくれ」と言った。食事中にこんな悍ましいものを出すのは少し気がひけたが、言われた通りに紙袋から釘が刺さったままの藁人形を取り出して渡す。

「最初に言ったよな? 普通、丑の刻参りでは頭か心臓を釘で刺す。人間の急所だからだ。でもこの藁人形は心臓より下――腹の部分に刺さっている」

 雪路は人形に刺さる釘を指さした。たしかに釘の位置は、人間でいうとちょうど腹部にあたる。

「最初は心臓からずれてしまっただけかと思っていた。でも、これは――香名子さんのお腹に宿る子を狙っていたんだな」

 和眞の全身に鳥肌が立った。

「では、香名子さんの妊娠を妬んでいる者の仕業か……」

 ぜんざいと共に出された玄米茶を一口すすってから、気になっていたことを切り出した。

「やはりこの藁人形の呪いのせいで彼女は体調を崩しているんだろうか」

「おや? 呪いなど迷信じみたものを信じないのでは?」

 屋敷での言葉を厭味ったらしく突きつけられて、うっ……と唸るが、言い訳するように反論した。

「実際に香名子さんには原因不明の不調が起きているではないか」

 雪路はこれ見よがしにため息をついた。

「警察官がそんなに信じやすくて大丈夫か。妊娠のときなんて原因のはっきりしない不調などいくらでも起こりえるだろう」

「な、君がそれを言うのか!」

「明石巡査の将来は心配だが、今回は助かるね。ご推察の通り、香名子さんに影響が出てしまっている」

 釘を突き刺された痛々しい人形を、雪路は細い指でなでている。

「なあ、君は香名子さんとはもとから知り合いだったのか?」

「前に花街で仕事の依頼があったときに、お店にいた芸者さんだったんだよ。煌びやかな色街では裏で愛憎がひしめいてるからね。昔からお得意様が多い」

「うっ……そうなのか……。なぁところで君何歳なんだ? 成人してると言ったが俺より年上か?」  

 落ち着いた立ち居振る舞いや老舗の大旦那にも物怖じしない態度。見た目が華奢な美少年のせいで子供扱いしたくなってしまうが、実年齢はいくつなのだろうか。 

「年齢などどうでもいいだろう。明石巡査は数字で人を判断するのか」

 雪路はわらび餅をひょいっと口へと入れた。

「そんなことないが……なあ明石巡査と呼ぶのはやめてくれないか? 慣れなくてむず痒いんだ」 

「じゃあ和眞」

 いきなり下の名前で呼ばれてどきりとしてしまう。だが不遜な雪路らしくもあると少し可笑しくなる。

「あ、ああ。では俺も雪路と呼ぼう」

 なんだか学生の頃の友人のやり取りのようで照れくさい。生意気な雪路に文句を言われるかと思ったが、特に反論はなかった。

「しかし、雪路はいつから夜崎家の当主になったのだ?」

 雪路はわらび餅を口に入れ咀嚼してからごくんと嚥下した。

「先代は僕が十の時に亡くなったからそれ以来だな」

「そんなに早くにか……」

 予想外の答えに少しうろたえる。幼いときに親を亡くし、若くして家督を継ぐことになったのか。呪術師がどういったことを生業にしているのかはまだ和眞にはよくわからないが、名家を継ぐことは大変だろう。

「悪いことを聞いてしまった」

「いい、それより和眞こそ気味悪くないのか?」

 軽く流された後に問われるが、何のことを言われているか分からず首を傾げる。

「……呪術師、なんて不気味だろう?」

 雪路は自嘲したあと、それに、と続ける。目を伏せたせいで、長いまつげが目の下に影をつくっていた。

「正造は変わり者だが違うが、他の警察官は僕をインチキペテン師の扱いをしてくるが」

 雪路は目線を下に下げたまま、残りわずかとなったわらび餅を食べた。

 和眞の白玉ぜんざいはとっくに腹の中だ。早食いが癖で、そうそうに食べ終わってしまった。空になった器を見つめながら、ふむ、と考える。

「君は大変に不遜な人格だが、呪いの類に知見があるし実際にその専門家だ。むしろ捜査協力してくれる君には感謝しなくてはいけないと思っている」  

 当たり前のことを言ったつもりだったが、雪路は驚いた表情で言葉を失っている。不思議に思って見つめていたら、十秒ほどしてから呆れたようにため息をつかれた。

「……素直というか、なんというか……」

「む、馬鹿にしているな」

「むしろ誉めているよ。警察官にはむいてないけどね」

 それは馬鹿にしているのではないか、と思ったが、これ以上言うのは大人げない気がしたのでやめておいた。

「なあ、和眞は、呪いたいほど人を憎んだことはあるか?」

 いつの間にか日が傾きはじめたのか、窓から西日が差し込んでいた。大きな灰青の瞳が光ったような気がした。

「ない」

 簡潔に否定すると、「だろうな」と笑われた。君はあるのか、と訊こうとする前に雪路は話題を変えた。

「明日、前妻の昌枝さんに会いに行くよ」

「ああ。平太さんから住所も聞いたしな」

 帰り際に平太を呼び止めて昌枝の居場所を聞いた。喜八郎に怒鳴られていたひょろ長い従業員の男は、あれで昔から長くつとめている古株らしい。

 雪路がこちらをじっと見つめているのに気づき「なんだ?」と声をかける。

「……和眞も来るのか?」

「当たり前だろう。もとはと言えば俺から持ち掛けた話だぞ」

「まぁ、そう、だけど。正造はいつも『あとは頼んだよ』と放置するぞ」

 頭に駐在所で茶をすする老警官を思い浮かべる。面倒ごとは嫌いそうだ。

「これは俺が頼まれた仕事でもある。雪路が嫌がろうと付いていくからな」 

「……わかったよ」

 雪路は再びため息をついたが、照れたように頬を掻いた。

   

 

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