第1話-3
坂上神社は夜崎の屋敷があった山からさほど遠くない場所にある。古びた朱色の大きな鳥居が目印だ。杉林の中のひたすらに長い一本道の表参道を抜けると本殿がある。境内では瀧が箒で落ち葉をはいていた。連れだってやってきた二人に気がつくと、気まずそうに頭を軽くさげた。雪路がにこりと笑顔で挨拶をする。
「ご無沙汰しております」
「……あ、ああ。久しぶりだね」
「正造さんから聞きましたよ。お困りごとがあるそうで」
「う、うん、そうなんだ……」
瀧はぎこちなく返事をするばかりである。よそよそしく、あまり会話をしたくないようであった。もともとこの男が雪路に依頼したかったはずなのに、居心地の悪そうな態度だと和眞は不思議に思った。
「二、三訊いたらすぐにお暇しますから。……藁人形ですが、三日前からのものですべてですか?」
和眞にも訊いた問いである。
「……いや、正造さんのところから戻ってきた後にもう一度神社の者でくまなく探したら、別のご神木にも刺さっているのを2体見つけたよ」
「そうですか。大丈夫です、おおよその見当はついていますよ」
「っ本当か? 報酬は解決したら正造さんに渡しておくようにするから……」
「かしこまりました」
もう結構ですよ、と言うと、一刻も早くこの場を離れたそうだった瀧は安堵して、じゃあ用がありますんで、とそそくさと社務所の方へかけて行った。
「頼んでいる身だというのに、失礼な態度ではないか」
不快感を覚えて、思ったことをそのまま口に出してしまった。当の雪路は特段気にするでもなくあっさりとしている。
「僕はこの町の嫌われ者なんでね。なんせ怪しげな呪術師だから。僕に気軽に話しかけてくるのなんて正造ぐらいだよ」
だから依頼も正造が仲介することが多い、と笑う雪路に、なんとなく納得がいかずに胸の内に違和感を覚えた。
「それにしても、敬語使えたんだな。俺への態度とは全然違うじゃないか」
今度こそお灸をすえようと意地の悪いことを言ってみるが、
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。小さい男だな」
と心底呆れたように言われて、二の句が継げなくなってしまった。
「それより、やはり急いだほうがいいね」
「なぜだ?」
「藁人形は最初に話していた三体の他に二体あったわけだ。つまり合計で五体になる」
それがどうしたというのか。要領を得ない和眞に雪路はつづける。
「丑の刻参りは七日で満願と言っただろ。五体あるということは、もう五日行っている。だから……」
和眞は目を見開き、雪路をじっと見つめた。
「あと二日で、完成するということか……!」
住宅地が点々とする田園地帯を、和眞は雪路の隣に連れだって歩く。
生暖かい風に鼻をくすぐられる。頭一つ分身長が低い雪路を横目でちらりと見れば、柔らかそうな細い髪が太陽の光に反射してきらりと光っていた。
「君は見当がついている、と言っていたが……」
先ほどの瀧との会話を聞いて驚いていたのだ。
「俺にはなにが何やら。このいたずら……いや、呪いを行った犯人がすでにわかっているのか?」
雪路は和眞を上目遣いに見つめて、ふふんと鼻を鳴らした。
「丑の刻参りはもともと江戸時代に流行した庶民による呪いだ。僕のような術者が能力や式神を使うものじゃない。誰にでもできる、儀式なんだ……人形を一つ出してくれないか?」
和眞は紙袋の中からおぞましい藁人形を取り出して手渡した。
「藁人形には、呪いたい相手の名前を書いたり身体の一部を入れたりすることで効果が高まる。だから一度見せてもらったときに確認したんだけど……」
ほら、と人形の腹を裂くように藁を広げる。和眞は顔を寄せて、まじまじと見つめると藁の間に薄茶色の糸が組み込まれているのに気が付いた。
「まさか、これ……」
「そう、髪の毛が編み込まれてる」
ぞわりと背中に悪寒が走った。気持ち悪さに思わず顔をゆがめてしまう。雪路は人形をほぐして交ざっていた髪の毛を一本取り出した。
「この辺では珍しい、亜麻色をしている。僕はこの町でこの髪色をしている女性を一人だけ知ってる」
「じゃあその人が呪い殺したい相手ということか!?」
「まだ確定できないけどね。実際会ってみれば何かわかるかもしれない」
「よし、今から行こう」
「人の髪の毛を集めるのはそう簡単なことじゃない。呪いの犯人は極めて身近な存在だと思うね」
亜麻色の髪の主は、呉服屋「田島屋」の後妻・香名子というらしい。
田島屋は、中心街に店を構える老舗だ。そこの大旦那・田島屋喜八郎が若い芸者だった香名子に熱をあげ、長年連れ添った古女房を捨てて周りの反対を押し切って夫婦となった。
亜麻色の髪に、濡れたような瞳がどこか異国の血を感じさせる、美しく妖艶な芸妓だったそうだ。
歩き進むうちに、だんだんと風景に建物が増え始め、市街地へと入った。大きな通りに出れば、この町一番の繁華街に出る。
田島屋もその中の一つにあった。創業百年を超える立派な大店(おおだな)で、蔵造りの風情ある店構えをしている。雪路は暖簾をひょいと潜り抜けて中へ入る。和眞もその後に続いた。
店の中には色鮮やかな反物たちが並んでおり、中央に見事な桜の柄の着物が立てかけてある。何人かの女性客が店員とそれぞれ談笑している、
いらっしゃいませ、と店の紋入りの法被を着た、ひょろ長い五十歳くらいの男が和眞たちに気が付き近づいてきた。無理やり口角をあげたような、あからさまな作り笑顔だ。しかし敬服姿の和眞を見とめると眉をひそめた。
「明石巡査と申します。香名子夫人に少しお話があって伺いました」
「へ、へえ、香名子様のことですか……」
「平太、何をしている!」
突然野太い声がして、従業員の男がびくっと肩をふるわせた。
「だっ、旦那様……」
平太と呼ばれた従業員の背後に、でっぷりと脂ののった壮年の男がいた。店主の田島屋喜八郎その人である。
喜八郎は警官である和眞よりも、雪路を見とがめた。
「ご無沙汰しております」
目があった雪路はふわりとほほ笑みを返す。
「夜崎……なんの用だ」
睨みつけて吐き捨てるように言った。地響きのような低い声に内臓を揺さぶられる。苦虫をかみつぶしたように歪めた顔に、雪路が言っていた「この町の嫌われ者」というのはどうやら本当のことらしいと知る。
「ほ、本官がある事件に関して聞き込みに伺ったのです」
慌てて間に入るが、喜八郎は和眞を無視して「平太! さっさとお引き取りいただきなさい!」と怒鳴った。平太が弱弱しく「お客様……」と入口へと押し戻そうとしてくるのを、和眞は文字通り胸を張って阻止する。喜八郎が身を翻し店の奥へと戻ろうとするので、引き留めようとしたとき、
「田島屋さん、奥様の調子が悪いんじゃありませんか?」
と、雪路が店主の後ろ姿に声をかけた。ぴくり、と動きを止めた後、たっぷりと数十秒は沈黙が続いた。やっとのことで振り返った喜八郎は雪路と和眞を凝視して、「平太、奥へ案内なさい」と呟いた。打って変わった主人の対応に平太がおろおろと戸惑っていると、喜八郎が「早くしろ!」と雷を撃ったので慌てて和眞たちを店の奥へと通してくれた。
立派な桐箪笥のある客間で、正座した二人と、あぐらをかいた喜八郎とが向き合う。
「妻のことを知っているのか?」
ぎょろりとした瞳にすごまれる。さすが何代も続く大店の主だ。迫力のある目力にたじろぎそうになる。警官がそんなことでどうすると、自分を叱咤して和眞は藁人形の件を説明した。話を聞く間に、喜八郎のこわばった顔がだんだんと青ざめていった。
「それで、狙われているのがもしやこちらの奥様ではないかと、夜崎氏と伺った所存です」
「――田島屋さん、奥様のご様子は?」
雪路にまっすぐに見つめられて、喜八郎はうなだれた。
「一週間ほど前から、妻が体調を崩したのだ。身体を突き刺すような痛みが走るという。医者に見せてもどこも悪くないというのだ……それなのに、日に日に弱まっていくようで途方に暮れている……だが、そんな……」
今も奥の部屋で伏せっているという。まさか呪いの効果が香名子夫人の不調に現れているというのだろうか。半信半疑だった呪いというものが、少しずつ現実味を帯びてくる。和眞の額から、一筋の汗が流れた。
「奥様と少しだけお話できませんか?」
「わかった。……頼む、なんとかしてくれ。あれの腹には子供が宿っているのだ」
喜八郎は首を深く垂れた。店先とは打って変わった態度に腑に落ちないながらも、和眞は黙ってうなずいた。
きし、きし、と木板の階段を踏みながら平太の後に続いて二階へとあがる。和室の前で平太は膝をつき、声をかける。中から女の返事がしたのを確認した後、和眞たちにお辞儀をしてから階下へと下がっていった。雪路は丁寧に襖を開ける。
畳の上に敷かれた布団に入っている香名子が、半身を起き上がらせて座っていた。亜麻色の長く美しい髪を片方にまとめている。窓から差し込む光に照らされて、潤んだ大きな黒目が星屑のように輝いていた。頬が少しこけてやつれてはいるが、病床に付して尚一層の色気を放っている。
美しい女性だ、と和眞は嘆息する。香名子は艶やかな笑みを浮かべて声をかけてきた。
「なつかしゅうございますね、雪路はん」
「ええ、突然の不躾な訪問で申し訳ありません」
気安く名前を呼ぶさまを見て驚いた。雪路は香名子を知っていると言っていたが、噂や見たことがある、というわけではなく、実際に知り合いだったのか。
しかし、元芸者と知り合いとは。名家のお坊ちゃんというのはおそろしい。
「そちらは?」
流し目で見つめられ、どきりとした。
「明石巡査ですよ。正造さんのところに春から来られたそうです」
「あらぁ、ずいぶんお若い方が来はったんですね」
「明石和眞です」
挨拶すると、香名子に優しげな微笑みを返される。体温がぶわりと一度上がったのを感じた。
「先ほど喜八郎さんから聞きました。ご懐妊おめでとうございます」
雪路が祝いの言葉を述べたので、和眞も後ろで頭を下げた。香名子は顔をほころばせ、掛け布団を少しずらすと、大きくなった腹が現れた。
「ありがとうございます。今、ちょうど八か月なんですよ」
と、白魚のような手を腹へあてて愛おし気にさする。
「……最近、身体に痛みがあるとのことですが」
雪路の問いに香名子の表情が曇り始める。
「ええ……。もう安定期に入ったはずやのに、夜中身体が痛くなるんです。お医者さまにも診てもろうたんですが、どこもおかしくないから精神的なものやないかって言われてしもうて」
雪路はん、と香名子は名を呼んだ。
「あなたが来はるってことは、何かあるんいうことですよね?」
雪路は首肯し、事の次第を説明した。和眞は身重の女性に物騒な話をしていいものかとひやひやしたが、酸いも甘いも噛みわけて花街で生きてきただけあり、取り乱すことなく真剣に話を聞いている。
「じゃあ痛みの原因は、その呪いだと……?」
「おそらくは」
「雪路はんが言うならそうでしょうね……」
二人の雰囲気は旧知の仲のようで、香名子は雪路を信頼しているようだ。
「失礼ですが、誰かに恨まれるとしたら心あたりはありますか?」
香名子は思案するように宙を仰いでから口を開く。
「……芸の世界に小さい頃からおりましたから、恨まれることはあります。でも最近でいうたら、やっぱり喜八郎はんと一緒になったことやと思います……。喜八郎はん、前の奥さんを無理やり離縁しはったから……」
苦楽を共にした妻をあっさりと捨てて、若い女に乗り換えたのだ。妻からしたら到底許せることではない。
「前の奥様……昌枝はんっていうんやけど、長年子宝にめぐまれなかったみたいなんです。私は、結婚してすぐ身ごもりましたから、その……」
香名子は言いづらそうに俯いて、そっと腹に手を当てた。田島屋のような老舗にとって跡取りは大事な問題であろう。自分にはできなかった子供を、後妻が早々に身ごもった。
奪われるだけでなく、欲しかったものまで手に入れている。
そんな後妻を、憎まずにいられるだろうか。
「前妻の昌枝さんは今どちらにお住まいかわかりますか?」
雪路の問いに香名子は首を横に振った。襖ごしに廊下にむかって「誰か」と声をかけると、女性の若い女が返事をして部屋に顔を出す。
「奥様、どうかされましたか?」
「ねえ、昌枝はんの居場所って誰か知ってる?」
「え……そうですね……。平太さんならご存知かと」
「そう、ありがとう」
「お暇するときに我々が平太さんから聞いておきましょう」
雪路は香名子に向かって微笑む。
従業員の女が下がるのと入れ替わるように、白髪をきっちりと結い上げた老女が入ってきた。水差しと小さな箱を載せたお盆を持っている。
「ちょっと失礼しますよ」
「お義母さま……」
「香名子さん、起き上がって大丈夫なのですか? 無理してはだめですよ」
お盆を香名子の布団の脇に置くと、和眞と雪路の方に向いて「喜八郎の母、千代でございます」と指をついて頭を下げた。喜八郎の年を考えれば八十はいっているだろうに、背筋もしゃんと伸びて凛としたさまは、実年齢よりもずっと若く見えた。
「あなただけの身体ではないのだから、大事にしてくださいよ。これ、ごひいきさんからいただいた金平糖、あなた甘いものがお好きでしょう?」
鮮やかな水玉模様が描かれた小さな箱は、金平糖をいれたもののようだ。香名子がお礼を言うと、千代は香名子の腹にかぶせるようにずれた布団をかけなおして、和眞たちにもう一度頭を下げて部屋を出て行った。
老舗の大女将らしく厳しそうな人だが、あれやこれやと甲斐甲斐しい雰囲気だ。案外、後妻のことを大切にしているらしい。跡取りになるかもしれない子を宿しているからかもしれないが、大店の事情は貧しい家に生まれた和眞の知るところではない。
「大事にされているようで安心しました」
雪路も同じ感想を持ったらしく、微笑んでいる。
「はい。ほんまに……。お義母さまはすごく優しいんです。芸者あがりの私にも、身体を大事にしてほしいって親切で」
だから、絶対赤ちゃんを無事に産みたいんです、という香名子に、和眞たちは深くうなずいた。
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