第1話-2

和眞は地図を右手に山中を歩いていた。左手には藁人形の入った紙袋を持っている。

このあたりで一番高い山の中腹にあるという、夜崎家の屋敷に向かっているのだ。草木を踏みしめながら、坂道を登っていく。普段の巡回では足を踏み入れない山だ。野道では自転車の方が進みづらく、途中で置いてきた。春の草花が芽吹き、木々の隙間から柔らかい光が差し込む。ぴちぴちと鳥の鳴き声が頭上から聞こえてきた。

 ゆるやかな傾斜を進んでいけば、きっちりと制服を着こんだ身体は、徐々に汗ばんでくる。幾度か警帽をとり、腕で額をぬぐった。

 正造によれば、夜崎家は平安時代から続く陰陽師の家系らしい。とりわけ呪法に長けており、彼らを呪術師と呼ぶ人もいるらしい。

 警察官が呪いなんて摩訶不思議なものを信じるとは、と思ったが、駐在所のやりとりを振り返れば、瀧は本当は夜崎の坊ちゃんとやらに依頼するつもりのようだった。

 ――それこそ、神社の者から彼にお願いできないですからね。

 あれは神職の人間があやしげな呪術師に依頼するなど対外的にまずいことを言っていたのだと今更納得した。

 せっかく警察官になって頼りにされたと思ったのに使い走りにされているのだから、情けない。

 坊ちゃん、と呼ばれるように、夜崎家の現当主はまだ若い男らしい。

(いったいどんな人間なのか……悪魔とでも契約しているのか?)

 脳裏には黒い布を頭からかぶり、しゃれこうべを片手に笑う人影が浮かんだ。

 あの後正造にすぐ行くように追い出されてしまった。どこか釈然としないまま、その足で坊ちゃんの許へと向かっている。

 山の中腹をすぎたころ、背の高い木々に囲まれた大きな屋敷が見えた。武家屋敷のような日本家屋だ。こんな山奥にこんな立派な屋敷があるとは知らなかった。もしかしたら有数の名家かもしれない。ごくりと唾を呑み込んでから、おそるおそる足を踏み入れた。

「ごめんください」

 古く朽ちた木の門をくぐって玄関の前まで来ると、帽子を外してから声をかけた。

 しんとして、返事はない。聞こえなかったかと再度声をあげようとした時、ガラリと引き戸が開いた。

「いらっしゃいませ」

 玄関先に赤い着物姿をした幼い女の子がちょこんと立っている。おかっぱ頭に鈴のついた髪飾りをつけた愛らしい少女だ。この家の娘か? それともこれだけの屋敷だ、使用人かもしれない。

「ああ、すみません。自分は明石和眞巡査と言います。ご当主に相談があってきました」

「明石様、どうぞおはいりくださいまし」

 少女はこてんと小さな頭を下げた。鈴の髪飾りが揺れて、りんと音が鳴る。

 案内されて屋内へ入れば、ひんやりとした空気を肌に感じた。広い屋敷の中を少女の後ろに続いて歩き、冷えた木の板の廊下を進む。 

 襖をあけて部屋へ足を踏み入れると、少女はここで待つようにと言って奥へさっと消えてしまった。一人残された和眞は、広々とした室内を見回した。応接間とおぼしき部屋の真ん中には立派なソファとテーブルのセットが置いてある。上品に並べられた和洋折衷の家具たちがモダンな雰囲気を醸し出していた。壁際には動物の骨や水晶の玉など、奇妙なオブジェが並んでいる。なんの骨だろうかと手を近づけてみようとしたとき、

「勝手に触れないでいただきたいね」

 甘さを含んだ、心地の良いハスキーな声が響いた。

 はっとして音の方を振り向けば、美しい少年が格子戸のそばに立っていた。低めの身長だが、華奢なせいでより小柄に見える。色素の薄い猫っ毛に、こぼれそうな大きな瞳だ。すっと伸びた鼻筋、こぶりな薄い唇、そして透き通るような玉の肌。着物は紺色の無地と味気ないものだが、その分上品な雰囲気が漂う。濃紺が彼の色白をいっそう引き立てていた。

 和眞は今まで生きてきた中で、ここまでの美形に出会ったことがない。まるで精巧に作られた人形のようだと思った。少年は呆気にとられ声を出すことを忘れている和眞を鼻で笑う。

「僕が夜崎の当主。夜崎雪路だけど」

 声をかけられて、和眞はようやく我に返る。

「君が? 若い男だと聞いていたが……」

 驚きのあまり呑み込もうと思った言葉が気付けば口からまろびでていた。

「まだ子供じゃないか」

 よくて十六、七くらいである。いくら若いとはいえ、当主というからには自分よりは年上だろうと思っていたのに。

 美少年は形のいい眉をひそめた。

「僕はとうに成人しているが?」

「な!? どう見ても学生くらいにしか見えない!」

 恐ろしいほどの童顔だ。病弱な書生、というのが一番しっくりくる。

「……明石巡査は思ったことがすべて口から出てしまうらしい。警察官としては致命的な癖をお持ちのようだ」

 雪路はにっこりと愛らしい笑みを浮かべながら、するすると嫌みを口にした。しまった、余計なことを言ってしまった。和眞はすでに自分の第一印象が最悪なものになってしまったと気が付く。

 なんとか場の空気を変えたくて、こほん、とわざとらしい咳払いをしみてる。 

「し、失礼しました。浜岡巡査部長の命によりまいりました」

 雪路は和眞をじとっと見つめた後、一息吐いた。

「さっき正造から電話があった。新米警官がお使いにやってくると」

 正造を呼び捨てされたことにむっとして睨んだが、雪路はどこ吹く風で、深紅のベロア生地のソファに腰をおろした。向かい側にチラリと目線を向けたので、和眞はテーブルをはさんだ正面の椅子にいそいそと座った。

「あー、改めまして、この春から赴任しました明石和眞巡査です」

「興味ない」

 ぎこちない笑みを浮かべて挨拶をするが、雪路に一蹴される。

 完全にへそを曲げている家主に、どうしたものかと考えを巡らせていると、

「早く用件を言いなよ」

 と、じろりと睨まれる。近くで見れば雪路の瞳は灰青のような色をしている。端正な顔の造形といい、異国の血が混じっているのかもしれない。

 和眞は持ってきていた紙袋から例の藁人形をいそいそと取り出してテーブルに置いた。

「坂上神社の神主が、ご神木に刺さっているところを見つけたそうです。神主さんからは誰の仕業がつきとめてやめさせてほしいと頼まれました」 

 雪路は藁人形の一つを手にとり、目を細めてじっと見つめている。

「丑の刻まいり」

 と薄目の唇から言葉を発したあと、視線を和眞の方に戻した。

「分かるのか……?」

「馬鹿にしてるのか? あまりに有名な呪詛だ。女子供だろうと誰でも知っているね」

 俺は知らなかったが……と思ったが、馬鹿にされそうな気がしたのでそのことは黙っておく。おそらく年下のくせに、雪路の不遜な態度に若干苛立ちそうになるが、最初に失礼なことを言ってしまった負い目があるので、改まった態度で問う。

「丑の刻参りとは具体的にはどんなものですか?」

 雪路はわざとらしくため息をもらしてから、たんたんと説明し始めた。

「草木も眠る丑三つ時、密かに神社や寺に参拝し、呪う相手に見立てた藁人形をご神木か鳥居に釘で打ち付ける。人に見られないように七日間にわたって行い、満願の七日目に人形が釘で刺されたところと同じ場所が痛んで、死に至る――呪いだ」

 人を死に至らしめる呪い。いたずらの域を超えた危険な思想に驚く。殺したいほど憎い相手がいる者が、それを行っているというのか。

「この人形は……ちょうど真ん中のあたりに釘が刺されている。心臓を狙ったんだろうが、力が入りすぎて少し下にずれているね……。しかし、5本も差すとは、よほど相手が憎いとみえる」

 雪路は感心するように頷きながら、藁人形を凝視している。 

「しかし、呪いで人が死ぬことなど……」

 あるはずがない。深い憎しみから相手を呪う人はいるかもしれないが、実際に呪いで人を殺せるかどうかは別問題ではないか。

「いまどき呪いだなんて、信じられないと?」

「……そんな迷信じみたことを信じろという方が難しい」

「呪いで人が死んだ例など表沙汰にならないだけ歴史上いくらでもあるね。信じられないというなら」

 試しに呪ってみようか。

 可愛いらしい笑みを浮かべているのに、和眞は背筋がぞくりとする粟立つのを感じた。

「……この呪いの主を見つけてやめさせるにはどうしたらいいのだろうか。俺はそれを聞きに来たんだ」

 まっすぐに雪路を見つめて言った。

「簡単だね。丑の刻に神社を見張っていればいい。この呪いは誰かに見つかった時点で失敗する」

「ではさっそく今夜見張ろう!」  

 案外簡単に解決できそうではないかと喜色の声をあげると、雪路は口角を上げた。

「坂上神社は山に面した大きな神社。深夜に忍び込んできたものを見つけ出すのはかなり難しいだろうけど、頑張ってくれ」

 言われてみてそうだったと気づく。和眞も一度参拝したことがあるが、小さな山全体が境内のような神社なのだ。参道の杉林はそのまま森とくっついているような。呪いの人形の主を捜す、という怪しい事柄に加え、まだ事件にもなっていないのに他の駐在所に応援を頼むことなどできない。

「例え坂上神社の協力を得て、総出で見張ったとしても、相手は”絶対に見られてはいけない”わけだから、人の気配を感じたら逃げてしまうだろうね。僕だったら場所を変えるか、ほとぼりが冷めたころにまた始めるね」

「なんと……」 

 それでは一時的に坂上神社からの依頼には答えられるかもしれないが、根本的な解決にはならない。それにここまで恨みを持っている人間を放ってはおけない。呪いだけでは飽き足らず相手に危害を与える可能性もゼロではないのだから。

「犯人に見当をつけて、気づかれないよう付けて実行する現場を押さえるのが一番良いだろうね」

「そんな、どうやって……」

 この藁人形の主を捜せというのだ。周囲に聞き込みをしても、丑三つ時の街はずれの神社で目撃者などいるのだろうか。小石がひしめく河原で一粒の瑪瑙のかけらを探しあてるようなものだ。がっくりと肩を落とす和眞に、雪路は不思議そうに言う。

「だからこの僕のところに来たんだろう? 正造はいつも僕に面倒ごとを押し付ける」

 呆れたように肩をすくめるくせに、表情にはどこかうれしさが滲んでいる。正造と雪路は案外気の知れた仲なのだろうか。

「君もあまり頭がいいようには見えないし、僕の手助けがいるはずだ」

「なっ……!」

 あからさまに馬鹿にされて、かっとなる。確かに昔からガタイが良く、警察官になれたのも、柔道の功績のおかげだ。頭脳派というより明らかに肉体派ではあるが、小生意気の餓鬼に揶揄される道理はない。これはお灸をすえなければと口を開こうとしたとき、

「ところで藁人形はこの一体だけか? 他には?」

 と真剣な顔で聞かれて出鼻をくじかれてしまった。ひとまず朝に瀧が話したことを伝える。

「ふうん。……念のため、坂上神社に行くか」

と立ち上がる。呆けたままの和眞に首をかしげて、「明石巡査も同行されるのでは?」と投げかける。

「今から、か?」

「もちろん。もしかしたら事は急を要するかもしれないからね」

 雪路がすっとふすまを開けて出ていこうとするので、和眞はテーブルにほっぽり出された藁人形を紙袋に戻して慌てて後へ続く。

 廊下にでると、首元に鈴をつけた黒い小さな子猫がこちらを見上げていた。雪路は猫を飼っていたのか。りん、と鈴の音がする。

「美鈴。行ってくるね」

 雪路が猫に優しく声をかけると、答えるようににゃあん、と鳴いた。

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