嫌われ者の呪術師

@suzumushi88

第1話 七日目の満願

 遅咲きの桜がはらはらと舞っている、麗らかな春の昼下がり。明石和眞あかしかずま巡査は、巡回をおえて駐在所に戻ってきた。

 「和眞くん、おかえり」

 建物の前に自転車をとめて中へ入ると、唯一の同僚にして上司の浜岡正造はまおかしょうぞうが出迎えてくれた。長年この駐在所に勤めているというベテラン老警官で、新人の和眞を息子のように可愛がってくれている。

「ただいま戻りました。なにかありましたか?」

「いんや。退屈で寝そうだったよ」

 大黒天のように小柄でふくよかな正造が、縁起の良い顔で笑う。

 和眞がこの春より配属された寺町駐在所は、その名の通り、周りには古くからある寺や神社が多くある地域だ。市街地から少し離れており、美しい山々に囲まれている。

 巡回もでこぼことした山道を自転車で登ったり下りたりするので、なかなかに体力がいる。和眞は額から流れ落ちる汗を二の腕の袖でぬぐった。

最近は天気が穏やかな日が続いており、駐在所で待機している間はじっとしていると眠気との闘いになる。和眞は大きなあくびをしている上司に苦笑すると、湯を沸かして熱めの緑茶を用意した。正造は礼を言って湯飲みを受け取った後、机の下から将棋盤を取り出した。

「ちょっと一局、やろうじゃないか」

 正造は将棋を指すのが趣味で、時間を持て余していると必ず誘ってくる。今日も和眞が帰ってくるのを待っていたようだ。趣味というだけあって腕はたいしたもので、和眞はまだ一度も勝てたことがない。

「今日こそ鼻を明かして見せますよ」

 椅子を寄せて、正造の対面に腰を据えた。盤上の駒を並べながら、正直警察官がこんなにのんびりしていいものかと和眞は内心あきれてしまう。せっかく憧れの警察官になれたのに、拍子抜けもいいところだ。市街地にある中央の駐在所自体だったら、もっと忙しない日々が送っていることだろう。

寂れた場所にあるこの駐在所は、めったな事件も起きたことがないらしい。実際、和眞もこの一か月であったことといえば、道端で寝こけた酔っ払いの面倒を見たくらいだった。

 せめてもっと街中の駐在所に配属されていれば、と思う。目の前ののほほんとした上司は良い人で有難いが、若い和眞には少し刺激が足りないと感じてしまうのだ。


 しかし、正造に飛車をとられ和眞の戦況が怪しくなってきた頃、突然、駐在所に来客が現れた。

「しょ、正造さんはいるかね……?」

 遠慮がちに名を呼ぶ声が聞こえてくる。

 二人の警察官は慌てて対局を中断し、客人を迎え入れる。中に入ってきたのは、白い作務衣を着た中年の男だった。左手に紙袋をさげている。真っ青な顔をして、眼鏡の奥の小さな目玉をきょろきょろと動かしている。

「はて? 坂上神社の神主さんじゃありませんか。どうしたんです?」

 正造は男を知っているようだ。坂上神社はこのあたりでは一番低い山の頂きにある神社だったと和眞は記憶をたどる。このあたりで一番広い面積の神社で、鳥居から本殿まで歩いて三十分はかかる。

「た、大変なことになってしまって……」

 神主の声は不安げに震えている。近所の人々からは絶大な信頼を得ている正造の許には、たまに困りごとを相談にやってくる人がいる。それらは大体飼い犬が居なくなったとか近所の子供がいたずらしてくるなど他愛ないものだ。だが、この男の怯えようは尋常ではない。

 和眞はすぐさま立ち上がり席を譲ると、奥の給湯室に行き来客用のお茶を用意した。その間に正造は机の上をさっと片付ける。

 坂上神社の神主は差し出された湯飲みをずずっと啜って一息つくと、いくぶんか落ち着きを取り戻した。

「はぁ……すみません、ありがとうございます。あれ、あなたは?」

 今さら和眞に気がつき問いかけてくる。

「明石和眞巡査です。この春より赴任いたしました」

「ああ、新しく来たっていう。私は坂上神社で神主をしているたきです」

 気の弱そうな男はぺこりと頭を下げた。坂上神社はこの町でも由緒ある神社のはずだが、ずいぶんと腰の低い神主だ。

「で、瀧さんいったいどうしたんですか? 賽銭箱でも盗まれましたか?」

 初対面ふたりの自己紹介を見届けたのち、正造が問いかける。

「そう、そうなんです。実は、困ったことになったんです。うちの神社の境内から不気味なものが出てきて……」

「不気味なもの?」

「こ、これなんです」

 瀧は持っていた紙袋から取り出したものを机の上に置いた。

 ドサっと音を立てておかれたものを見て、和眞は思わず声を上げた。

「な、なんですかこれ!?」


 それは、何本もの太い釘に突き刺された藁人形だった。 

 めったに動じることのない正造も、普段は糸のような目を丸くさせている。

 瀧は湯飲みを握りしめたまま、事の次第を話し始めた。

 

 三日前のことです。私は早朝から日課である境内の掃除をしているときに、ご神木である大きな杉にこの藁人形が刺さっているのを見つけました。

 最初は悲鳴をあげるほど驚いたのですが、次第に誰かのいたずらだろうと憤慨して人形を取り焚火にくべて燃やしてしまいました。神社ですし、たまにおかしい人が来ることもありますから。

 でも翌朝、今度は別のご神木の杉に同じように藁人形が刺さっているのを見つけたんです。またかと思って、これも昨日と同じように焚火の肥やしにしました。 

 その翌朝、つまり今日の早朝です。私は境内を掃除していると、また別の杉に藁人形が釘で刺してあるのを見つけました。いよいよこれは気味が悪いと藁人形を取り、社務所に持って帰りました。そのとき、お守りの整理をしていた妻がこれを見て、顔から血の気を失って言ったんです。

『あんた……これ丑の刻参りだよ』 

って。



「丑の刻参り?」

 話を黙って聞いていた和眞だが、知らない単語が出てきて口をはさんでしまった。

「私は入り婿でして、もともと妻が神社を継いだ娘だったんです。だから 私なんかよりよっぽど詳しいんですが、妻が言うことには」

『憎い相手を呪うんだよ。私が子供の頃に鳥居に刺さっているのを見つけてね。おばあさんに教えてもらったのよ』

 瀧は肺の中の空気を全て吐き出すような深いため息をついた。

「誰の仕業かわからないんですが、呪いなんて不吉なこと、うちの神社でやられちゃ困るんです。神社だって銭を稼がなきゃいけない。縁結びやら商売繁盛で参拝者を増やさなきゃいけないのに、けちがついてしまったら大変だと妻も心配していて……」

「そりゃそうですなぁ」

 正造はまろやかな輪郭の顎をさすりながら頷いている。和眞は藁人形を一瞥し、これなら呪いの人形をいわれても納得だと思った。心なしか禍々しい気を放っているように感じる。しかし、ふと、気になって和眞は瀧に問いかける。

「神主さんであれば、こういったものは得意分野なのではありませんか?」

 お清めやお祓いなど、それこそ警察よりも神職の領域ではないだろうか。昔父が厄年で厄払いをしてもらっていたことを思い出す。だが瀧は首を横に振る。

「ですから、私はもともと神職と縁のない男です。あなたが思うような霊的な力など、これっぽちもないんですよ。神社の娘だからって、妻にも特別な力なんてないです。犯人捜しはおまわりさんの仕事でしょう? とにかく誰か突き止めて、やめさせてほしいんです」

 呪いの神社なんて噂されちゃたまったもんじゃないんです、とつづけた。

 確かに、明らかに悪質ないたずらともいえる。だとしたら警察官の出番かもしれない、と和眞はにわかに湧き立った。警察官として勤務してはじめて、事件に遭遇したのである。想像していたことより、大分斜め上をいっている気がするが、事件は事件だ。

 まずは、聞き込みをして目撃者を探したらいいだろうか。

「呪いねぇ……」

 己の顎をさすっていた手を止めて、正造はふぅと息を吐いた。

「……これは、彼の領分じゃないかねぇ?」

 必死な瀧とは対極の、のんびりとした口調だった。

(彼……?)

 和眞は正造が指す人物が誰なのか分からなかった。瀧を見れば、気まずそうに俯いてうなっている。その人物について覚えがあるようだった。

「それこそ、神社の者から彼にお願いできないですから……。正造さんから頼んでもらえませんか?」

「はは、アンタそれが目的だったでしょ。いいですよ、これは預かりましょう。あとはうちの明石にやらせますから」

 突然、自分の名前が呼ばれて心臓がはねた。

 瀧にすがるような目で見つめられて、和眞の胸の中に熱いなにかが込み上げてくる。

 瀧が何度も礼を言って駐在所を後にした。残されたのは怪しい人形と交番の主である二人の人間。和眞は空になった湯飲みをさっさと片付けて、正造に向き合った。

「あの、彼とは……?」

 正造は、訊きたいことはわかっている、と言いたげに頷く。

「こういうあやしげなことにやたらと詳しい子がいてね」

「へ? 呪いの人形とかにですか?」

 突然の予想外のことを言われ素っ頓狂な声をあげてしまい、正造に豪快に笑われる。

「そうそう、呪いだなんだと怪しげなことに詳しいんだ。いわば専門家だね」

「は、はあ。しかしいたずらの犯人を見つけるのなら、聞き込みして俺たちで犯人を捜せばいいんじゃ……」

 町民から駐在所に相談が持ち込まれたのだから、自分たちでなんとかしたい。それに正造は和眞にやらせると言ったじゃないか。

 正造は優しく微笑むが、首を横に振る。

「これだけ不気味なものが連日見つかったんだ。冷やかし半分のいたずらならいいが、おぞましいモノかもしれない。まずはこれがどういうものか、専門家の意見を聞いてきてくれないかい? こういう変な頼み事がきたときは、夜崎の坊ちゃんによくお願いしているから」

「夜崎の坊ちゃん?」

 正造は大きくうなずいた。

「和眞くん、退屈してたでしょ? そろそろ紹介しようと思っていたところだし、今から会いに行ってきなさいよ」

 


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