第2話〈美術篇②〉
「『美術』の美はビジュアルの意として使うから宜しく」
言い忘れていたけど、と加える。半歩後ろの彼女は「はぁ」と納得を水割りした冷感で付いてくる。
電車を乗り継いで着いた先は都内の近代美術館。ヨハネス・フェルメール展が催されていたが興味無いので常設展の方へ学生料金で入場し、例の仲間内では売店のヤケに高いグッズが最大の盛り上がりだろう彼女を導く。時は無情に夜闇を止めないが一時間の滞在は確保出来そうだ。
「ここで芸術の何たるかを教え込むつもりか。その割にはポスターからして美的な面構えの女性像が迎えたけど」
雰囲気に押され音量を抑える程には常識を抱えて彼女は伺う。理想的には私の趣味全開レベル九企画展を開催したい所だけど、学芸員になる予定は無いし関係の糸が結ばれた今日の内に連れて来たかった。これから言う事を教室や美術部部室よりも説得力を演出出来る場所だから。
「前提として、絵画やデザイン等の平面美術は文学や音楽と同等に虚構性が強い。グラフィティやストリートアートは形態的、風刺画や戦争画は内容的に現実侵犯性が強いから芸術性は下がるけど。同じ平面上では場面が折り重なる漫画や時間軸のあるアニメ、コンピュータグラフィックスの方が一見高度に思えるかもしれないが、視覚表現の基礎たる価値に加え、一つの画面に何処まで凝れるかという現実的なコスト面や一枚絵の瞬間性あるいは永久性から絵画の価値が揺らぐ事は無いと思う。立体芸術との比較で言えば、立体の方が複雑高度だが平面の方が虚構性は強い傾向にあるし、立体上に平面が映えるケースは幾らでもある。それだけ普遍的な媒体だ」
「あぁ始まったわ」
「一方絵画は凡ゆる芸術媒体の中で最も美が幻視される対象だと思われ、画家自身も頻繁に『このモチーフ、表現にこそ美が宿ると信じる』等と言う。だけどオリエンテーションで話したように、絵画も特定の表現のみを是とするのは妄信的に過ぎない。例えばパブロ・ピカソはレベル九でキュビズムの歴史的価値は不動だけど、今となっては当時程眼を見張る物ではない。ピエト・モンドリアン自身もレベル九で当時は斬新だったんだろうなと想像付くけど、コンナノ生後六ヶ月の君でも描けるよ」
「それは確かに以前から不思議だった。何でこんな絵が有名なんだろうって」両者の作品を見詰めながら稀有な同意を示す。奥に控える便器を見据えて溢れる自己主張を排泄する。
「マルセル・デュシャンの反芸術運動は私に言わせれば『反美的』運動。高尚らしき美の形式を破壊してくれた偉業には深く感謝するよ。ただ私は芸術は自然の無意味ではなく人間性の象徴だと思うけど。話を戻すと芸術家は芸術全体内比較で唯一無二の個性を出すと同時に、個人作品内比較で幅の広さを持たせなければならない。皆どうしても後者を軽視しがちだけど同じ作品は二つと必要無い事から幅の広さは重要な評価項目だし、芸術家ならば当然の事と有無で二分法するのではなくレベルの高低差として測るべきだ。芸術対日常段階で躓いているのは論外。具体的には写真とそれに類した表現。リアル・精緻に描かれた目玉焼きの絵を見て『すごぉい!写真かと思いました!』とコメントする奴は脳味噌あるのか?それなら写真で済むだろ。君はどう思う?」
「たとえ陳腐でも制作に技術と労力が掛かるなら評価すべきでは。少なくともあたしには描けないわよ」
「そもそも描ける必要が無い。技術と制作時間はどうでもいい。虚構の住人でない限りリアルなビジュアルは常に眼前にある。日常や印象派以前の西洋美術に溢れる写実主義を虚構で再現するのは何の意味も無い。写真機のある現代なら尚更。『リアル』の評価は芸術家にとって不名誉であるはずだ。芸術写真とは言うがアルフレッド・スティーグリッツのピクトリアリスムだろうとラウル・ハウスマンのフォトモンタージュだろうと全てレベル三以下、表現として絵画以下、視覚芸術媒体の中で最底辺に位置する。それにも関わらず写実の現実的な有用さを虚構で錯覚して未だにある程度評価されてしまう。繰り返すけどリアルな絵は屑以下だ」
あぁリアルな静物画や風景画に拍手喝采の衆愚を思うと気が立ってきた。美術館丸ごと焼身自殺してやればそこら辺の阿保面客も少しはハッとするか。芸術は爆発だから。岡本太郎は作品はレベル五辺りだけど精神性が何より好きだ。
「写実性の他に大衆が思い違いしやすい価値尺度を幾つか挙げると、まず技術。写実性とセットでお得な精緻さを演出し『クオリティ』等と表される概念だが、微細に描き込めば良いというのは誤っている。レア度が高ければ細やかだろうと粗かろうと表現の優劣は無いのに、技術偏重型と言うべき伝統的思考に誰も不思議に思わないのか不思議に思う。またここで飾られる作品のようにアナログで描く方が精緻で良いと思われがちで、確かにアナログは原子レベルの接触が出来る一方デジタルはピクセル数が限られるが、縦横数千ピクセル以上になれば知覚可能な程の大差は無いし、マテリアルは劣化、損傷、紛失しやすいので凡そ対等と扱われるべきだ。次に制作時間・規模。作品は完成後の姿が全てであり費やした時間の概念は介入する隙間無く、何十年掛けた超大作が駄作であって何一つ不可思議ではない。背景まで着彩したリアルな人物を一時間以内に描いた所で何の価値も無い。またキャンバス、解像度の大きさはさして重要ではなく大規模な聖堂装飾や洞窟壁画に人類学以上の魅力は無い。最後に作者の感情や境遇。これらは作品の内容面に反映されるかもしれないが、感情の比較は不可能に思えるし作品外の事情を作品内に持ち込むのは妥当ではない」
「どうでもいいけど展示作品に集中しなくて良いの?」歩みを止めて講義に没頭する私に一石を投じる彼女を無視して続ける。
「他に美の対象となり世に横溢する『整然』とした表現について、一般的に滑らかな線、黄金比・白銀比等一定の空間比率、統一された色彩は優良とされがちだ。デザインや抽象画の一部はその典型。これらを良と感じるのは決して人間の本性ではなく社会的に規定された思想や人工物の影響だろう。バウハウスのモダニズム、紙やデバイス画面の縦横比等はこれに当たる。刷り込みのまま綺麗な整形フェイス、なだらかな富士山、安定感あるエッフェル塔を描いてしまうと凡庸な表現に終わる。だから成る可く単純計算に基づく機械的な作業は避け、自らの手で不規則に描いた方が良い。工業デザインは生産工程として必要だろうけどグラフィックデザイナーはこの世に要らない。アンナノ編集ソフトさえあれば誰でも作れるよ」
「……リアルさもチープさも評価されないとなると具体的に何を視れば良いんだ?」
「さぁ翻ってここからは正当な評価方法の提案。絵画におけるレア度を具体的に測る上で絵画の三要素、タッチ・構成・テーマを確認しよう。タッチには塗り、線画、描き込みと言った要素があり、マクロに見れば厚塗り調、水彩調、シンプル調等、ミクロに見ればエッジ、グラデーション等と表現が分かれる。構成には何点透視か即ちパース、俯瞰か煽りか即ち視点、色彩やモチーフの配置、陰影・コントラスト、立体感、遠近感と言った要素があり、テーマにはモチーフや背景等の意味性、そこから派生する物語性と言った要素がある。各要素のレア度を例の三層の比較軸に沿って判定した上で、その組み合わせにより最終的なレア度は求められると考えられ、各要素のレア度の正確な測定法は、テーマ的要素については例えばサルバドール・ダリのシュルレアリスムは高いというように想像し易いと思うが、タッチ・構成については統計的・幾何的アプローチに基づき色彩の量的・配置的バランス、構図や線の図形的特徴等を微細に測る事が出来よう。ただし測定函数の設定次第で求まるレア値は変わるのでその数値は常に疑う必要があろう。才気ある感性に適合的な函数が完成するまで改善が要る。そして各要素の組み合わせ方は、絵画特有のタッチと構成のレア度をテーマより優遇すべきだ。寓意画や風刺画が該当するが言語的な意味内容を重視するなら最も向いている小説で表現した方が良い。序でに言えば絵にはタイトルを付けず『無題』とされた方が良い。こうした理性的プロセスは正確である代わりに時間が掛かり、感性による判断は不正確の恐れがある代わりに速く済む。それと測定が更に難しいケースとして総合芸術や共作と言った複数のファクターが組み合わさる形態があるが、その話はまた今度」
「あーはいはい分かりました。よく分からない事が。また今度ってアンタと付き合うの多分今日だけだよ?」
「なら今話す?」
「止めて。絵画の話題に留めてください」
「了解。以上を踏まえて絵画の作品価値をレベル毎に喩えれば、レベル一は子供の落書き、二はノートに描いた模写、三は商業的デザイン、四はパースや視点に苦戦する初心者、五はマクロなタッチを考える初心者、六はコントラストの重要さに気付く中級者、七はタッチ・構成共に安定する中級者、八はミクロなタッチへ拘る凡人止まり、九はタッチ・構成・テーマ全て抜きん出た天才、十は同じく人類史上最高傑作という感じかな。以下に挙げる画家は暗黙にレベル九以上として、そろそろ館内で退屈する作品達を慰めに行こうか」
音声ガイドより遥かに有意義な自作の解説音声を喉から流しながら歩行を再開する。全部当たり前の事だけどね。
「三層の比較で誰でも分かり易いのはパウル・クレー。この適当な天使を芸術界で描いた人は少なく、クレー自身の他作品とも被りは無いだろうが、これが道端の小学生に描けるとなれば日常に溢れる物と判明し総合的なレア度は低いと見なせる」
「さっきの四角形とはまた異なる微妙なラインね。若干好みかもしれない」彼女は顎に手を添え鑑賞アピールを寄越す。
「この空間に覗ける絵画を三要素の面から評価すれば、タッチが強いのはピエール・ボナール、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、オディロン・ルドン、モイズ・キスリング、アルフォンス・ミュシャ、マリー・ローランサン、ジャン=ピエール・カシニョール、ジェニー・サヴィル、藤田嗣治、萬鉄五郎、佐伯祐三、構成が強いのはマウリッツ・エッシャー、テーマが強いのはフランシス・ベーコン、マーク・ロスコ、ジャン・フォートリエ、ヴォルス。つまり表現主義や象徴主義はタッチ、騙し絵は構成、抽象画やアンフォルメルはテーマに割り当ててみた。御誂え向きに趣味に適った画家が勢揃いよ。該当者の少ない構成はポール・セザンヌも強いけど私的にはレベル八。アンリ・マティスの色彩は目立つけど単純な構成だからレベル三」
「マリー何とかさんは確かに独特なオーラを感じるわ」
「フォービズム批判序でに整然・精緻・リアル以外の具体的な表現に悪口を届けると、単純な色彩構成は大方レベル三以下。モノクロは全てが屑ではないけど表現狭いし、ポップアートは全部屑だ。アイツとかアイツとか何故美術界の代表扱いされているのか本当に理解不能」
「今更個人名避けても手遅れだと思うよ」
「名前さえ呼びたくないの。続いて裸体画、春画、要するにエロ絵は概して屑だ。シーレみたいなのは別として、描かれる濃厚接触は芸術全体の健全さが逼迫する程拡大し切ったテーマで単なる性商品に近く、裸の時点で色彩や線の表現は限定され、コンナノを描く奴が構成まで凝る訳がない。男性画家がヌードはポルノに非ずと言うのは十中八九女の裸を見る為の口実だから騙されてはイケナイ。男の裸体画が女のそれより今尚圧倒的に少ないのが確たる証拠だ。勿論表現は自由だから禁止すべきではないけど」
「そこには共感出来る。性教育にも値しない猥褻物を美術と称して教科書に載せないで欲しい」
「一方でグロテスクと形容される表現はエロより数が少ない上にデロリの稲垣仲静や麻生三郎、靉光等とセンスある画家が散見される。念の為注釈すると首が切断される様にぐへへと笑みを垂らす類の人ではないから安心して。ホラーテイストを一瞥して震え上がる人が何色の花畑を脳内で育ててきたのかは気になるけど」
「大丈夫。今更アンタの性癖に驚く程好印象を抱いてないから」
「それなら良かった」と親睦を深めた頃には展示を一通り観終えた。閉館まで余裕は有り「上の階のカフェでディナーと洒落込みません?」逆剥け立った手を伸ばして誘うと「そこまで同伴するつもりは無かったんだけど」とボヤきながら了承を得た。
「こうして美術論をグダグダ語ってしまったけど、実際描く時にはコンナコト考えない方が良い。鑑賞者の必需品たる理性は手放し、創作者は何も考えず脳天に降り注いだイメージを表出させる方が価値ある物が生まれ易い。絵の練習はしない方が良い。デッサンなんて始めたらその時点でもう才能無い。他の画家や写真を『勉強』して『上手く』なろうと目指す人は芸術に向かないからサラリーマンやった方が幸せになれるよ。 美術用語はどうでもいい。美大に通う必要全く無し。コネを作れたりするのだろうけど何にせよ描くのは一人だ。兎に角知性はオマケ、感性が全て。当たり前だけど」
野菜含有量で注文を決めたクラブサンドを一口に頬張りながら言いたい事を消化する。健康第一だから。
「そう言えばアンタ美術部員だっけ。大口叩くアンタの絵は界隈から評価されているの?」
「一寸たりとも。だけど全く気に留めない。世間は馬鹿の方が多いし多くの人は芸術如きに大した関心無いから。サンリオキャラクターが海を越える事があればレベル九・五のフィンセント・ファン・ゴッホが世界中から無視される事もある。歴史に埋もれた天才なんて腐臭漂う程居るだろうな。過大評価と過小評価で満ちたこの地上。個人の好みが偏るのは構わないけど典型的なアニメ調やリアリズムが全体として流行るのはオカシイ。この現象はあの狭い部室だろうと広大に映えるインターネットだろうと変わりない。広い世界では馬鹿が増え、狭い世界も狭い世界で固定観念に縛られがちだ。この中で正当な評価を受けられるか否かは結局運次第。私は運が悪いだけ。『継続は力なり』とは運の良かった成功者の戯言に過ぎない。私が証明しているだろ。自己満足が主たる動機だから死ぬまで続けるけど」
「結構気にしているわね」
「世間は往々にして技術と商業的利益しか見えていない。商業的とは一時の利益、美が支配的な現在にお似合いの賞味期限付きの価値観。マーケティングして生産ラインを整えるのは馬鹿の発想。芸術の現実的意義を強いて挙げれば他人、動物、機械とは異なる自己を表現する事。無意識を意識化する手段。それなのに想像の範疇、ロボットで組立可能な表現に留まるなんてヤル気あんのかお前。虚構に生きる覚悟あんのか」
「お前って誰。あたし?」
「私の場合計画的犯行ではなく自然に起因する体質ながら、それを追い求めれば現実と虚構の区別が甘い周囲に拒絶されるけど。本来はこうして深夜の酒呑みみたいな饒舌さを誇るのは無粋だけど君の為、延いては世界の為にこの場所まで案内したという訳」
スパゲティを啜り終えて席を立つ彼女。
「マトモに鑑賞出来た気がしない上、後半以降は愚痴ガイドだったわね。まぁチケット代相当には楽しめたと言ってあげる」
「本来的に特に現代は美術館なんて要らないから。暇潰し又はデートスポット程度の空間としか思わない。カフェをメインにすれば収益上がると思うよ。作品は展示空間から個人で演出した方が良いに決まっている」
「はいはい素敵な暇潰しになりました。じゃあ、好い加減帰るから。話聞いてやっただけ感謝しなさい」
化粧崩れが瞼に伺える女性はそう告げると私の元から離れた。伝えたかった内容は婉曲的であれ色々と言語化果たせたかな。受付の静かな見送りを後に、ただリアルな星月夜の下美術館を出た。
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