恋文に込められた気持ち
金石みずき
恋文に込められた気持ち
「はぁ~、疲れた……」
学校から帰ってくるなり自室へ直行した私――三上緋色は、鞄を部屋の隅に放り出し、そのままベッドに突っ伏した。しばらく動かずに寝そべっていたが、制服に皺がついてしまうと思い直し、起き上がる。そして部屋着に着替え、鞄から丁寧に折りたたまれた一枚の便箋を取り出した。
――
書いてくれたのは、今年四月に高校に入学したときに偶然隣の席になった男の子――佐伯直哉くんだ。お互い、同じ中学から進学した人は他におらず、知り合いもいないということから、一気に意気投合して友達になった。
それからは授業で教科書を忘れたときには見せ合ったり、ときどきお昼を一緒に食べたり、集団ではあるが学校の外で遊んだりして、だんだんと仲良くなっていった。
彼のことは好きだ。それは間違いじゃない。でも、この
――困ったな、どうしよう。
というものだった。
彼のことは好きだ。一緒にいて楽しい。高校生になって一番最初に友達になって、今では一番仲の良い異性。だから、私も好きなんじゃないかと思っていた――期待していた。
でも、心臓がちっとも高鳴ってくれないんだ。
♦♦♦♦♦
次の日の昼休み。友達――四条優花と中庭で昼食を摂っていたときのことだ。浮かない表情をしていたらしく、何かあったのかと勘繰られたため、素直に打ち明けてみることにした。
「えー!
「しー! 声が大きいってば!」
私は優花の口を押さえて、周りを見渡した。人はそれなりにいるものの、私たちの会話を聞いていた人はいなかったようだ。
ほっと胸を撫で下ろした私に、優花も状況を思い出したのか申し訳なさそうな顔をした。
「あ……ごめん」
「もう、気を付けてよ」
「――それで、相手は誰?」
興味津々といった様子で身を乗り出す優花の耳元に顔を近づけて、小声で囁く。
「誰にも言わないでよ?」
「言わないよ」
「――佐伯くん」
そこまで言ってから身を離して優花の方を見てみれば、特に驚いた様子はなく、むしろ納得したようにうんうんと頷いていた。
「やっぱり佐伯くんかー。予想通りっていうか、期待を裏切らないっていうか」
「そんなに?」
「だって最近はあからさまだったじゃん。緋色だって薄々は気づいてたでしょ?」
「……まぁ」
確かに最近ちょっと距離が近かったり、話す機会が多かったりして、私も『もしかして?』と考えないわけではなかった。
でもこうしてそれが現実のものになるのと、想像の範囲に収まっているのとでは、私にとっては天と地ほども違う。
「それで、どうするの?」
「……まだ迷ってる」
「なんで? 佐伯くんと緋色、仲良いじゃん。結構カッコイイし、性格も良さそうだし、断る理由なくない?」
「……だよねー。私もわかってるんだけどさー」
はぁー。と溜息ついでに脱力する私を不思議そうに見る優花。
「何かOK出来ない理由があるとか?」
「あると言えばあるし、ないと言えばない……。ただ、ドキドキしないだけ」
「……うわぁ。致命的じゃん。佐伯くんかわいそー」
「本当、どうしたらいいんだろうね」
それから少し優花と話して言われたことは『とりあえずもう少し考えてみたら? 今どきわざわざ
直接の告白じゃない。
電話でもない。
メッセージアプリでも、ない。
――
その選択に何か意味はあるのだろうか。
♦♦♦♦♦
「三上」
「えーっと……何?」
次の日の朝、いつも通り少し早い時間に登校した私は、さらに早めに登校していたらしい佐伯くんに捕まった。
「一昨日のことだけど……」
「あー、だよね。えっと……」
私は一度視線を泳がせてから、胸の前で両手を合わせて合掌のポーズをとり、頭を下げた。
「ごめん! 返事はもうちょっと待ってくれない?」
「……うん、わかった。三上がそう言うなら」
少し微妙な表情をしているものの、佐伯くんの身体から緊張感が抜けた。
申し訳なさを感じつつも、努めて柔らかい表情を作り、お礼を言う。
「――ありがと」
「いや……悪いな、俺の方こそ。返事急かせたみたいで」
「ううん、当たり前のことだよ。悪いのは私」
「そっか……」
「うん……」
なんとなく気まずい空気が流れ、「じゃあ、もう行くわ」と立ち去ろうとする佐伯くんに、思わず「あ、ちょっと――」と声を掛けて引き留めてしまう。
「ん、どした?」
「えっと……」
聞きたい。なんで
私が何か言い辛そうにしているのを察してか、佐伯くんは聞きやすいように先を促してくれた。
「何か言いたいことあるんなら言ってくれていいぞ。俺、いろんな意味で覚悟出来てるから」
そう言って笑顔を向けてくれる佐伯くんの好意を無駄にしたくなくって、「そう言うなら」と前置きして聞いてみる。
「なんで
それを聞いた佐伯くんは恥ずかしそうに、「あー、それな」と頭の後ろをがりがりと掻き、おずおずと口を開く。
「俺、口下手だからさ。直接だとちゃんと言える気がしなかったんだ。かと言って、メッセージだとなんかちょっと軽いだろ? だから書いてみたんだ。らしくないだろ? 笑っていいぜ」
そんなことを照れくさそうに言う彼の姿を見て、心がほんの僅かに暖くなるのを感じる。
「――笑わないよ。ありがとう」
少しだけ、心臓が鼓動を速めた気がした。
♦♦♦♦♦
あれから二週間経った。
佐伯くんはあれ以来、告白の返事を急かしてこない。彼の態度は
その一方で私は、ますます自分の感情がわからなくなっている。
「まだ返事してなかったの?」
優花はもうさすがに返事をしたと思っていたらしく、結果はどうなったのか聞かれた。そこで「まだしてない」と伝えると、呆れ顔で言われてしまった。
「そろそろまずいよねー……」
「まずいでしょ。佐伯くん生殺しじゃん」
優花は辛辣な言葉を投げかけてくるが、ちっとも反論できない。
「そもそもなんで返事出来てないわけ? 言い辛くて引き延ばしてるんならさすがに引く」
「私も自分の気持ちがわからなくなってきたと言いますか……」
「
「そこまでになってたらとっくに答えてるよ。まだ気になってるって段階だから困ってるの」
「難儀な性格してるなぁ」
くだを巻く私に、優花は優しく諭すように言う。
「普通、二週間も待ってくれないよ。それだけ緋色のこと本気ってことなんだし、今気になってるなら付き合ってみたら?」
「それは私も考えたけど……逆にそんなに本気な人にこんなふわふわした気持ちで付き合うって返事するのは失礼な気がするって言うか……」
「なーるほどね」
優花は何かを考えるように顎に手をあてて視線を落とし、何度か頷いてから顔をあげた。
「よし、じゃあこうしよう。――緋色も佐伯くんに手紙を書いてみよう」
「は?」
♦♦♦♦♦
優花の言い分はこうだ。
佐伯くんに手紙を書く。ただし、告白を受けるパターンと、受けないパターンの両方を。
「自分ではよくわからない気持ちも、一回文章にして書きだしてみたら少しはまとまってくるんじゃない?」
一理あるかもしれないと思った私は、ルーズリーフを広げて机に向かってみたのだが……。
「ダメだー。……難しすぎる」
結局どちらも書けないままシャーペンを投げだし、背もたれに体重を預けながら天井を仰ぎ見た。
――よく書けたなぁ、佐伯くん。
もう何十回と見返して、すっかり皺の入ってしまった便箋を、今再び眺める。
――よく書けている。本当に。
これだけのものを書くのにどれだけの労力が必要だっただろう。どれだけ心血を注いだのだろう。
佐伯くんの文章は綺麗で。独りよがりじゃなくて。それでもしっかりと熱量は伝わってきて。
彼は多分文章が得意なわけじゃない。だからきっと何度も何度も何度も書き直して、少しでも気持ちがきちんと伝わるように書いてくれたんだと思う。自分で書こうとしてみて、ようやくそれがわかった。
――一生懸命、書いてくれたんだなぁ。
そう実感したとき、私の心臓がドクン、と高鳴った。
鼓動がだんだんと強さを増していく。
目の前の便箋が、一字一句覚えてしまった文章が、だんだんと色を変えていく。
さっきまでふわふわと浮きあがって纏まらなかった気持ちが、しっかりとした形を成していく。
――今なら書ける気がする。
私は広げてあったルーズリーフを机の隅にどけると、今日買ってきたばかりの可愛らしい便箋を取り出した。
そしてボールペンを手に取ると、衝動に駆られたかのように書いて……失敗し、また新しい便箋に書き直して……失敗し、三回目でようやくきちんと形になったものを書くことが出来た。
「出来たー……」
出来上がった文章は何度見返してみても稚拙で、短くて、彼のくれたものとは比べるべくもなかった。
でもそこには確かに私の今この瞬間の気持ちが余さず書かれていて――。
明日、少し早めに登校しよう。そしてこの便箋を彼の机に入れるんだ。そして私はその様子を自分の席でそっと見守ろう。
彼は一体どんな表情を見せてくれるのだろう。今から楽しみだ。
私は机の上の便箋にもう一度目を落とす。
そこに並べられているのは数行の文章。たったこれだけのために、二週間もかかってしまった。
でも仕方がない。二週間前にはこの返事は書けなかったのだから。
――直哉くん、返事が遅くなってごめんなさい。私もあなたが好きです。
恋文に込められた気持ち 金石みずき @mizuki_kanaiwa
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