君影
「それじゃカナメ。これからよろしくね」
席替えを終えた教室。
俺の左隣──元々明花が座っていた位置には、一檎が。
「……枢っち、説明してよね」
右隣には、明花が座っていた。
お互いのことをどこまで察しているのか、見えない火花を散らす二人。
正直、間に挟まれる俺としては居心地が悪いことこの上なかった。
「……取り敢えず、お互い自己紹介から始めないか?」
俺はひとまず、お茶を濁すことにした。
相変わらず、やや遠い席のままの秀琉と瑠歌も合流して、五人で自己紹介が始まる。
「さて、じゃあまず俺──は、どっちとも知ってるからいいとして、改めて一檎から、自己紹介してくれ」
「いいよ。私は
早速、爆弾発言をする一檎。
明花たちの間に、少々ピリリとした空気が走る。
「……ねぇ、枢っち」
「分かってる、明花。……えっと、一檎。もう少し言葉を選んでくれないか?」
それに、出来るなら多少は俺以外のことも話してほしい。
「? だから大切な人って、そう言ったんだよ?」
……確かに、「私の生きがいを探してくれる人」なんて言い方をするよりは、まだこちらの方がいいだろうか。
「分かった、一旦置いておこう。次、明花も自己紹介してあげてくれ」
釈然としないままの明花だが、俺は自己紹介を促す。
「あたしは桃井明花。枢っちとはクラスメイトで友達で、デートだってしたことある。それで──枢っちは、あたしの大切な人」
「……あのな、明花」
明花も、一檎に対抗するように俺との関係性を謳い上げる。
「何、枢っち。何か文句あるの?」
「……いや。じゃ、じゃあ次は秀琉、頼んだ」
「おっけー、任せて。僕は南沢秀琉。枢とは中二からの付き合いで、僕は枢の一番の友達、かな」
「おい、秀琉。お前まで……」
「あはは、ごめんごめん。じゃ、よろしくね、蓉海さん」
「うん、よろしく」
「はぁ、なんか無駄に疲れるな。じゃあ、最後は瑠歌、よろしく頼む」
「……」
しかし、瑠歌はなにやら遠い目をしたまま、何も言わない。
「……瑠歌?」
「! ……はい。ええと、私は茅谷瑠歌です。その──」
それから僅かに言い淀み、再び口を開く。
「──お久しぶりです、一檎ちゃん」
「「「!」」」
久しぶり。
予想だにしない単語に、俺たちの頭が固まる。
しかし、一檎は当然気づいていたようで、
「うん、久しぶりだね。茅谷さん」
いつも通りの顔で、そう答えた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
蓉海一檎。
転校生としてやってきた彼女がそう名乗ったとき、私は酷く混乱しました。
だって、私の知っている彼女は、黒い髪で、ストレートで、物憂げな──とにかく、今の彼女とは全く異なる印象の子でしたから。
私──茅谷瑠歌と一檎ちゃんが初めて出会ったのは中学二年生の、ちょうど今頃の事でした。
君影中学校。
由緒ある女子校の君影中に転校生が来ると分かったとき、それは大層騒ぎになりました。
何しろ、本校の入学試験は、それはもう由緒の正しさに見合った難易度で、ましてそれが転入用の試験ともなれば一層──在学生でも半数近くは通過できないと噂でしたから。
そんな都合もあり、本校に転校生がやってくるなんて滅多にないことで、ましてそれが私たちのクラスに来るというのですから、それはそれは大変な騒ぎでした。
そうして転校してきたのが、彼女。
蓉海一檎ちゃんです。
「──から転校しました。蓉海一檎です。よろしくお願いします。」
何処から転校してきたかまではもう覚えていませんが、奇しくも、今と同じような自己紹介をしていたのを覚えています。
最初、一檎ちゃんは多くのクラスメイトに囲まれていました。
「何で転校してきたの?」「趣味は?」「転入試験難しくなかった?」
多感な年頃の女の子たちですから、色々聞きたがるのも当然でしょう。
しかし、そのどれもに、
「親の都合で。……特に、ないかな。……ううん、それほど」
と、ぶっきらぼうに返す一檎ちゃんに、だんだん周りの熱も冷めていきます。
今になって思えば、まるで見世物のような扱いが苦痛だったのかもしれません。
ですがとにかく、一檎ちゃんに関わる人は、次第に居なくなっていきました。
授業中はカリカリとノートに筆を走らせ、休み時間には本を読んでいたり、はたまた憂うような顔で窓の外を眺める。
クラスメイトと事務的なやり取りをすることはあれど、お互いにそれ以上は踏み込まない。
転入してから二週間が過ぎた頃の一檎ちゃんです。
さて、そんな一檎ちゃんに声を掛ける少女が、たった一人だけいました。
それが私、茅谷瑠歌でした。
「何を見ているんですか?」
頬杖をつき、窓の方に目を向けていた一檎ちゃんに、私は話しかけます。
「……貴方は、茅谷さん?」
一檎ちゃんはこちらを向き、訝しがります。
「ええ、茅谷瑠歌です。気軽に、下の名前で呼んでいいですよ。……私も、一檎ちゃんと呼んでもいいですか?」
「分かった。……いいよ、ルカ」
「ありがとうございます、一檎ちゃん。それで、何を見ていたんですか?」
「空を見てたんだ。あの空は、どこまで青いのかなって」
「な、なるほど……?」
それから、少しずつ、私たちは話すようになりました。
ある時は、授業の内容について。
「一檎ちゃん、最後の問題解けましたか?」
「うん、多分これで合ってると思う」
ある時は、本の内容について。
「一檎ちゃん、何読んでるんです?」
「これは『荒れた花壇に咲く君へ』って本。最近話題の作品なんだ」
「へぇ、そうなんですね。どういうジャンルなんですか?」
ある時は、スイーツについて。
「一檎ちゃん、駅前に新しいドーナツ屋さんができたの知っていますか?」
「うん。今朝のニュースで見た。今度、一緒に行く?」
「! はい、是非行きましょう」
「ふふ。ルカ、ドーナツ好きだもんね」
次第に、私たちは打ち解けていきました。
ところで、私には瑠歌さんとは別に、仲良くしているクラスメイトが三人ほどいました。私と彼女たちは、休み時間も放課後もよく一緒に過ごす──ちょうど今の枢君たちと同じような関係でした。
さて、これはとある休日のことです。
私と一檎ちゃんは、駅前のカラオケに来ておりました。
待ち合わせは店のすぐ前。
今振り返ると少しはしたない行いでしたが、当時はまだ中学生でしたので、大目に見てほしいものです。
生憎なことに、その日は一檎ちゃんの路線がやや遅延しており、数分ほど遅れると連絡を貰っていました。
そんな一檎ちゃんを待っていた折、
「あれ、瑠歌ちじゃん」
「え、ほんとだ」
「なんで瑠歌ちゃんが?」
彼女たち──仲良くしていた三人と遭遇します。
これは別に、私が除け者にされていたというわけではありません。
ただ、私は先に一檎ちゃんとの約束を取り付けており、少々都合がつかなかったというだけのこと。
彼女らもどこかへ遊びに行くという話は耳にしていたのですが、場所が被るとは思いませんでした。
「まさか瑠歌ちの用事もカラオケだったなんてね」
「ええ、驚きですね」
「……そうだ、良かったら瑠歌ちもこっちに合流しない? ってかしようよ」
「えー、いいじゃんそれ」
「うん、瑠歌ちも一緒に来なよ」
すっかり歓迎ムードの彼女たち。
「ごめんなさい、私、今日は別の友達と来ていまして……」
そう断りを入れますが、彼女たちは意に介しません。
「だったらその子も呼ぼうよ」
「えー、いいじゃん、そうしよ」
「うん、全然歓迎するよ」
結局、私はその話を受けることにしました。
勝手な判断だとは分かっていましたが、一檎ちゃんにはまだ私以外に仲のいい子もいなかったので、良い機会だと思ったのです。
この軽率な判断を、私は今でも悔いています。
「ごめんね、ルカ。お待たせ。……どういう状況?」
「こんにちは、一檎ちゃん。今、この子たちと、そこでバッタリ会いまして。それで、良かったら一緒にどうか、という話になったんです」
「えっと、クラスメイトの……」
一檎ちゃんは戸惑っている様子でした。
でも、このときの私は勝手に、一檎ちゃんの世話を焼いてあげている気分になっていたのです。
「ええ。それで、一檎ちゃんもこれを機に仲良くなれたらと思って、お受けしたんです」
「え?」
しかし、一檎ちゃんの困惑はあっさりと流されてしまいます。
「よろしくね、蓉海サン」
「楽しもうねー」
「蓉海サンってカラオケとか来るんだね」
そんな風に語り合いながら、先払い式の受付を済ませます。
こうして、私たち五人のカラオケは始まりました。
「じゃ、まずウチから入れるね」
「いいじゃん、いいじゃん」
「うん、いけいけー」
いつも通り、楽しそうな様子の三人。
「……うん」
それとは対照的に、委縮した姿の一檎ちゃん。
今考えてみれば、当然のこと。けれどあの頃の私たちは──いえ、あの頃の私は、どこまでも、幼かったのです。
どこまでも幼く、愚かだったのです。
「ごめん。飲み物、取ってくるね」
そう言って、一檎ちゃんが席を外します。
グラスを手に部屋を出ていき、扉が完全に閉まりきったときでした。
「ねぇ瑠歌ちさぁ、なんで蓉海サンと来たの?」
「それ、あの子全然盛り上がってなくなーい?」
「うん、ちょっと浮いてるよね」
口々に、ひどく冷たい言葉たちが飛び出ます。
「普段は、もっと個性豊かな子なんですよ。ただ今日は……」
私は必死にフォローを試みます。けれど、
「瑠歌ちもさ、付き合う子考えた方がいいんじゃない?」
「それ、思ってた」
「うん、瑠歌ちゃんが優しい子なのは知ってるけど、そこまでしなくてもいいと思う」
もはや、焼け石に水でした。
とはいえ、彼女たちもある程度吐き出したら満足したようで、次に入れる歌の話に戻ります。
一檎ちゃんはまるでそれを見計らったかのように──いいえ、恐らく外で陰口が終わるのを待っていたのでしょう。話が切り替わった辺りで、一檎ちゃんは部屋に戻ってきました。
その後も、ややぎこちない空気のままカラオケは続きます。
「じゃ、次蓉海サンも歌いなよ」
「……ありがとう」
「蓉海サンの歌楽しみー」
「うん、蓉海サンの歌って聞いたことないかも」
ある程度経つと、未だぎこちないながらも一檎ちゃんと三人の間でやり取りすることも増えていきました。
暫くして、私は一度お手洗いで席を外します。
そして私がお手洗いから戻ったとき──すべては、終わっていました。
「……あれ、一檎ちゃんは?」
部屋に戻ると、一檎ちゃんはいませんでした。
しかも、ただ居ないだけではありません。
バッグも、上着も。一檎ちゃんがここにいた形跡が、ほとんどなくなっていました。
混乱する私に、しかしあっけらかんと彼女らは告げます。
「あー、ごめん瑠歌ち。蓉海サン帰っちゃったみたい」
「なんか気まずくなっちゃったみたいで」
「うん、なんかそんな感じでー……」
これは後になって、彼女らのうち一人から聞いた話です。
このとき、私がお手洗いに向かった後、一檎ちゃんと三人は軽い言い合いになったそうです。
それで、その言い合いの末に一檎ちゃんは去ってしまったのだとか。
その日の夜。スマートフォンには、一檎ちゃんから一通のメッセージが届いていました。
『ごめん、もういいや。ありがとう』
きっと、一檎ちゃんは私との関係に見切りをつけたんでしょう。
それ以降、私と一檎ちゃんはすっかり距離が開きます。
勿論、クラスメイトでしたから、何度か会話をすることもありました。
けれど──
「じゃあ残りの仕事はやっておくね、一檎ちゃん」
「……ありがとう、茅谷さん」
彼女が私をルカと呼ぶことは、なくなりました。
三年生になると、私と一檎ちゃんは別のクラスになります。
一檎ちゃんとは、それっきりでした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そして、現在に至ります。
「……瑠歌、一檎とは知り合いだったのか?」
「……ええ、中学が一緒だったんです」
知り合い。
今の私たちの関係は、その名前が適切なんでしょう。
「カナメ。茅谷さんとは、二年の頃同じクラスだったんだ」
「へぇ。そう言われると、一檎の中学時代がちょっと気になるな」
だって──
「そう? じゃあ今度、卒業アルバム見せてあげる。その代わり、カナメのも見せてね」
「ああ、またそのうちな」
──だってまだ、一檎ちゃんは私を、ルカとは呼んでくれないから。
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