等身大の純情

 ピピピ、ピピピ。

 無骨な機械音が朝を告げる。

「……くぁ」

 小さな欠伸を一つ。

 のそりとベッドから降りると、そのまま洗面台へ向かう。

「冷たっ」

 軽く顔を濡らして、無理やりに頭を目覚めさせる。

「準備っ、準備っ、と」

 約束の時間まではまだ四時間。いや、たった四時間しかない。

 下地を付けて、ファンデーションを叩く。

 アイシャドウも塗って。それだけ準備しても、未だに心の準備は終わらない。


 ああ、リップはどの色にしようか。




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




 改札を抜け、待ち合わせ場所へ向かっていく。

「早すぎたかな……」

 集合時刻の十二時までは、まだ一時間ほどある。

 流石に枢っちもまだ来ていないだろうか。

 念の為、手鏡で自身の容姿を確認する。

「……うん、変なところは、ない。服装だって、いい感じ」

 フリルがあしらわれた白いブラウスに、黒のショートパンツ。ワンポイントにはピンク色のミニショルダーバッグ。

 昨日、ルカルーと通話で相談して決めた、渾身のコーデだ。

「……よし、行こう」

 那古宮駅構内の中央広間。二階へ上がるエスカレーターの、すぐ近くにある時計が目印だ。

 高鳴る気持ちのまま、少し早足で約束の場所まで向かう。

「……噓」

 やや俯きがちにスマートフォンを触る、黒いチェスターコートの美丈夫。

 枢っちは、そこにいた。

「お、お待たせ。枢っち!」

「いや、今来たところだ。……なんてな」

 集合時刻の一時間前。それなのに、枢っちは、そこにいた。

「枢っち、いつから待っててくれたの?」

「ああ、冗談みたいに言ったけど、来たのは本当にさっきだよ。なんとなく、明花ならこのくらいに着いててもおかしくないと思ってな」

「……もう。あたしが来なかったら、一時間も待つつもりだったの?」

「別に、それくらい大したことないさ。というか、それを言うなら明花もだろ?」

「……あたしは、なんていうか、待ちきれなかったから」

 子供みたいな理由に、少し顔が熱くなる。

「俺も似たようなとこだよ。……服、似合ってるな。いつもとは一味違う可愛さだ」

「……ありがとっ」

 枢っちは、こういうところでお約束を外さない。

 たとえ使い古された決まり文句だったとしても、ちゃんと口に出してくれる枢っちに、あたしは胸が熱くなるんだ。

「じゃあ、どうしよっか。ちょっと早いけど、お昼にする?」

 脳内でデートプランを繰り上げつつ、問いかける。

「任せるよ。なんてったって、今日は明花がエスコートしてくれるんだろ?」

 デートプランは任せてほしい──これは、あたしから言い出したことだ。

 枢っちに、少しでも多くあたしのことを伝える。今日は、そんなデートにしたかったから。

「うん。それじゃ、お昼にしよっか。付いてきて」

 記憶を頼りに、予定していたお店まで歩き出す。

 向かう先は、とあるカフェだ。一度ルカルーと訪れたことのある、カルボナーラが絶品のイタリアンカフェ。

 枢っちにも、是非とも食べてほしいと思っていたのだ。

 十時から開店なので、もう入れるはず──

「──なんだけど、あれ……?」

 店の窓から見えるのは、薄暗い店内と人っ子一人座っていない席。

 背中に、妙に冷たい汗が流れる。

「ちょ、ちょっと待っててね」

 慌てて店の入り口に近づく。

 すると、そこには張り紙が一つ。

「……そんなぁ」

 思わず泣き言を漏らしてしまう。

「! どうした、明花」

 膝から崩れ落ちるあたしを見て、駆け寄る枢っち。

「……えっと、本日、臨時休業?」

 枢っちが張り紙の内容を読み上げる。

「……ごめんね、枢っち。あたしのリサーチ不足だったみたい」

「別に俺は気にしてないさ。……そうだ。この辺りなら俺も一軒、おすすめのカフェを知ってるんだ。イタリアンではないんだけど、良かったらそっちに行くか?」

「……うん、ありがとう」

 落ち込むあたしに、枢っちは助け舟を出してくれた。


「ここだ」

 枢っちが連れて来てくれたのは、セピア色の、まさに老舗という言葉が似合う建物だった。

「いらっしゃいませー。こちらのお席へどうぞ」

 店員さんに案内され、二人用のテーブル席に対面する。

「ここのオムライスが美味しくてな。デミグラスソースがかけられてるんだけど、その味がなんとも絶妙なんだ」

「そうなんだ。じゃあ、それにしよっかな」

「ああ、是非堪能してくれ。ドリンクはどうする?」

「んー? ……ね、ねえ、これって」

 ドリンクメニューを広げて見せる枢っち。

 あたしは、その中でも一際目立つに意識を取られてしまった。

「……気になるか?」

「え、えっと、うん。……どう、かな?」

「ま、今日はデートだからな。これにしようか」

 チリン、呼び鈴が鳴る。

「はい、ご注文お決まりですか?」

「ええ。オムライスを二つ。それから──この、カップルフロートを一つ」

「かしこまりました。オムライスがお二つ。カップルフロートがお一つ。以上でお間違いないでしょうか」

 店員さんによる注文の復唱を聞いていると、段々恥ずかしくなってきてしまう。

「ええ、大丈夫です」

 枢っちも枢っちだ。

 もう少し、動揺してくれてもいいのに。


「お待たせしました。こちら、オムライスと、カップルフロートでございます」

 注文から暫くして、さっきの店員さんが料理を運んできた、の、だが──

「──うわ、これ、すごいね」

 ピーチ味だろうか──ピンク色の液体に、ハートを描く透明な二人用ストローは勿論。浮かべられたバニラアイスまでもが、ハート型だった。

「よろしければお写真お撮りしますが、いかがですか?」

「はい、お願いします。……明花、明花のスマホ貸してくれるか?」

「え? は、はい」

「じゃあ、このスマホでお願いします」

 あたしのスマホが、枢っちを経由して店員さんの手元へ行く。

「ではお撮りしますね。三、二、一。はい、綺麗に撮れましたよ」

 手渡されたあたしのスマホには、ストローのハートをピンクに染めるあたしと枢っちが写っていた。

「それでは、ごゆっくり」

 軽く一礼して、店員さんは去っていく。

「あたしたち、もしかしてバカップルだと思われたかな」

「そうかもしれない。……もうこの店は、明花としか来れないな」

「……えへへ。なんかそれ、ちょっと嬉しいかも」

 あたし専用。なんて甘美な響きだろう。

 この思い出が作れただけで、臨時休業のショックは帳消しになった気がした。

「じゃ、そろそろ食べようか」

「うんっ、いただきます。……あ、ほんとだ。おいしいね、オムライス」

「だろ?」

 枢っちは得意げな笑みを見せた。




 オムライスに舌鼓を打ったのは先ほどのこと。

 あたしたちは、アパレル店に来ていた。

「あたし、買い物デートってちょっと憧れてたんだよね」

「で、この建物に来たわけか。」

 『シャングリラ那古宮』。アパレル系のテナントが大量に入った、今をときめくティーン女子御用達の建物だ。

 数少ないながらメンズ向けの店もあったり、上階には本屋が置かれていたりと、男性客も皆無ではない。

「枢っちと一緒に服とか見たいなって思ってたんだけど、平気?」

「ああ、心配無用だ」

「やった。じゃあ早速見よう!」

 今訪れている店は、どちらかといえば万人受けの服が多く扱われている。

「あたし、ちょっとアウターが欲しかったんだよね」

「まあ、最近寒いもんな」

「そうそう。あと、厚着コーデが出来るのは冬の間だけだからね。今のうちに楽しんでおかなきゃ。……あ、これとか似合うかな」

 ピンク色のロングコートを取り、軽く合わせてみる。

「ああ、いかにも明花って感じのカラーだな。似合ってる」

「えへへ、ありがと……」


 その後も、あたしたちは色んな服を見て回った。

 ときにはゴシック調の服を試着してみたり、はたまた枢っちをコーデしてみたり。

 なんとなく、お互いの新しい一面を見せ合えた時間だったと思う。


「じゃ、あたしちょっと会計してくるから、待ってて。」

 結局、あたしは最初に取ったピンクのコートを買うことにした。

 それと、一つだけ、おまけのものも。

「はい、お待たせ。」

 枢っちのもとに戻る。

「おう。気に入ったものが見つかってよかったな」

「うん。……ちょっとだけ、目を瞑っててくれる?」

「? わかった」

 やや不思議そうな顔を浮かべるも、何も聞かずその通りにしてくれる。

 改めて見ると、あたし好みの、綺麗な顔立ちだ。 

 無防備に目を閉じる枢っち。

 もし、このままキスをしたら、枢っちはどんな反応をするのだろうか。

 羞恥? 嫌悪? それとも──喜んでくれるのだろうか。

 少しの背伸び。

 枢っちの、首の後ろに手を回す。

 そのまま、首の周りに巻き付けて──

「はい、開けていいよ」

「ああ。……これ、マフラーか」

「そ。やっぱり、枢っちにはマフラーが似合うと思ったからさ。あたしからの、プレゼントだよ」

「……そっか、ありがとう。どうだ、似合ってるか?」

「うん、いい感じ! ……嫌じゃなかったら、使ってね?」

「ああ、大切に使わせてもらうよ」


 無事買い物を済ませたあたしたちは、エスカレーターを降りる。

 そして三階まで降りたとき、気になるものが目に入った。

「枢っち、あれ。あれ撮ろうよ」 

 指したのはプリクラだ。

「プリクラってこんなに種類あるんだな」

 枢っち──というより、男の子にとってはやはり馴染みのないものなんだろう。

「それぞれ、全然加工が違うからねー。あ、これ。あたしこれが好きなんだ」

 六台ほどある中の一台へ駆けていく。

「俺にはよく分からないが……。よし、それじゃ撮るか」

「あ、ちょっと待って。……うん、よし。じゃあ入ろ入ろ」

 手鏡で、軽いビジュアルチェック。これだけは欠かせない。

「カップルモードっての、選んでもいい?」

「ああ。全部任せるよ」

「おっけー。じゃあ行くよ」

 設定を済ませ、枢っちの横に向かう。

 すると、機械から指示音声が流れ出す。

『まずは顎ピース! 三、二、一!』

 パシャリ。

「おぉ、こんな感じなんだな」

『次は二人でハートを作って! 三、二、一!』

 パシャリ。

「えへへ、なんか恥ずかしいね」

『最後はハグして!』

「「……!」」

 二人して、一瞬脳がフリーズする。

『三、二……』

「……ごめん、枢っち!」

 思い切って、後ろから枢っちの首元に飛びつく。

『……一!』

 パシャリ。

『お疲れ様! 外の端末で落書きしてね!』

 機械に言われるがまま、あたしたちは外へ出る。

「……え、えへへ。やっちゃった」

「いや、やっちゃったじゃないけどな……。こっちは驚いてそれどころじゃなかったんだぞ」

「……驚いた、だけ?」

「……驚いたし、ドキッとしたよ」

「そっか、ドキッと、したんだ……」

 あたしで、ドキッとしてくれたんだ。

「……じゃ、落書きしちゃうね」

 あたしは強引に、いつも通りに振る舞う。

「……おう、明花の落書きセンスを見せてくれ。」

「うんっ、とくとご覧あれ」

 一枚一枚にきゅるきゅるした落書きを施していく。

 そして、最後の一枚。

 飛びついた勢いのままに写るあたしと、目を丸くして慌てた様子の枢っち。

 全く、映えなんてものからはほど遠い一枚だ。

  

 けれど、この写真だけは簡素な装飾に留めた。




「それで、次は映画館か」

 あたしたちの目の前には、上映スケジュールが移されたモニターや、無数の広告ポスターが並んでいた。

 ここは『シネマNK』。那古宮駅周辺で最大級の映画館だ。

「うん! やっぱり、デートのお約束といえばここかなって」

「ま、定番だな。……で、明花は今日何が見たいんだ?」

「それはねー……あった、あれ!」

 あたしは、無数に並ぶポスターのうち、一つを指差す。

 そこにはタイトルがこう記されてあった。

『荒れた花壇に咲く君へ。』

「これは……恋愛モノ、なのか?」

「あれ、枢っち『荒れ花』知らないんだ」

 荒れた花壇に咲く君へ──略称を『荒れ花』。

 一昨年に書籍が出て、すぐさま大ヒット。重版に次ぐ重版で、あれよあれよと映画化まで決定した名作だ。

 あらすじとしては、治安の悪い女子校で勤務していた教師が、ある日学校の花壇に水やりをする少女に出会い、そこから禁断の恋が始まって──というもの。

「映画化するって聞いてから、ずっと楽しみだったんだ」

「へぇ、明花がそこまで言うなんて珍しいな」

「まあ、あたし中学の頃は結構本の虫だったからね。その頃に読んだ本だったっていうのも理由かも」

「言われてみれば、前にそんな話もしてた気がするな。じゃ、とりあえずチケット取るか?」

「いーや、ご心配なく。……じゃん!」

 スマホを開き、枢っちに画面を向ける。

「……おお、もう取ってたのか。手際がいいな」

「えへへ。カフェでは恥ずかしいとこ見せちゃったけど、今度こそ、あたしがエスコートするからね」

「ああ、期待してる。チケット代出すよ、いくらだった?」

「あー、いいよいいよ。ここはあたしの奢りってことで」

 財布を出そうとする枢っちを止める。

「いいのか?」

「うん。ま、これは来てくれたお礼みたいなものだから。ていうか、ランチのとき、枢っちが全部出してくれたしさ。それも含めてだから、遠慮しないで」

 そう、カフェでのお代は、枢っちが何も言わぬままに全額出してくれたのだ。

「まあ、そういうことなら、ありがとう。じゃあ、ポップコーンとか並ぶか?」

「うんっ、行こ。……あ、あたし今日はドリンクだけにしようかな」

「なら、俺もそうしようかな。明花は何飲むんだ?」

「んーとね、うん。今はサイダーの気分かな」

「了解、サイズはMだったか?」

「流石枢っち。よく覚えてるね」

 夏ごろに一度、四人で映画に来たことがあったが、ここに来るのはそれっきりだったはずだ。

「別に大したことじゃないさ。俺は……アップルジュースにしようかな」

 珍しい。

「枢っちって、炭酸党じゃなかった?」

 炭酸党──私たちの間でだけ使われているローカルワードだ。

 意味は、甘党的な。

「ああ、なんとなく、今日はこっちの気分だったんだ」

「ふーん」

 変わったこともあるものだ。

 そうこう話している間にレジの列は進み、あたしたちの番になっていた。

「じゃ、ソーダのMとアップルのMでお願いします。……はい、ありがとうございます」

 注文を捌く店員さんも一流のようで、速やかにドリンクは手渡された。

「ほい、明花」

「ありがと。あ、お代渡すね」

「いいよ、これくらい。チケット代は奢ってもらってるわけだしな」

「もう……それじゃ意味ないじゃん」

 結局、ランチ代は枢っちが出してるのだから。

「わかった、ありがと枢っち」

「おう。じゃ、スクリーンまで行くか」

「もういい時間だもんね。行こっか」

 入場口のカメラ付き端末ににスマホの画面をかざし、電子チケットを読み取らせる。

「便利な時代になったよねー」

「ああ、ちょっと前までは切り取り式だったもんな。そのうち、『半券』なんて言葉も死語になるのかもな。」

「かもね。現に、『もぎり』なんてのはもう聞かなくなったわけだし」

「? すまん、知らない単語だ」

 ああ、これは本で知った単語だったっけ。

「チケットの半券を取ることを『もぎり』って呼んでた時代があったんだよ」

「へぇ、初耳だ。俺たちが子どもの頃はどうだったかな」

「うーん……もしかしたら、もう呼ばれてなかったかも? あ、枢っち。ここのスクリーンだよ」

「あいよ。席はどの辺りにしたんだ?」

「ふふふ、ちょっと変わった席にしたんだ。……これ!」

 あたしは自信満々に席を紹介する。

「……これは、ペアシートってやつか?」

 ペアシート。通常の席と違い二席一セットになっていて、間の手すりが省かれている特別仕様の座席だ。

「そうっ。値段もあんまり変わらなかったから、こっちにしてみたんだ」

 ポップコーンを買わなかったのも、これが理由だったりする。

 あれは嫌いじゃないけれど、二人の時間には少しノイズだ。

「はい、じゃあ枢っちも座って?」

 上目遣い気味に、少しあざとさを意識してシートの右隣を叩く。

「……ああ。……なんというか、仕切り一つでこんなに変わるんだな」

「ね。あたしも、想像してたより近かったかも」

 肩の触れ合う距離にドギマギしてしまう。

「「…………」」

 どうやらそれは枢っちも同じのようで、二人して、思わず黙り込んでしまう。

「……枢っちも、そんな風に照れるんだね」

「……そりゃ、俺だって、こんなの慣れてるわけじゃないからな」

「ふふ、そっかぁ。……そろそろ始まるね」

「そうだな」

「ねぇ、枢っち」

「どうした、明花?」

「…………手、繋いでもいいかな」

 答えは沈黙だった。

 沈黙で、けれど、右隣から伸ばされた手が、言葉なんて不要な程に答えを物語っていた。

 枢っちの手が、あたしの手に重なる。


 より強く結ぶように、あたしは指の一本一本を絡めた。




 エンドロールが流れきる。

 監督の名前が薄れていき、次第に劇場の明かりが灯りだす。

「……いい映画だったな。面白かった」

「あたしも。二年待った甲斐があったよ」

 ぞろぞろと客が席を後にする。

 気付けば、残っているのはあたしたちだけだった。

「そろそろ行くか?」

 優しく、促すように、枢っちが繋がれた右手に力を入れる。

「そうだね」

 本当は、まだ名残惜しいけれど。

 あたしは枢の手から、そっと指を抜き取った。




 映画館を出ると、外はもう薄暗くなっていた。

「いやぁ、早いね。もうこんな時間かぁ……」

「まあ、散々楽しんだしな。エスコートはこれで終わりか?」

「うんっ。あたしのデートプランは、あとは駅まで歩いて、それでおしまい」

「そうか」

 どちらからともなく、駅に向かって歩き始める。

「今日はありがとな。ほんと、一日中楽しかった」

「えへへ。枢っちにそう言われると、悩んだ甲斐があったよ。……あたしも楽しかった」

「そっか、それならよかった」

「うん。オムライス、また行きたいな」

「そうだな。……いや、どうせなら今日行けなかったカルボナーラの方も行きたいな」

「あ、そうだね。あれ、今度は絶対リベンジするから」

「ああ、楽しみにしてる」

 今度。

 それはいつなんだろうか。

「服選びも、付き合ってくれてありがとね」

「こちらこそ。マフラー、大切にするよ」

 歩きざまに、ゆっくりと、今日のことを振り返る。

「そう言って、ずっと仕舞いっぱなしとかはナシだよ」

「わかってるよ。明日から使うさ」

「ほんと? じゃあ、明日一番に見せてね」

「……いや、一番は流石に無茶だけどな」

「ふふふ、一番に見せるつもりで来てねってこと」

 あたしのデートプランは、これでおしまいだ。

 だから、これは。

「……ねぇ、少しだけ寄り道したいな」

 今あたしを動かすのは。

「だめ?」

 計画性など一切ない、単なる──純情だ。


 駅の少し離れ。

 植物のモニュメントが中央に置かれた、小広間。

「ここに来たかったのか?」

「……ううん」

「?」

「そうじゃなくて。ここならいいかなって、そう思ったの」

 イルミネーションも何もない小さなスペース。

 それでもきっと、街の雑踏よりはロマンチックだから。

「ねえ、枢っち」

「……ああ」

「あたしね、今日、ずっと楽しかった」

「……」

 頭の中は滅茶苦茶だ。

「今日みたいな日が、ずっと続いてほしいって思った」

「……」

 何が正しいやり方なんて、分からない。

 それでも。

「ねえ、枢」

「……なんだ?」


「あたし、あたしね──枢のことが好きなの!」


「!」


「だから枢。あたしと、桃井明花と、付き合ってください!」


 頭を下げ、そっと右手を差し出した。




 一秒。


 二秒。




 五秒。






 けれど、どれほど待っても、映画館で確かめたあの感触は訪れなかった。






☆ ☆ ☆ ☆ ☆






 明花が、俺に告白をした。

 細い、すべすべとした手を、まるで祈るように差し出している。


 分かっていた。

 明花が俺に好意を寄せていることは。

 分かっていて、その上で、俺は今日デートに来た。


 だから、俺は明花の想いにしっかりと向き合うべきで。


 それでも、視界の隅に写ってしまったんだ。


 数日前から目にするようになった、あの茶色の髪が。




 だから──




「少しだけ、考えさせてくれ」




 俺は、最低の選択をした。

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