交錯する思惑 下

 今しがた、四限が終わった。

 その間に僕たちの計画は全くと言っていいほど、進展しなかった。

 かろうじて、まだハルちゃんは枢をデートに誘っていないが、それだってもはや目前の危機だ。

 ここらで一度、僕には枢に強く踏み込むことが求められていた。

 クイッ、クイッ。

 枢に目配せをしながら、教室の外を親指で差す。

「!」

 気づいたようだ。枢がこちらに向かってくる。

「秀琉、どうかしたか?」

「ああ、ちょっとお手洗い行かない?」

 所謂、連れションだ。

「秀琉がそんな誘いなんて珍しいな。ま、それじゃトイレ行くか」

 そんなこんなで、お手洗いに向かう僕ら。

 ここで、僕は仕掛けることにした。

「そういえばさ、枢。朝の話なんだけど……」

「朝の?……あぁ、『Crepe Freak』の店主さんの話か」

 違う。

「それも衝撃的だったけど、そっちじゃなくて。ほら、昨日友達と買い物に行ってたって話の方」

「そんな話もしたな。んで、それがどうしたんだ?」

「うん。その友達って、僕も知ってる子?」

 僕の問いに、どう答えるべきか少し悩む枢。

「……いや、多分面識もないと思う。他校の友達なんだ」

「へえ、そうなんだ。でも、僕でも面識ないってことは僕たちと中学も違うんだ?」

「まあな。偶然知り合った相手なんだよ」

「なるほどね。……ねぇ、当ててもいい?」

「な、なんだよ」

 話に食いつく僕に、枢はやや気圧される。

 ここだ。


「枢。その子ってもしかしてさ、女の子でしょ」


 当然、僕は偶然目にしたから知っているだけだ。でもそれを、敢えて当ててやった風に演出する。

「……別に、だから隠してたって訳じゃないんだけどな。ま、そうだよ」

 ついに、枢は観念してみせた。

「言っておくが、別に彼女とかそういう話ではないからな」

「……そっか」

 これ以上は踏み込ませまいと、事前に予防線を張る枢。

 まあ、この様子なら大丈夫か。

 きっとまだ、ハルちゃんにも勝算はある。瑠歌さんとの計画は終了でいいだろう。

 だから。

 最後のこれは、単なる僕の、好奇心だ。


「ちなみに枢って、今は気になる子とかいないの?」


「……気になる子、ね。……さて、どうだろうな」

 沈黙のうちに、一体誰を思い浮かべたのか。

 はぐらかすような笑み一つだけ見せて、それから枢は教室へ進みだした。




「さ、食べよ食べよ!」

 四人が揃ったのを見るや、真っ先に昼食の封を切ったのは明花だ。

「いただきまーす。……はむっ、うん、美味しい」

「明花は今日も駅前のクリームパンか?」

「そうだよ、枢っち。あたし、あそこのヘビーユーザーだからね」

「ふふ、そのレジ袋もすっかり見慣れてしまいましたよね」

 机の上にある、赤色でパン屋のロゴがプリントされた紙袋を見て、瑠歌は言う。

「ハルちゃん、ほんとに毎日これだもんね。今日はもう一個は何にしたの?」

「んー? 今日はねぇ、これ!」

「いや、見た目だけじゃ全然わからないけどな」

 ひとまず、メロンパンや二つ目のクリームパンでないことだけは分かった。

「そう? あたしこれ、前にも買ってきたことあるよ?」

「言われてみれば、見たことあるような、ないような……」

 秀琉も見た目ではわからないようで、むむむ、と唸る。

「さて、一体何なんでしょうね?」

「そうか、瑠歌は知ってるのか」

「はい、私はいつも明花ちゃんが買うのにお付き合いしてますから」

 さて、この丸型のパンは一体何味なのだろうか。表面に果肉やらが付いていないことから、恐らくは中にジャムか何かを注入するタイプだと推測できる。

 そしてもう一つ、明花は旬のフルーツが使われたパンをよく買ってくる傾向にある。そこから察するに、このパンは──

「──オレンジ味のパン、でどうだ?」

「ぶっぶー。正解はキウイデニッシュでしたー!」

 なんだそれ。

「なんというか、すごい挑戦的なパンだな……」

「ていうか、そんなの買ってきてたんだね……」

 斜め上すぎる答えに、思わず戦慄してしまう俺と秀琉。

「ええと、たしか一昨日もそのセットでしたよね」

 瑠歌は指を折りながら思い出す。

「うん、ルカルー正解っ。ちなみに、オレンジ味は昨日でした」

 ニアミスだった、ということか。

「というか、一昨日だったら俺は見てないんじゃないか?」

「そっか、枢っちはその日おサボりさんだったか」

「はは、おサボりさんって。ハルちゃん、言い方酷いよ」

 言葉ではそう指摘しながらも、半笑いの秀琉。

「まあ、サボりは事実だしな。甘んじて受け入れるさ。……と、ごちそうさまでした」

 俺は箸を置き、そのまま弁当箱を片付け始める。

「枢君、相変わらず食べるのが早いですね」

 そんな風に言う瑠歌の弁当は、まだ半分ほど中身が残っている。

「別に急いで食べてるつもりはないんだけどな」

「このグループは両極端だから、余計早く見えるのかもね」

「言われてみれば、ルカルーと秀くんは結構ゆっくりだよね」

 かなり小さくなったキウイデニッシュを手に、明花は頷く。

「はむっ。……ごちそうさまでした」

「……もしかしたら、枢とハルちゃんは一口が大きいのかもね」

「! ちょっと秀君、女の子に一口が大きいって言うのは、デリカシーが無いんじゃない?」

「え。いや、これはその、冷静な分析というか。決して貶すつもりではなかったというか……」

 唐突な、思わぬ角度からの明花の攻勢にたじろぐ秀琉。

「秀琉君……」

「瑠歌さん、瑠歌さんなら分かってくれるよね?」

 間に入る瑠歌に、秀琉は助け舟を期待する。

「デリカシーが無いというのは、意図せずやってしまうからこそ、そういう言い方をするんですよ」

 しかし、そんな秀琉を瑠歌はばっさりと両断した。

「まあ、秀琉は昔から、たまにそういうところがあるからな。……大丈夫、今からならまだ直せるさ」

 俺は優しく秀琉の肩を叩いてやる。

「枢……」

「とりあえず、明花に謝ろう。きっと、裁判沙汰は勘弁してくれるはずだ」

「そうだね。ごめん、ハルちゃん。僕がデリカシーに欠けてたよ。……って、僕、危うく裁判になるとこだったの!?」

 なんとも綺麗なノリツッコミだ。

「あはは、いいよ秀君。示談金で勘弁してあげましょう。弁護士さん、後はよろしくお願いします」

「わかりました。お任せください、明花さん」

 冗談に乗っかる明花と瑠歌。


 こうして、俺たちのいつも通りの昼休憩は、わちゃわちゃと過ぎていった。




 放課後。

 気付けば、今日も終わってしまう。

「お疲れ、明花。今週もやっと終わったな」

 右隣に座る枢っちが、軽く腕を伸ばしながらあたしの名前を呼ぶ。

「うん、枢っちもお疲れ様。……って、枢っちは水曜休んだんだから、それほど疲れてないか」

「まだ擦るのか、その話……。」

 冗談めかしたあたしの言葉に、呆れたように半眼になる枢っち。

「あはは、ごめんって。だって枢っちがイジる隙を見せるの、滅多にないからさ」

「はぁ……。そのネタ、今日でもう勘弁してくれよ?」

「はーい」

 他愛のない、本当に何気ないやりとりだ。

 けれど、あたしにとってはこの時間が、何よりも宝物だった。

 だから、今は、あと少しだけ。

「ねえ、枢っち」

「ん。どうした、明花?」

「今日の帰りさ、那古宮駅まで一緒に歩かない?」

「相変わらず唐突だな……。ああ、俺はいいよ。じゃあ、秀琉たちにも──」

 やや離れた席で話している二人にも声を掛けに行こうとする枢っち。

「──待って」

 そんな枢っちを、あたしは引き留めて。


「あたしと、二人きりじゃ、嫌、かな……?」

 

「………分かった」

 枢っちはあたしに微笑みかける。

「じゃあ、あいつらにはそう伝えて来るよ」

「……うん。ありがとっ」

 今度こそ、枢はルカルーたちの方へ向かった。

 それから、二、三言話して、あたしのところに戻ってくる。

 その後ろで、親指を立てるルカルーと秀君が見えた。

 頑張って、とそう言われている気がした。

「よし。明花、それじゃ行くか」

「うん、行こっか。枢っち」


 教室の扉を抜ける前、あたしは一度だけ振り返った。

 自然に手を振りつつ、大切な友人たちに、口の動きだけで伝える。


 ──ありがとう。





「……いやー、それにしても寒いね」

「まあ一月だからな。今日の夜も、0度を下回るらしいぞ」

「ひえぇ、そうなんだ。しっかり厚着しなきゃだね」

 高校から那古宮駅まで、歩いて三十分程度の距離。

 夕焼けの中、あたしと枢っちは、二人並んで歩いている。

「そういえば、枢っちはマフラーとかしないんだね?」

 白のダウンに、赤系のアーガイル柄の手袋。おまけにベージュのマフラーをしっかり巻き付けた完全防備のあたしと違って、枢っちの防寒対策は非常に簡素だった。

 大して厚さもなさそうな黒色の手袋を付け、同じく黒色のダウンを羽織って終わり。

 正直、見ていて心配になる。

「俺は家から駅までは自転車だからな。自転車にマフラーはあまり良くないって聞くし、それに、途中から巻くにしても手間だろ?」

「えー、暖かいのに。何だったら、今ちょっと貸してあげよっか?」

 首周りのマフラーを掴んで、暖かさをアピールするように見せつけてやる。

「いらんいらん。そうしたら今度は明花が寒いだろ」

「まあ、そうだけど。……じゃあ、一緒に、とか?」

 我ながら、何を言ってるんだろう。

「……ドラマの見過ぎだよ」

「むぅ……」

「そういう明花こそ、脚とか、寒くないのか?」

 それを言われると弱い。

 先ほど完全防備などと宣ったが、それは上半身の話。

 下半身は、膝上まで詰めたチェック模様のスカートと、申し訳程度のソックス程度しか、あたしを寒さから守るものはなかった。

 けど、これを聞かれたときのアンサーは決まってる。

「女の子はね、お洒落のためなら無敵になれるんだよ」

「おお、なるほど。愚問だったか」

 枢っちも納得したみたいだ。

「……そういえば、さ。初めてじゃない? こうして、二人で歩くの」

「……ああ、そうかもしれないな」

「この一年、ずっと四人で一緒だったもんね。文化祭の時だって、四人で回ったの、覚えてる?」

「忘れるわけないだろ。そもそも、あれは十月──まだ三ヶ月前のことだしな」

「それもそっか。……文化祭、楽しかったね」

「そうだな。……けど確かに、思えばもうあれから三ヶ月も経ったのか」

「ね。正直さ、一瞬だったよね」

 那古宮駅が見えてきた。

「ああ。高校一年生も、あと二ヶ月で終わりなんだな」

「うん、そうだね。……ねえ、来年は、どうなるのかな」

「……明花は、理系だったか」

「そうだよ、枢っちと一緒。……ルカルーや秀君とは、別々」

 少しずつ、那古宮駅が近づいてくる。

「……せめて、明花とは同じクラスだといいな」

「うん。……あたしね、三人と出逢えて良かった」

 刻一刻と、リミットが迫ってくる。

「俺も、明花と同じ気持ちだよ。それに秀琉も瑠歌も、きっとそう思ってるさ」

「だね。……あと二ヶ月、沢山皆で思い出作ろうね」

「勿論。また、今度は四人でクレープも行こうな」

「……うん。絶対だよ。……それから、クラスが変わっても、変わらず仲良くしようね」

 本当は分かってる。

 変わらないものなんてないんだって。

「ああ、約束だ。……と、そろそろ駅か。じゃあ、俺はこっちの路線だから」

 どれだけ永遠を願っても、それは叶わないって。

「じゃ、明花。また来週な」

 身を翻し、少しずつあたしから遠ざかっていく。

 あたしは。

 そんなの、腕を掴んだ。

「? どうかしたか?」

「あのね、枢──」

 心臓の音がうるさい。血流が、全身に激しく巡るのを感じる。

 顔が熱い。

 けれどどれもこれも、今はこの夕焼けが隠してくれると信じて。


 言うんだ。




「──日曜日、私とデートしてください」




 動悸が、収まらない。

 心音が、まるで世界中に響き渡っているみたいだ。

 つかの間の沈黙が、永遠のことのように思えた。


「……分かった。明後日、デートしようか」


 枢の返事を聞いて、そこであたしは呼吸の仕方を思い出した。

 


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