交錯する思惑 上
金曜日。
枢は今日もいつも通り、教室の扉を開ける。
「お。おはよう、秀琉。それに、瑠歌と明花も。三人とも揃ってるなんて、珍しいな」
ほとんどの場合、真っ先に教室にいるのが秀琉だ。その後に、枢が。そして最後に明花と瑠歌がやってくる。
「おはよ、枢」
「お、おはよー、枢っち」
「おはようございます、枢君」
普段と変わらない態度の秀琉と瑠歌。そんな彼らとは対照的に、少し変わった様子の明花。
「おう、おはよう。で、そっちの二人は何で今日はこんなに早いんだ?」
「あー、えっと、それはね、なんていうか──」
「──昨日、偶然そういう話になったんです」
明花の言葉を引き取って、瑠歌が答える。
「昨日っていうと、クレープに行ったときか」
「ええ。そこで登校時間の話が出てきて、その折に秀琉君が、試しに早く来てみない、と提案してくれたんです。ですよね、秀琉君」
「え。……ああ、そんな感じ。僕がいつも早く来るから、どんな感じなのか聞かれてさ」
「……なるほど、そういう訳か。」
枢が納得したように頷くと、三人はほっと胸をなで下ろす。
当然、今の理由は瑠歌の機転を利かせた噓だ。
真相は、少し前──前日にまで遡る。
「うーん、どうしたらいいんだろうね」
頭を抱えているのは秀琉だ。
「そうですね、これはちょっと青天の霹靂と言いますか……」
枢と謎の茶髪の少女──
秀琉と瑠歌は動揺を何とか消化すべく、コーヒーショップに訪れていた。
窓際のカウンター席に並んだ彼らは、言葉を交わす。
「目下の問題は、ハルちゃんをどうするか、か」
彼らの焚き付けの甲斐あって、遂に枢にアタックする事を決意した明花。
先程までは明花の決心に喜び合っていた彼らだが、『アティック』で枢を目撃して以来、その心情は全く真逆のものとなっていた。
「……あの、別にまだ、枢君にお付き合いしている相手がいると確定したわけではないんですよね」
「……まあ、ね。実際、彼女は単なる友達かもしれない。けど、そんな希望的観測でハルちゃんを送り出すのは、ちょっとね」
「はい……。私もやっぱり、明花ちゃんの背中を押してしまっただけに、責任めいたものを感じています」
二人の間に流れる空気はもはや通夜。
それほどまでに、枢と一檎が肩を寄せてショッピングしている光景は衝撃的だったのだ。
「今になって思えば、枢君が今日来なかった理由──用事とだけしか言わなかったのも、そういう意図があったのではないかと疑ってしまいます」
「……いや、瑠歌さん、それは考え過ぎだよ。枢は基本、相手ありきの内容なら進んで内容を言ったりはしない。あれは多分、枢なりの気遣いというか、癖みたいなものだと思う」
瑠歌の疑心暗鬼を、秀琉はきっぱりと否定する。
「……秀琉君、強いんですね。私はさっきから、どうしてもネガティブな事ばかり考えてしまいます。そもそもこれは、自分事ですらないというのに」
やや自嘲気味に呟く瑠歌。
「いや、それは瑠歌さんが、それだけハルちゃんのことを想ってるってことでしょ。むしろ、素敵なことだと思うよ。……それに、僕だって本当は今、結構ショックなんだ」
「……ありがとうございます。ショック、ですか?」
今彼女を苛んでいるもの──罪悪感や責任感とは少し毛色の異なる言葉に、首を傾げる。
「そ。……自分でいうのも恥ずかしいんだけど、正直さ、僕、枢とは結構仲良いと思ってたんだ。付き合いの長さもあるし、枢とは、腹を割ってなんでも話せる関係だって思ってた。それなのに──」
「──あの子のことを一切知らされていなかったのがショックだった、ということですか?」
「……うん。別に、枢だって言いたくないことはあるだろうし、それは僕だって同じだ。けど、あの子のこと、今まで一切素振りすらなかったからさ」
両手を組み顎を乗せ、より一層、視線を下に落とす。
「……正直、枢のことが分からなくなったよ」
「……落ち込んでたのは、お互い様だったんですね」
そう言いながら、優しく秀琉の背を撫でる瑠歌。
「はは、情けないところを見せちゃったか」
秀琉はややぎこちなく、笑みを浮かべる。
「それも、お互い様です」
「……さて。それじゃあ改めて、ハルちゃんのことをどうするか考えようか」
泣き言は終わり、とばかりに秀琉ははっきりと口にする。
「はい。取り急ぎすべきことは、明花ちゃんのアタックを一度止めること、ですか?」
「そうだね。まず一つすべきなのはそれだ。けど──」
僅かにかぶりを振る秀琉。
「それだけじゃ問題の先送りにしかなってない」
「そうですね。つまり、もう一つの目標は──」
そこまで言って、一度秀琉と目配せを交わしてから、瑠歌は続きを口に出す。
「「──あの子の正体を探ること」」
「……ですね」
意思の疎通を確認した瑠歌は、大きく頷いた。
「結局、そこが一番大事だからね。あの子がもう枢の彼女なら、ハルちゃんにもそれとなく伝えてあげた方がいい。ハルちゃんにとっては辛いことだけど、それでもきっと、そっちの方が傷も浅いだろうから」
「けれど、もしまだ付き合ってないようでしたら、今がラストチャンスかもしれません。だからこそ、あの子の真相を究明するのは急務です」
「そうだね。それを踏まえて、今後の方針だけど──」
彼らが立案した計画はこうだ。
1.明日の朝、枢が来るまでの時間に明花を説得する。
兎にも角にも、秀琉たちには少女の正体を暴くための時間が必要だ。
そんな時間を稼ぐ為に、一度明花にはデートに誘うのを延期してもらおう。これは、そういう考えでの計画だった。
ちなみに、メッセージアプリではなく直接話すことにしたのは、瑠歌の提案である。
2.枢から、例の少女の正体を探る。
枢と彼女は、一体どんな関係なのか。
そして、本当に明花の背中を押してもよいのか。
それを見極める為に、秀琉と瑠歌は、枢に探りを入れる必要があるのだ。
枢をデートに誘いたい明花と、明花に訪れるかもしれない悲劇を事前に防ぎたい秀琉たち。
水面下で絡まる、それぞれの思惑。
斯くして、明花と瑠歌の早朝登校は実現された。
──尚、作戦1については既に半壊状態である。
(一度やると決めたハルちゃんが、まさかあそこまで折れないなんてね)
僕は内心でそう吐露する。
結局、枢が来るまでにハルちゃんを説得することはできなかった。
けれど、失敗したことを振り返ってばかりでも仕方ない。
今はもう一方の作戦──即ち、枢から例の女の子について探るのを進めなければ。
「そういえばさ、枢は昨日、僕たちがクレープに行ってる間に何してたの?」
まずは軽いジャブだ。
「たしか、用事があると言っていましたよね」
僕の意図が伝わったのだろう、すかさず瑠歌さんも追撃する。
「……ああ、そう言ったっけか。まあ、ちょっとした買い物だよ」
昨日よりは鮮明に、しかしそれでもまだぼやかして言う枢。
(でもね、枢。その逃げ方は悪手だ)
「えー。枢っち、そうだったの? だったらクレープの後でも良かったじゃん」
ハルちゃんはやや拗ねた口ぶりで言う。
(そう、ハルちゃんは間違いなくそこで追及するタイプの子だ。……さて、枢。これにはどう出る?)
「……悪い、実は友達に付き合ってもらうよう頼んでてな。こっちから頼んでおいて、ドタキャンってのも不義理な話だろ? だから昨日はそっちを優先したんだ」
あまり話すつもりではなかったのだろう、枢はややバツが悪そうに頭を掻く。
(でも、そうか。友達なのか)
あくまで言葉の上とはいえ、少しずつ枢のスタンスが見えてくる。
「まあ、それなら仕方ないよね。ごめんね枢、変なこと聞いちゃって」
ここで一度、僕は矛を収めるポーズを見せる。
「ああ、別に大丈夫だ。……そういえば、クレープで思い出した話なんだが、あのクレープ屋の由来って知ってるか?」
「由来って言うと、店名の? えーと、そもそも何て名前だったっけ……」
「『
「あー、それだそれ。流石ルカルー。語呂は良いんだけど、確かに考えてみると変な名前だよねぇ……」
しみじみと頷くハルちゃん。
「Freakってたしか、変人とか変態とか、あんまり良い意味の単語じゃなかったよね」
「ああ、スラングとしてはもっと下品な意味合いで使われてたりもする。正直、あまり店名に向いてる名前じゃないよな」
そんな単語だったのか。
「だから気になって聞いてみたんだよ。店主さんに」
「「「枢(っち)(君)……」」」
枢は時折、妙な行動力を発揮することがある。今回も、それが出てしまったんだろう。
「それで、そうしたら店主さんも快く話してくれてな。曰く、店主さんは若い頃、フランスへ留学に行ってたらしいんだよ。そこで──」
その後も、枢による店主さんのフランスエピソードは長々と語られた。
フランス留学中に、好物の甘いクレープを食べたいと思った店主さんはクレープ屋を訪れるが、しかしどの店もスイーツ系のクレープは扱っていなかったこと。
当時、フランスではおかずクレープ──ガレットが主流であり、日本の甘いクレープはあまり一般的でなかったこと。
それを残念がった店主さんは、俺が甘いクレープの魅力を広めてやるんだと研究を始めたこと。
そして、食事のたびにクレープ開発に明け暮れ、毎食クレープばかり口にする店主さんを、大学の仲間たちは揶揄する意味で『
出るわ出るわ、店主さんの色濃いエピソードの数々。
「──だから、あの頃の仲間たちにも届いてほしい。そんな想いを込めて、『Crepe Freak』なんて変わった名前にしたらしいんだ」
「……へぇ。あの名前に、こんなに深い背景があったんだねぇ」
感心した様子のハルちゃん。
「正直、語呂だけだと思っていましたので、驚きでした」
「そうだろ? 俺も初めて聞いたときは、ちょっと感動したんだ」
「……まあ悔しいけど、面白かったよ」
「まさか、たかが店名の由来から、ここまで話が広がるだなんて思いませんでした」
「ああ、店主さんに感謝だな。……っと、そろそろ朝礼だな」
気が付けばもう、そんな時間だ。
結局、枢の謎知識に翻弄され、作戦は中途半端のまま朝は過ぎてしまった。
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