その頃の彼女ら

 時は少し巻き戻って、放課後。


「あーあ、かなめっち行っちゃった」

 枢が学校を後にしてから、明花は名残惜しそうにぼやく。

「……ハルちゃんって、枢のこと大好きだよね」

 悪戯めいた顔で言うのは秀琉ひずるだ。

「……だってさぁ、枢っち優しいし、面倒見もいいし、それに結構気も回るしさ。あと、……顔も結構タイプだし。仕方なくない!?」

 そう、明花はるかは枢に恋をしていた。

 そして秀琉たちの間でそれは周知の事実だった。

 知らぬのは、枢本人だけだ。

「まあ、俗な言い方をすれば優良物件だよね。表情はちょっと不愛想な印象もあるけど、それだって枢なら十分クール系で通るし」

 枢は秀琉を最上位だと評価していたが、同様に秀琉も枢のことはかなり評価している。

 クール系と、王子様系。系統こそ違えどどちらもハイレベルな二人。それが、枢と秀琉なのだ。

「あれで一度も交際経験がないというのですから、驚きですよね」

 そう述べるのは、瑠歌るか

「まあ、枢って中学の頃は勉強中心だったから。実際、何度か告白されたこともあったんだよ」

「そうなの!?……って、そりゃそうか。枢っちだもんね、納得」

「とは言っても、今は勉強に集中したいからとかで全部断ってたんだけどね。それに、高校に入ってからはハルちゃんや瑠歌さんとばかりつるんでるからね」

 明花も瑠歌も、トップレベルの容姿を有する二人なのだ。

 そんな彼女たちと仲良さげにしていたら、並大抵の女子は尻込みしてしまうというもの。

「ま、僕はそれで結構助かってるんだけどさ」

 枢と同じ理由で、秀琉も高校に入ってからはめっきり告白される回数が減った。

「正直、大して仲良くない子から告白されるのって、ありがたい話ではあるけど、結構しんどいからね」

「ああ、確かにそうですね。私も、少しですが覚えがあります」

 高校に入ってまだ間もない頃、瑠歌も何度か告白されることがあった。

 恋心が理由とはいえ、無遠慮に距離を詰めてくる男子たちに瑠歌は内心かなり戸惑っていた。

 そこに助け舟を出したのが明花であり、これを契機に彼女らは今のに落ち着くのだが、それはまた別の話だ。

「それでいうと、瑠歌さんや明花も、枢と一緒で交際経験無しなんだから驚きだよね」

「あー、あたしは中学の頃は結構地味子ちゃんだったからね。髪も染めてなかったし、なんならコンタクトじゃなくて眼鏡だったから」

 今の明花からは全く想像もできないが、中学時代の明花は、お下げに黒縁メガネのスタイルだった。

 所謂いわゆる、高校デビュー組なのだ。

「私は、中学までは女子校で箱入りでしたので。……それに、今は四人でいるのが一番居心地がいいですから」

 少し照れ臭そうに、瑠歌ははにかむ。

「もうっ、ルカルーぅ!」

 そんな声とともに、明花は瑠歌に抱き着いた。

「はいはい、明花ちゃん」

 瑠歌も、腕を回して抱擁を返す。

「……ほら、クレープ行くんでしょう。早くしないと閉まっちゃいますよ」

「……うん、そうだね。じゃ、そろそろ行こっか」

 枢が教室を出てから少し。

 こうして、彼女らもまた教室を後にした。




「さて、到着しましたね」

 学校から歩いて十五分ほど。

 那古宮なこみや駅と高校のちょうど中間あたりに、お目当てのクレープ屋──『Crepe Freakクレープフリーク』はあった。

「いつも思うけど、ここって本当に絶妙な立地だよね」

「電車を使うにしても、ここの最寄までは七分くらいかかるもんねぇ」

「ええ、それに歩けない距離でもないですから。でしたら、徒歩でいいかとなりますからね」

「そ。……でも、あたしはそれも結構良いとこだと思ってるけどね」

「そうなの、ハルちゃん?」

「うん。だってそのお陰で中は大体空いてるし、歩いてるからカロリーも消費できるし、それから──」

「「?」」

「──それから、こうして皆とたっぷり話す時間もできるからさ」

 言い切ると、明花はしたり顔で二人を見る。

「ふふ、明花ちゃんらしいです」

「だね、流石ハルちゃんだ」

 派手派手しい見た目とは裏腹に、仲間想いのギャルっ娘。それが、桃井明花なのだ。

「でしょ? ……さ、それじゃ早速選ぼ!」

 明花はメニュー表の方へ駆けよっていく。

「ハルちゃん、いい子だよね。……枢がちょっと羨ましいよ」

「あら、秀琉君でも人を羨むことがあるんですね」

「まあ、僕も人間だからね。そういう日だって、偶にはあるさ」

 そう言いつつも、秀琉は少し恥じらうように頬を掻く。

「ふふ、そうですね。きっと、秀琉君にもいずれ素敵な出逢いがありますよ。

「そうかな?」

「ええ、きっと。……もしかしたら、それは案外近くに転がってるのかもしれませんよ?」

 瑠歌は少し茶目っ気を見せながら、ウインクをするように片目を閉じた。


「よいしょっと。お待たせ。じゃあ食べようか」

 最後にクレープを受け取った秀琉も席に座る。

「うん。あ、折角だから写真撮ってもいい?」

「勿論。そっちの方に行こうか?」

 一人、四人テーブルの対面側に座っていた秀琉がそう提案する。

「ううん、そのままで大丈夫。あたしが動くから」

 明花は少々テーブルから離れ、そのままスマホを内カメラで構える。

「行くよー、ピース!」

 パシャリ。

「よし、よし。じゃあグループラインに送っとくね」

「ありがと、ハルちゃん」

「ふふ、いい写真ですね。枢君も見ているでしょうか」

「どうだろ。あ、メッセージ来てる」

『お、着いたんだな』

『ええ、次は枢君も来てくださいね』

 いの一番に返信をしたのは、瑠歌だった。

「……さあ、そろそろ食べましょうか」

「そうだね。じゃ、いただきますっ」

 明花がかぶりついたのは、黄桃のクレープだ。

「んー、絶品っ」

「明花ちゃんって、本当に美味しそうに食べますよね」

 抹茶のクレープをスプーンで掬いながら、瑠歌は微笑む。

「あたし、甘いもの大好きだからね」

「確かに、ハルちゃんっていつも甘いもの食べてるもんね」

 ブルーベリーのクレープを齧りつつ、秀琉も同意を示す。

「……もう、一月か」

 不意に、秀琉はそんなことを零す。

「急にどうしたんですか?」

「いや、あと二ヶ月もすれば、一年生は終わっちゃうだなって」

「あー、こうして振り返るとなんだかんだで早かったよね」

「そうですね。でも、そうですか。あと二ヶ月で、このクラスもお終いなんですね」

 瑠歌は、声音にやや寂寥感を含ませる。

「それに二年に上がればクラスも文系と理系で分かれることになる。僕と瑠歌さんは文系だけど、ハルちゃんと枢は理系だから、確実にここは別のクラスになっちゃう」

「加えて、文系同士、理系同士であっても、同じクラスになれるとは限りませんからね」

「……そっか、そうだよね。……あと二ヶ月、かぁ」

「そうだよ、ハルちゃん。あと二ヶ月しかないんだ。だから──」

 秀琉は意味ありげに溜めて、言い放つ。


「──だから、本気で枢と付き合いたいなら、そろそろ動き出した方がいいんじゃない?」


「……へ?」

 明花の動きが止まる。

「そうですよ。新しいクラスになれば、枢君にも他に仲のいい女の子ができてしまうかもしれません。動くなら、今のうちだと思います」

「ちょ、ちょっと待って。さっきの話、そこに繋がるの!?」

「今更何言ってるの、ハルちゃん。そもそも今日は学校から、ずっとその話だったじゃん」

「い、いやいや、その話って学校出るまでで終わったんじゃなかった!?」

「……どうやら、そう思っていたのは明花ちゃんだけだったみたいですね」

 さながら悪役のような笑みを浮かべる瑠歌。

「まあ、こんなことを話せるのも、枢がいない今だけだからね」

 秀琉もまた、口の端を吊り上げてみせる。

「……お、陥れたんだ!?」

 明花もそれに合わせて、芝居っぽく声を上げた。


「でも本当に、そろそろアクション起こした方がいいと思うよ」

「い、いやあ、アクションって言われても。一応、あたしなりには頑張ってるつもりだし」

「けど、まだ二人きりでお出かけしたこともないんですよね?」

「そ、それはぁ、その、なんていうか、断られて気まずくなったらヤだし……」

「別に、ハルちゃんなら枢も行ってくれると思うよ」

「いや、あたしもね、枢っちなら断らない気はするんだけど、それでもやっぱり不安っていうか……」

「まあ、明花ちゃん、これが初恋だもんね」

 瑠歌は慈しむように、明花の背を撫でる。

「…………わかった。やってやる」

「「え?」」


「明日、枢っちをデートに誘ってやる!」




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




「いやあ、遂にって感じだよね」

 半刻前の明花の決意を、秀琉はしみじみと振り返る。

「そうですね。私も内心、明花ちゃんの煮え切らない態度にはやきもきしてましたから。遂に動くのだと思うと、ちょっと感慨深いです」

「……上手くいってほしいね」

「ええ、明花ちゃんには、幸せになってほしいです。実際、秀琉君の目から見て、勝算はどれ程なんですか?」

「うーん、どうだろう。ハルちゃんは、ほかの子に比べたら一歩も二歩もリードしてるとは思うんだよね」

 でも、と秀琉は付け加える。

「今の枢に女の子と付き合う気があるのかが問題ってとこかな」

「成程、そこが争点になってくるわけですね」

「うん。ただ、実際二人で話してても、枢の方から彼女が欲しいって話は聞いたことないんだよね」

 え、と口をあんぐりさせる瑠歌。

「……じゃ、じゃあ何で秀琉君は明花ちゃんの背中を押したんですか?」

「……それでも、枢とハルちゃんはお似合いだと思ったから、かな」

「そういうことですか」

「うん。それにハルちゃんに幸せになってほしいって思ってるのは、僕も瑠歌さんと一緒だからね」

「はい、それなら納得です」

「……ところで、行くのは文房具コーナーで良かったんだっけ?」

 瑠歌の方を振り向き、秀琉は問いかける。

 そう、二人は今『アティック』を訪れていたのだ。

「ええ。ごめんなさい、わざわざ案内をお願いしてしまって」

「いいよいいよ。那古宮駅って、結構迷うからね。……そういえば、ハルちゃんは誘わなくてよかったの?」

「普段だったら迷わず誘うんですけどね。今回ばかりは、明花ちゃんがいないタイミングでないと、話せない話もありますから」

「ああ、そういうことね。……っと、瑠歌さんこっちこっち」

 危うく別の方向へ進もうとしていた瑠歌を引き戻す。

「あっ、すみません。少々ぼんやりしてました」

「あはは、大丈夫だよ。……やっぱり、ハルちゃんのことが心配?」

「そうですね。親友、ですから」

「まあ、それもそっか。……それはさておき、そろそろ着くよ」

 そう言って、左方へ曲がろうとする秀琉。

 瑠歌も、それに付いていこうとして──不意に、あるものが目に入った。

「秀琉君、戻って!」

 切羽詰まったような声が出る。

「え? どうしたの、瑠歌さん」

 瑠歌の様子を疑問に思いながらも、ただ事ではなさそうな態度に秀琉も従った。

「……秀琉君、あれを見てください」

「なになに……え?」

 秀琉が目を向けた先に、その姿はあった。


 肩がぶつかるくらいの距離で仲睦まじげに買い物を楽しむ茶髪の少女と──枢の姿が。


「枢……?」

 秀琉の声が震える。

「もしかして、妹さん、とかですかね。秀琉君はあの子、知ってますか?」

「……いや、僕は、何も知らない。何も」

 秀琉は、一度だってあの茶髪の少女を目にしたことがなかった。

 ただ、秀琉が確信をもって言えることは、

「……枢は、一人っ子だ。それに、歳の近い親戚もいないって言ってた」

「じゃあ、あの子は、もしかして──」


 ──枢の彼女。


 言葉にせずとも、二人の頭には共通の二文字が過ぎった。

「そんな話、一切聞いたことないんだけどな……」

 秀琉が天を仰ぐ。

「ちょっと、まずいことになったかもね」

 ただひたすらに悔いるのは、無責任に明花の背中を押した己自身だった。

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