一檎の生きがい探し
「ごめんね、ちょっと遅れて。学校が少し長引いちゃって」
申し訳なさそうに、両手を合わせる。実は先ほど、少し遅れる旨のメッセージが一通届いていたのだ。
「いや、実は俺もギリギリになりそうだったから、むしろ助かったくらいだ」
これは本当の話。教室で多少話し込んでいたこともあって、電車の時間がかなり迫っていたのだ。
もし一檎からのメッセージが無かったら、きっと今頃かなり息を切らしていただろう。
「そっか、わかった。それで、今日は何をするの?」
彼女には、今日の用件をまだ「生きる理由探しをしよう」としか伝えていない。
具体的な内容は一切明かさずに、一檎には学校の最寄から一駅かけてこの
「ああ、今日はな、一檎の部屋のインテリア探しをしようと思うんだ」
「え、インテリア?」
一檎は、首の角度をより急にした。
「そう、インテリアだ」
心なしか、彼女の顔つきがげんなりとしたものになった。
「私、別に家具には困ってないんだけど。……もしかして、カナメって結構残念な人?」
こうして初めての『生きる理由探し』は、なんとも怪しい雲行きで始まった。
さて、早速やってきたのは『アティック』という店だ。那古宮駅はここらでも最大級の駅で、様々な建物が駅と直結している。
この『アティック』という店もその一つ──那古宮百貨店というビルの7階に入った、生活雑貨店だ。
生活雑貨店といいつつも、収納用品からペンケースまで、おおよそ生活に関連付けられるものなら何でもござれなこの店に、一檎を連れ出した目的といえば──
「──ぬいぐるみ?」
「ああ。一檎の部屋って、ちょっと寂しい感じだっただろ。だから何か、気に入るものでもあればと思ったんだ」
「それで、ぬいぐるみ?」
不機嫌そうに、売り場に陳列されたペンギンやらテディベアやらを眺める。
「ああ、女の子なら──」
「──女の子なら誰だって好きだろうって?」
まさに今話そうとしていた内容を、完全に言い当てられる。
「なんていうか、ね。すごく、安直」
安直、あんちょく……。
脳内でリフレインする一檎の言葉。
俺の心には、深い傷が刻まれた。
「そもそも私、ぬいぐるみってあんまり興味ないんだよね」
一檎がそんなことを
「……薄々、そんな気はしてたよ」
こんなに手早く解決するなら、自分のことを『空っぽ』などと称したりはしない。
しかし、動揺するにはまだ早い。『アティック』が取り揃えているのは、ぬいぐるみだけではないのだ。
「まあ、折角来たんだ。他のものも見ていかないか?」
「いいよ。カナメが何を見せてくれるか、楽しみにしてる」
続いて訪れたのは、食器売り場だ。
「へぇ、結構広いんだね」
「ああ、正直俺も驚いてる」
ぬいぐるみ売り場の4、5倍ほど、下手なコンビニなら二軒以上入ってしまいそうな程のスペースに、食器の数々が展開されていた。
「わ、見てカナメ。ゆで卵置きがあるよ」
ゆで卵置き──正式名称を、エッグスタンド。
その名の通り、卵を置くだけの用途にしか使われない食器だ。
「いや、こんなもの買う人いるのか……?」
正直、俺は往年の映画でしか目にしたことがない。
「まあ、私もこれはいらないかな……」
見つけたときこそ喜んでいたものの、一檎も別に欲しくはないようだ。
「それで、なんで今度は食器売り場に来たの?」
「それはな──これだ」
「……マグカップ?」
そう、広大な食器売り場の中で、今回俺が狙い目にしていたのはマグカップコーナーだった。
「ああ。洒落た小物の代表といえば、マグカップかと思ってな」
マグカップはデザインも豊富で、複数あっても困らない。おまけに手の出しやすい値段のものも沢山ある。
『アティック』に来ると決めた段階で、俺は候補に入れていた。
それと──
「──あとは、ちょっと言いづらいんだけど、どうしても一檎からコップのイメージが離れなくてな」
「……カナメの馬鹿」
一檎もすぐに俺が『紙コップ』のことを指してると気づいたのだろう。
不本意そうに、ジト目を向けてきた。
「すまん、一檎。別に
「……いいよ、分かってるから。だからその情けない弁明はやめて。正直見てらんない」
「……おう」
「ん、よろしい。じゃあ、折角だもんね。色々見てみよっか」
「そうだな。あ、これとかどうだ?」
俺が手に取ったのは、猫をモチーフにしたマグカップだ。コップ本体に猫の絵が描かれ、そして取っ手の方が尻尾状になっている。
「可愛いね。でも、ちょっと折れないか心配かも」
確かにこのマグカップは猫っぽさを追求した結果、取っ手がかなり細くなっていた。
「まあ、そこはご愛嬌ってことなんだろうな」
「かもね。どう、他には面白いものあった?」
「ああ、これとか──」
──そんなこんなで、当初の雲行きの怪しさとは裏腹に、俺たちの間にはとても穏やかな時間が流れていた。
「ねえ、カナメ」
不意に、一檎が俺の袖を掴む。
「楽しいね」
「……そうだな。」
「……私ね、小中高と、約十年、ずっと女子校だったんだ」
そういえば、一檎が通っていると聞いた君影高校も女子高だったか。
「だから、実は男の子と遊びに行くのも、今日が初めてなんだ。カナメが、初めてなの。」
そんな風に言う一檎の声音は、妙に艶っぽかった。
「……なんか、申し訳ないな。初めてがこんなので」
「? ううん。言ったでしょ、楽しいって。それとも、カナメは楽しくなかった?」
「……ああ、いや、俺も楽しいよ」
「ふふ、私も」
その後も、俺たちは色々な売り場を回った。
ペンケース売り場に、手帳売り場。それから、生活家電売り場なんて場所まで。
そして、最後に訪れたのはフラワー系の売り場だった。
「プリザーブドフラワーって、一檎は聞いたことあるか?」
「プリザーブド? ううん、初めて聞いたかも」
一檎はガラス瓶に閉じ込められた白桃色のバラを、しげしげと眺めている。
「プリザーブド──preservedってのは保存されたって意味で、つまりプリザーブドフラワーは、綺麗な状態を長期間保てるように人の手で加工された花のことなんだ。ドライフラワーの一種とも呼ばれてるな」
半ば聞きかじりの知識を一檎に伝える。
「へぇ。あ、ドライフラワーなら聞いたことあるよ。それとは何が違うの?」
「俺もあまり詳しいわけじゃないんだけど、大きく違うのは加工方法と保存期間だな。ドライフラワーってのはその名の通り、水分を抜いて乾かしたお花だ。多分、これは一檎も知ってるよな」
「うん、なんとなくはね。」
「一方で、プリザーブドフラワーってのは水分を飛ばす前に、一度着色料を染み込ませるんだ。そうすることで、ドライフラワーとは違って簡単に色褪せなくなる。それに合わせて、保存期間もうんと伸びるらしい」
「着色料かぁ。だったら、このバラも着色料の色なのかな」
白桃色のバラが入った瓶を指でつんと触る。
「かもな。……それ、気に入ったのか?」
「うん。カナメの話も聞いてると、ちょっぴり素敵だなって思った。」
「まあ、ことによっては何年もそのままの姿ってのは、ちょっとロマンのある話だよな。」
「……別に、そこじゃないんだけどな」
一檎が、小声でぼそりと呟いた。
「……じゃあ、一檎はどこを素敵だって思ったんだ?」
「あ。……聞こえてた?」
独り言のつもりだったのだろうか、一檎は気まずそうに苦笑いする。
「そりゃこの距離だしな」
俺たちは今、肩がぶつかるくらいの距離で並んでいた。
「これで聞き逃すなんて、よっぽど人の話に興味ない奴くらいだろ」
「……それも、そうかも。……えっと、私はね」
ぽつりと、一檎は話し出す。
「私は、着色料で色付けられてるのが、素敵だなって思ったの。もし生まれつき真っ白なお花でもどんな色にだってなれるなら、それはとっても素敵だなって。だって──」
一呼吸おいて、一檎は続ける。
「──だって、私は『真っ白』だから」
真っ白。
多分、そこに込められた意味は昨日の話と一緒だ。
私は空っぽ。
私は真っ白。
言葉は違えども、一檎はずっと同じ想いを語っている。
「たしかに、素敵な話だな」
「……でしょ」
一檎は、花の咲くような笑顔で頷いてみせる。
俺にはそれが、奥のプリザーブドフラワーと重なって見えた。
バラの。白桃色の、プリザーブドフラワーと。
「ところで、カナメ。カナメは一体どこで、そんな知識を学んだの?」
「友達に、そういうのが好きな子がいるんだよ。それで、この話もその子からたまたま聞いてな。だから、ぶっちゃけると、さっきの説明もほとんど受け売りだったりする」
「そうなんだ。それ、女の子?」
「ああ、まあな」
「……そっか」
俺にこの話をしてくれたのはクラスメイトで友達の、
「カナメは、友達が多いんだね」
「別に、そんなことはないけどな」
明花を除いたら、秀琉と瑠歌と。細々とした付き合いならまだあるが、ちゃんと友達と言えるのはあいつらくらいだ。
「でも、私にはそう聞こえたの」
「そっか」
そう聞こえたのなら、仕方がない。
ふと気づくと、一檎は先程まで手に取っていたガラス瓶を元に戻していた。
「……買わないのか?」
「……うん」
「気に入ってたように見えたんだけどな」
今日一日で様々なものを見たが、一檎があれほど関心を示したのは、白桃色のバラだけだった。
「まあ、悪くはないんだけど、買うほどでもないかなって感じ。それに値段もそこそこするから」
一檎の言葉に釣られて値札を見ると、2000円ちょい。確かに、高校1年生には少々手痛い出費だ。
けれど──
「──別に気に入らなかったわけじゃないんだな?」
「まあ、うん。今日見た中では一番惹かれたけど……」
ならば。
左手で商品を手に取り、そして空いた右手で一檎の手を握って歩き出す。
「ちょっ、カナメ?」
一檎の言葉も、今だけは聞かなかったことにする。
「すみません、これお願いします」
一檎の手を引いたまま向かった先は、レジだった。
「はい、2230円になります。彼女さんへのプレゼントですか?」
「あー……まあ、そんなところです。あ、現金でお願いします」
「かしこまりました。素敵ですね。ラッピングなどはなさいますか?」
「いえ、袋にだけ入れてくれれば」
「では、無料の紙袋にお入れしますね。……はい、丁度お預かりしました。こちら商品とレシートです。ありがとうございました」
店員さんから商品を受け取り、レジを去る。
「……ちょっとカナメ、どういうつもりなの?」
「わかるだろ? 一檎へのプレゼントだよ」
「プ、プレゼントって。私、別にそんなつもりで言ったわけじゃ……。」
別にねだったつもりではない、そう言いたいのだろう。
「分かってるよ。俺もそういうつもりで買ったわけじゃない」
「じゃあ、一体どういうつもりで──」
「お礼だよ」
一檎の言葉に被せて言う。
「え?」
「初デートだったんだろ? だから、これは初デートに俺を選んでくれたお礼だ」
生きがい探しだなんだとぼやかしてきたが、結局のところ、これはデートなのだ。
「別に、嫌だったら受け取らなくてもいいんだぞ」
我ながらズルい言い方だと思う。こんな言い方をされれば、受け取らざるを得ない。
「……嫌じゃない。分かった、ありがとうカナメ」
一檎の目元が、少し潤んだ気がした。
「カナメって、結構強引なんだね」
「そんなの、今更だろ。……じゃなきゃ、線路に飛び込む一檎を引っ張り戻したりなんてしてないさ」
「あはは、それもそうだ。うん、そうだね。今更だった」
その日以来、一檎の私室には新たな色が増えた。
淡く、けれども温かな。それは一檎の心に芽生え始めた想いと同じ、白桃色だった。
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