きっかけ

 今日は日曜日。ついさっき、卓と浩は卓球場へ行ってきたところだ。

 それで、浩は頭を悩ませているわけだが……


 **********


「パパ、今日は卓球するの?」

 卓は今五歳。

「そうだよ。卓球はね、すっごく楽しいんだ。パパは卓球が大好きなんだ。卓も、きっと大好きになるよ」

 俺が卓球を本当に好きかどうかはこの際問題ではない。ただ卓には、卓球に良いイメージを持って欲しかっただけだ。


「そうなんだ!楽しみだね。……えーと、なんか平べったくて、赤と黒の……」

「ラケットか?」

「そう、ラケット。幼稚園の友だちの兄ちゃんが持ってた。あれを使ってボールを叩くんでしょ?」

「叩く?まぁそうだけど、ボールは打つんだよ。力任せに叩くってのとはちょっと違うかもな」

「ふーん。でもさ、ぼく、まだやった事ないから頑張るよ」

 とりあえず、意欲的でいてくれてホッとする。良い事だ。

 バスで卓球場まで向かう途中だった。



 目的地に着く。下車後ほんの少し歩くと、見えてきた。卓球場。

 もう十年以上目にしていない。久しぶりで懐かしいような、それでいてどこか目新しいような。あの頃、俺は……と思うとなんだかしんみりした。


 受付で料金を払い、ラケットとボールを借りて中に入る。


 早速、空いている台を見つけ、卓にラケットの持ち方と打ち方を軽く説明する。

「赤い方が表で、黒い方が裏だ。まずこうやって握って、人差し指を裏に添える感じ……パパのマネしてごらん」

「こう?」

「うん、上手だよ。それで、打つ時は――」

 ……


 ――そろそろ始めようか

「よし、じゃあボールを打ってみようか」

「はーい」

 卓の顔がキュッと引き締まる。

 打ちやすいように、こちらから軽くサーブする。


 さあ、ラケットに当たるか……?




 ――結論から言うと、当たった。ここは喜ぶべきところだが、喜んではいけない。


 当たりいたのだ。


 まあ、初球に卓がラケットを当てた時は、浩も素直に喜んだ。

 「良かった。俺の息子なだけあるな」


 ボールは、卓球台など悠々と越えて飛んでいったが、初めてだし問題ないだろうと思った。


 しかし、何球か卓に打たせているうちに、浩の表情は明らかに曇っていった。


 ラケットに当てては、いる。一度も空振りしなかった。

 ……でも打球が!おかしい!!


 ネットに鋭く突き刺さったり、を描いて飛んでいったり。


 卓球台の相手側にボールを落とすように打ってみて、と何度言っても改善されない。

 こうして焦る浩とは裏腹に、卓は実に楽しそうにラケットを振っていた。


 結局、特筆すべきほどの進展もみられず、帰宅。そして今に至る。


 そこに通りがかった良子。

「ちょっとあなた、何さっきからずっとぼーっとしてんのよ!

 そういえば今日は、卓と卓球場行ったんでしょ?で、どうだったの」

「いや、それが……」

「何よ」

「卓さ、ボールにラケットを当てはするんだけど、飛ばしすぎって言うか……全然ダメなんだ。こんなんじゃ卓球なんて出来っこない」

「なんだ、そんな事か。良かったわ」

 良くないだろう。

「そうねぇ、野球なら飛ばせば飛ばすだけ良いのにね。卓球だからダメなのよ」

 飛ばせば飛ばすだけ……


 ――野球、か。そんな考え、頭の片隅にすらなかった。


 そしてその傍ら、良子は自ら納得した顔で、

「そうよそうよ!ねぇ、今度の休みは、卓をバッティングセンターにでも連れて行ってあげたらどうなの?」

 おいおい、ちょっと待て!それはないだろう?


 良子に卓球の経験はない。

 だが当然、俺が卓に卓球をさせたいと思っていることを知っている。それを承知で、よくこんなことを……


 この時、浩の頭には良子が熱狂的プロ野球ファンであるという事実が浮かんでいなかった。


「ちょっと待てって!俺が卓に、たっ――」


「……パパ?ぼく、何か悪いことしちゃったかな……?」

 目の前に卓がいる。

 しまった。少し離れたところで遊んでいるのを忘れていた。

「いや、大丈夫だ。卓は何も悪いことしてないよ」

「そっか。でもね、ママ、今日はぼくがラケットで打ってるたびに、パパがどんどん嫌そうな顔になってったから……」


 え?


 どれだけあからさまなんだ俺!五歳の息子ですら分かるような顔してたのか!?

 不甲斐ない!!!


「あら、そうなの?ふふっ

 ね、卓、今度の休みはパパがバッティングセンターに連れてってくれるわよ」

「ちょっ……」

 良子に睨まれて口を噤む。


「ばってんぐ?せんたあ?

 何それー!面白そう!ねぇ、パパほんとに連れてってくれるの?」

 ここまで来たら仕方ない。

「あ、あぁ……しょうがないなぁ」


 まぁ、とりあえず連れて行けば良いだろう。






 この時点で

 俺が

 気づくわけがなかった

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