第三章 道

 外に出た俺たちは、眩しさに思わず目を細めた。外は快晴でさんさんと日差しが降り注いでいる。出てきた建物を振り返ると、それはどこにでもありそうな廃墟になった雑居ビルだった。

「すげぇいい天気だなぁ。」

春人が空を見上げて呟いた。俺はあの部屋で目覚めた時からずっと、なんとなく違和感を覚えていた。外に出てみて、その違和感の正体に気づく。それはここが昼間だということだ。俺がベランダで煙草を吸おうとしたときは夕方だったはずだ。

――つまりこの世界には元の現実世界とは別の時間が流れている?

馬鹿げた発想だが、今の状況にはしっくりきた。俺たちの身に起こっていることは、どこかに誘拐されたとかそんな次元のことではないのかもしれない。

「別の世界に飛ばされたのかも……」

俺の呟きに、隣にいた春人が反応した。

「バカだって思うかもしれねぇけど、俺もそんな気がする。」

「そうだね、ここはまるで春みたいに暖かいし、十月の気候とは思えない。」

恭一さんも俺と同意見なようだった。

「あっちに商店街がある!」

陸が指差す方を見ると、道路を挟んだ向かい側に商店街のアーケードがあった。

「散歩でもしようぜ。」

そう言って春人が歩き出す。他にすることも無いので、俺たちは商店街に行ってみることにした。


 商店街に着いても、周囲に俺たち以外に人の姿は無かった。陸は、室内にいた時とは打って変わって、元気を取り戻していた。

「もう平気そうだな、陸。」

「うん、誘拐とか犯罪に巻き込まれたわけじゃなさそうだからよかった。」

「別の世界にいる方がこわくないか?」

「そうかなぁ。でも辛いことも無いし、みんなもいる。こんな別世界なら、僕嫌いじゃないよ。」

「まぁ、たしかに穏やかだな。変なモンスターがいるわけでもないし。」

「そう!それに進二くんも言ってたじゃん。大丈夫って。」

「ははは、そうだった。」

 商店街を三分の二ほど歩いたところで、恭一さんが足を止めた。

「進二くんが言ってたトリガー、反応するか試してみようか。」

そこにはちょうど本屋の大きなショーウィンドウがあった。

「そうですね。」

早速俺たち四人はショーウィンドウの前に並んだ。しかし、不思議なことにガラスには俺たちの姿が映らなかった。

「そう簡単にはいかないかぁ。」

「ですね。」

「僕たち幽霊?」

「陸はほんと子供だなぁ?」

「春人くん、うるさい!」

陸が春人に揶揄われている横で、恭一さんがぼそっと呟いた。

「あれ?あの小説……」

本屋の店内を見ると、入口正面に同じ小説が大量に平積みされて、「待望の新刊!」というポップが付いている。たしか新潟の家にもあって、俺も読んだことがある有名な小説だ。

「新刊じゃないですよね?」

「うん、たしか五年くらい前に発売されものだよ。変だなぁ……」


 俺たちは商店街を抜けて、住宅街に入っていた。ここまでなんの手がかりもなく歩いてきてしまった。唯一分かったことは、この世界に来たときと同じ方法では帰れないということだけだ。相変わらず人の気配はなく、誰かに訊ねることもできない。

 暇を持て余した春人が、雑談を始めた。

「恭一さんって、院でなんの研究してるんですか。」

「僕の研究は脳科学だよ。脳の高次認知機能について。」

「高次認知機能?」

「うん。思考や言語、問題解決なんかは高次認知機能のひとつだよ。」

「へぇ、難しそう。」

「春人くんは理系?」

「はい、俺は医学部です。」

俺は驚いて思わず口を挟んだ。

「え、医学部なの?」

「なんで?」

「いや、ごめん。すごく意外だと思って。」

「ははは。まぁ、めちゃくちゃ勉強した。」

「すごいな。」

「そんなんじゃねぇよ……何もできないとかもう嫌なんだ。」

そう言った春人の表情は真剣だった。それは出会ってから初めて見る顔だった。


 しばらく歩くと陸が休憩したいと言うので、近くにあった小さな公園で休むことにした。公園には滑り台、シーソー、ブランコそれに鉄棒といった定番の遊具が置いてあった。ブランコはひとつ椅子が外れて壊れていた。壊れていない方のブランコに春人が座り、俺と陸と恭一さんはベンチに腰掛けた。春人がブランコを漕ぐたびに、錆びついた鎖がキィ、キィ、と小さく鳴った。

「進ニくんは大学で何を勉強してるの?」

俺の隣に座っていた陸が、こちらを見て言った。

「写真だよ。」

「写真?」

「そう、カメラマン目指してる。」

「かっこいい!」

「まだまだだけどな。カメラで一瞬を切り取ったら永遠になるだろ。それが好きなんだ。」

「僕、進二くんに撮ってもらいたい!」

「あぁ、カメラがあれば、みんなのことも撮って残しておきたかった。」

「現実世界で会った時に撮ってくれよ。」

春人が言った。

「そうだな、約束だ。」

もともと人物を撮るのは苦手だけど、不思議とこの三人のことは進んで撮りたいと思った。きっと良い写真が撮れる、そんな気がした。


 公園を出てからもしばらく住宅街が続いた。ここまではひたすら道なりに真っ直ぐ歩いてきたが、とうとう正面が行き止まりになった。先へ進むには右か左か選ばなくてはいけない。右の道は裏山に繋がっており、左の道はカーブしていて先が見えないが、しばらく道が続いているようだった。全員の希望を聞くと、春人だけが右に行きたいと答えた。

「裏山なんて何も無さそうじゃないか?」

俺が言うと、春人は食い下がった。

「もしかしたら何かあるかもしれねぇじゃん。」

「じゃあ、二手にわかれよう。進二くんと春人くんは裏山を見てきてくれない?僕と陸くんは留守番してるよ。みんなで山に入って帰り道が分からなくなったら困るからね。」

恭一さんの提案により、俺は春人と二人で裏山に入ることにした。小さな山だが、人の歩く道は無くて足場が悪い。間違いなくベランダのサンダルで来るような場所では無いと思った。

「春人、どこまで行くんだ。」

先を行く春人に声をかけると、ちょうど立ち止まった。

「見ろよ。」

前を見るとひらけた空間があり、そこには二人くらいなら入れそうな大きさの、段ボール小屋があった。正直小屋と言うほど立派なものでは無く、作られてから時間が経過しているのか、所々破れていてボロかった。俺はこれがしっくりくると思った。

「秘密基地……」

「知ってるのか?」

春人が驚いた顔で聞き返してきたので、俺は慌てて訂正した。

「秘密基地っぽいなって思っただけで、知ってるわけじゃない。」

「……そうだよな。」

その秘密基地っぽいものを覗いてみたが、特に手がかりは見つからなかった。あったのはボロボロの木の板だけで、板には子供の字で文字が彫ってあった。

――ヒーローとスーパー元気マンのひみつきち

「やっぱり子供の秘密基地だったんだ」

「ヒーローはともかく、スーパー元気マンってダサすぎねぇ?」

「俺は絶対嫌だな」

「俺だって嫌だ」

「ふっ……」

「くく……」

俺たちは顔を見合わせて笑った。なんだか子供に戻ったような気分になり、くだらないことでも楽しく感じた。

「これ以上何もねぇな、降りるか。」

「そうだな、二人も待ってるだろうし。」


 裏山を降りると、陸が不貞腐れた顔をしていた。

「陸、どうした?」

俺が訊ねると恭一さんが代わりに答えた。

「春人くんがズルいって拗ねてるんだ。」

「俺?」

陸がもごもごと小さな声で言った。

「春人くんばっかり、進二くんと楽しそうでズルい……」

春人は笑いながら陸の頭をわしゃわしゃと撫でた。陸の髪はボサボサになった。

「ちょっと!やめてよ!」

怒る陸を無視して、春人が言った。

「裏山に手がかりは無かった。けど、山の上からあっちの方に学校が見えました。」

「そうなんです。他に行くあてもないし、学校に行ってみませんか。」

俺が言うと、恭一さんが答えた。

「いいね、行ってみよう。」

「もう!みんなで僕を無視して話を進めないで!」

陸はさっきより一層むくれている。俺は陸の頭をポンと撫でて言った。

「さっきは置いていってごめんな。次はみんなで学校に行こう。」

「しょうがないなぁ。」

そう言いつつも、陸は嬉しそうに先頭をきって歩き出した。


 俺たち四人は左の道を進み、学校を目指した。カーブを抜けて少し急な坂を登りきったところにその学校はあった。

――桜ヶ丘第二中学校

学校名が書かれている校門をくぐると、校庭の端にある大きな桜の木が目に入った。満開の桜の枝が風が吹くたびに揺れている。俺たちは自然とその桜の木の方へ向かった。桜は青空の下、日の光を浴びてキラキラと輝いて見えた。

「とても綺麗だね。」

「ですね。」

カメラがあったら、この景色を今すぐ写真に撮りたかった。俺はつい構図を考えて、三人の後ろでそわそわしてしまう。陸の笑顔と桜も青春っぽくていいし、恭一さんが桜を見上げる姿はもちろん絵になる。春人を見ると――春人は桜ではなく俺の方を見てニヤニヤしていた。

「いい写真は撮れそうか?」

「そのはずだったんだけど、春人がニヤニヤするせいで台無しだ。」

「進二が楽しそうだったからなんか嬉しくて。」

「俺はいいから桜を見ててくれ。」

「じゃあ、俺がカッコよく写るようによろしく。」

「それは春人次第だな。」

「また、二人で楽しそうにしてる!」

そう言って陸が俺たちの間に割り込んできた。

「陸は進二にべったりだな。」

「そんなことないし、春人くんうるさい!」

「はいはい、ほんと子供だよな陸は。」

恭一さんが突然、嬉しそうな声を上げた。

「あ、見て!桜の花びら取ったよ!」

俺たち三人は一瞬顔を見合わせたあと、吹き出した。

「恭一さんが一番子供じゃん!」

「恭一さんすごいです。」

「よかったですねぇ、恭一さん。」

恭一さんは恥ずかしそうに小さな声で言った。

「つい、嬉しくて……」

「なぁ、俺たちもやろうぜ。誰が1番早くキャッチできるか競走な!」

春人の一声で、俺たちは遊び始めた。初めはしょうもない遊びだと思ったのだが、意外と白熱した俺たちはしばらくそれで盛り上がった。


 何ターンか競った俺たちは、疲れて桜の木に寄りかかって座り込んだ。

「すげぇ体力使うわこれ。」

「ふふ、僕もこんなに動いたの久しぶりだよ。」

「楽しかったー!」

俺は気分が高揚していて、考える前につい思っていたことを口走ってしまった。

「なんか三人とならいい友達になれそうだ。」

三人が静かになったので、俺は恥ずかしいことを言ったかもしれないと後悔した。少しして、恭一さんが言った。

「僕たち三人も同じ気持ちだよ。」

そう言った恭一さんはやさしく微笑んでいた。だけど一瞬、見間違いかもしれないのだけど、傷ついた顔をしたような気がした。その時、急に突風が吹いて、俺はその違和感について訊ねるタイミングを失った。砂埃が舞い、俺たちは咳込んだ。ふと足元を見ると、地面から黒いビニール袋の端がはみ出している。今の突風のせいで表面の砂がはけて出てきたのだろう。俺は気になってその袋を掘り起こした。

「なんだそれ。」

そう言って隣にいた春人が俺の手元を覗き込んだ。黒いビニール袋はとても軽くて、中身は大して入っていないようだ。口がきつく結んであったので、袋を破いて中身を取り出した。中身は写真一枚だけだったが、俺はその写真から目が離せなかった。

――どういうことだ……?

写っている人たちを俺は知っていた。みんな若いが面影がある。端正な顔立ちの子、身長が低い拗ねた顔の子、そして肩を組んで笑っている二人組。四人は制服を着ていた。一人はブレザーで、他の三人は学ランだった。

「これ……」

一緒に見ていた春人が、驚いた顔で呟いた。俺は訳が分からなくて春人に訊ねようとしたのだが、激しい頭痛に見舞われ、その場に崩れた。

「うぅ……」

視界がぐるぐると回り始め、徐々に意識が遠のいていくようだった。名前を呼ぶ声が微かに聴こえる。俺は返事をしようとしたけど、うまく声が出せずにそのまま気を失った。

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