第二章 はじめまして

 どれくらい経ったのだろう。意識が戻りそっと目をあけると、天井にぶら下がる割れた蛍光灯が目に入った。

――部屋の中?何処だここ……

電気は付いていないが、右側に窓があるらしく柔らかな日の光が差し込んでいる。おかげで部屋の中はそこそこ明るかった。手をついて起きあがろうとすると、触れた床が埃っぽくザラザラしている。コツっと右手に何かあたって、見るとそれはライターだった。意識を失う直前に俺が使おうとしていたライターだ。しかし、左手に持っていたはずの煙草は見当たらなかった。左に顔を向けると――俺は思わず声をあげた。

「わっ」

そこには人が倒れていた。見たところ俺と同世代くらいの男性のようだ。よく目を凝らすと、奥にも二人倒れているようだった。

――なんだ……どういう状況だ……

俺は一番側に倒れている人に恐る恐る声をかけた。

「おーい、大丈夫か」

我ながら間抜けなことを言っていると思った。倒れているのに大丈夫なわけはなく、男性からの返事はない。改めて部屋を見回してみる。殺風景な部屋で家具は何も無く、それどころかしばらく使われていないのか、全体的に埃っぽくて汚い。部屋の様子だけでは、今の状況について手がかりを見つけるのは無理そうだった。やはり、まずはこの人を起こすしかなさそうだ。先ほどより少し冷静になってきた俺は、その人の肩を叩きながらもう一度声をかけた。

「おい、起きろよ……」

何度か叩くと、そいつは眉間に皺を寄せた。

「うぅ……」

よかった。最悪の想定は回避された。

「起きろって。」

もう一度声をかけると、そいつはゆっくり目を開けた。

「え……」

「大丈夫か、話せるか。」

「あぁ、まぁ……」

「俺も今目が覚めたところで……あ、俺は松野進二。はじめまして。」

「……俺は四宮春人。ご丁寧にどうも。」

 四宮春人は、不機嫌そうに身体を起こした。よく見ると、柄シャツにチノパンという服装で、革靴を履きピアスをしていた。ふと自分の服装を見ると、よれたTシャツにジーパン、ベランダ用のサンダルときている。

「四宮、お前お洒落だな。」

俺の問いかけに、四宮春人がクスッと笑った。

「いや、今それ気にする?」

「俺こんな格好だし。」

「俺は渋谷に遊びに行くところだったから、家じゃこんな格好してねぇよ。ていうか、春人でいいぜ。」

「そうか、俺も進二でいい。」

「進二は部屋着か?」

「まぁ……家のベランダで煙草を吸うところだった。」

「へぇ、煙草吸うんだ。」

「たまにな。」

少しの沈黙のあと、春人が口を開いた。

「どうなってんだ、この状況。」

「あぁ、ここはどこなんだ。それにどうやって来たかも覚えてない。」

「そうだな、俺もさっぱり分かんねぇ。あっちにいる奴らは?」

「俺が起きた時からあそこに倒れてる。」

「死んでないよな?」

「多分な、声をかけてみよう。」


 俺たちはまず、手前で仰向けに倒れている人に声をかけることにした。よく見ると、学校の制服を着ていた。

「おい、起きろ。」

軽く肩を叩くと、その人はすぐに目を覚ました。一瞬固まったあと、俺らが顔を覗き込んでいたのに驚いたのか声を上げた。

「わっ!」

「驚かせて悪い。俺は松野進二。はじめまして。」

「……僕は、三条陸。」

「高校生か?」

「そうだけど……ここで何してるの。」

「分からないんだ。俺たちもさっきまで気を失っていて。」

三条陸は不安そうな顔をして、俺と春人の顔を交互に見ている。俺は少しでも不安を和らげてやりたくて、陸の頭をポンっと撫でた。

「大丈夫だから、心配するな。」

陸は顔を赤くしながら、小さく頷いた。


 陸を起こしている間に、最後の一人も目を覚ましていた。その人は男の俺から見てもカッコいいと思うくらい、整った顔立ちをしていた。先ほどまで気を失っていたためか気だるい雰囲気をまとい、それがなんだか色っぽく見えて、俺は勝手に恥ずかしい気持ちになった。服装はシャツに白衣を羽織っており、その格好と落ち着いた様子から、なんとなく年上な気がした。その人はまだ混乱しているらしくキョロキョロしながら呟いた。

「夢……?」

「あの、はじめまして。俺は松野進二です。」

「あ……僕は中村恭一です。」

「俺たちもさっき目が覚めたばかりで、状況がつかめなくて。」

「なんだか夢みたいだけど、夢じゃないんだね。」

「はい……そうは言っても、ここがどこだか全然分からないんですけど。」

「僕も心当たりがないなぁ、一体どうなってるんだ……」


 俺たち四人は部屋の中心で輪になって座った。部屋には椅子も机も無いので、俺と春人は胡座、陸は体育座り、中村さんは正座で床に座った。四人ともどうして良いか分からず、とりあえず自己紹介をしようということになった。

「進二からよろしく。」

春人に促されて、俺は自己紹介を始めた。

「俺は松野進二。二十歳。一年遅れてるから今大学一年生で、今年の四月に新潟から上京してきた。」

「俺は四宮春人。二十歳の大学二年生。進二とはタメだな。」

「僕は三条陸。十八歳で、高校三年生。」

「その割にはチビだよな。」

春人が口を挟むと、陸がすぐさま反論した。

「これから伸びるんだ!」

「はいはい。」

「えっと、僕は中村恭一です。二十三歳。今年から大学院に通ってる。」

「中村さん院生だったんですね。」

「進二くん、よかったら僕のことは名前で呼んで。」

「分かりました。じゃあ、恭一さんで。」

「うん。その方がいい。」


 自己紹介が終わったところで、堪えきれないといった様子で陸が吹き出した。

「ぷっ……恭一さん、なんでスプーンなんか持ってるの。」

見ると恭一さんはたしかに右手に銀のスプーンを握っていた。

「本当だ、なんでスプーン?」

俺も気になって訊ねると、恭一さんは少し恥ずかしそうに言った。

「僕、ちょうど学食でカレーを食べようとしてて。うちの学食のカレーすごく美味しいんだ。」

恭一さんは首からぶら下げた学生証を見せてくれた。有名大学の名前が書かれていた。

「へぇ、何カレーですか?」

春人がどうでもいいことを聞くと、恭一さんはちょっと嬉しそうに答える。

「ビーフカレーとカツカレーがあって、一番のオススメはビーフカレーかな。けど、お腹がすいてる時はカツカレーいっちゃう。」

「カツカレーいいですね、食いてぇ。」

「けど、食べる前にここに来ちゃったんですよね?」

俺が話を戻すと、恭一さんは当時を思い返すように話し出した。

「うん、たしか食べる直前にスプーンが汚れてる気がして……それで、拭こうかと思ってスプーンを覗き込んだら、目の前が暗くなって、気がついたらここにいたんだ。」

「……その時、もしかしてスプーンに映る自分と目が合いませんでした?」

「たしかに、そう言われると合ったかも。」

「俺は家のベランダで煙草を吸おうとしてて、火をつける直前に窓に映る自分と目が合ったんです。そしたら気を失って、目が覚めるとここにいた。」

「なるほど、なら俺はガッツリ自分を見てたよ。」

春人が口を挟んだ。

「駅のトイレで鏡を見た。」

手にはリップクリームを持っていた。

「陸はどんな状況だった?」

俺が訊ねると、手に持った歴史の教科書と、赤い半透明のシートを見せてくれた。

「塾の帰りで電車に乗っててね、それでテスト勉強しようと思って、教科書に重ねた赤シートを覗き込んだんだ。言われてみるとシートに自分の顔が反射してたかもしれない。」

「電車の中じゃ、周りにたくさん人が居たんじゃないか?」

「うーん、いつもはそこそこ人がいるけど、今日は僕のいた車両には誰もいなかったな。」

「そういえば、学食もいつもはそこそこ混んでるのに、今日は見える範囲には僕しか居ないみたいだった。」

俺は、現時点で分かったことを整理してみた。

「多分、自分と目が合うことがトリガーになって、俺たちはここに連れてこられた。そして周りに目撃者は居ない可能性が高い。」

「僕たち誘拐されたの?」

陸が不安そうな声を出したので、俺は自分の考えを話した。

「それは無いと思う。俺たちがさっきからずっと喋っているのに誰もこないし、それどころか周りに人がいる気配がしない。ここには俺たち四人しかいないみたいだ。」

しばらく沈黙が流れた。自分たちが置かれている状況が一体なんなのか、みんな考え込んでいるようだった。俺は、なんとなく何か目的があって四人が集められているような気がしていた。ただ、目的が何なのかは皆目検討がつかないので、口に出すことはしなかった。


 沈黙を破り、恭一さんが口を開いた。

「そもそも、ここはどこなんだろう。」

「なんかここ、汚くて嫌な感じがする。」

陸はすっかり弱気になっているようだ。

急に、春人が立ち上がって言った。

「こんな汚ねぇ部屋にずっと居ても埒があかないし、外に出てみようぜ。」

たしかに、これ以上この部屋から情報は得られそうにない。

「そうだな、行ってみよう。」

俺は春人に同意して立ち上がった。

「じゃあ、僕も行く!」

そう言って、置いていかれまいと慌てて陸が立ち上がる。

しかし、恭一さんは座ったままだった。

「恭一さん?」

俺が声をかけると、恭一さんは変な顔をした。

「僕も外に行くことに賛成だ。けど、その……あ、足が痺れて……」

――俺たち三人は同時に吹き出した。

「ははは、こんな時に!」

「硬い床で正座なんかするから!」

「なんか、気が抜けたわー」

俺は足が痺れて動けない恭一さんに手を貸した。俺の肩に手をかけてなんとか立ち上がった恭一さんは、照れ臭そうに笑った。

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