第2話【異世界少年と待ち合わせ】

「出来たわヨ♪」



 ポンとアイゼルネに肩を叩かれ、ショウは我に返る。


 今日は待ちに待ったユフィーリアとのデートである。

 天気は快晴、気温も爽やかな陽気で絶好のデート日和だ。「天気がいい」とは話を聞いていたけれど、当日に雨が降ったらどうしようと不安に思っていたが杞憂に終わってよかった。



「わあ……」



 鏡台の前に腰掛けるショウは、劇的な変化を遂げた自分自身の姿に驚いた。


 緩やかに波打つ黒髪はハーフアップに纏められ、真紅のリボンが後頭部で揺れている。普段は絶対にしない化粧もほんの少しだけ施されており、肌の血色も良さげに演出されていた。淡い色合いの口紅も塗られているのか、唇もツヤツヤである。

 さらにアイゼルネが用意したフリル付きの白い襯衣シャツは皺がなく、胸元では赤いリボンが飾る。脹脛ふくらはぎまで届く臙脂色のスカートの裾はふわりと広がっており、ショウの痩せぎすな足を見事に隠していた。リボンのついた靴下で足元を覆い、磨き抜かれたストラップ付きの革靴が清楚さを後押しする。


 鏡に映るのは本当に自分なのだろうか、と錯覚するほど変化が凄まじかった。右から見ても左から見ても美少女しかいない。



「本当に俺ですか……?」


「そうヨ♪ ショウちゃんってば化粧映えするから、おねーさん頑張っちゃったワ♪」



 熱したコテをカチカチと鳴らしながら、南瓜頭のおねーさん――アイゼルネが「ほら、早く行きなさいナ♪」とショウの背中を押す。



「ユフィーリアは?」


「『デートって言ったら待ち合わせだろ、そういう訳で正面玄関で待ってるな』って言って先に行っちゃったワ♪」


「自由人なユフィーリアらしい……」



 でも、確かにデートと言えば待ち合わせが定番である。待ち合わせ場所で想い人を待っているドキドキが堪らない。


 ショウは小さく笑うと、側に置いてあったデート用の鞄を掴む。黒い革製の肩掛け鞄で、中身は手巾ハンカチや財布などの外出に必要な品々が詰め込まれている。念の為に鞄の蓋を開けて中身を確認してから、鞄の紐を肩から引っ掛けた。

 衣装や靴、鞄はアイゼルネが「ショウちゃんに絶対似合うかラ♪」という理由で贈られたものだ。もう彼女に足を向けて眠ることが出来ない。こんなに可愛い服や靴を用意してくれるなんて、まるでシンデレラに出てくる魔法使いのようだ。


 服装に変な部分がないか確認して、ショウはアイゼルネへ振り返る。



「ありがとう、アイゼルネさん」



 コテを片付けるアイゼルネは「いいのヨ♪」と楽しそうな口調で返し、



「気をつけて行ってらっしゃイ♪ 悪い人がいたらユーリに守ってもらうのヨ♪」


「はい、行ってきます」



 アイゼルネに送り出され、ショウは小走りで待ち合わせ場所の正面玄関に向かうのだった。



 ☆



「ショウちゃんは行ったぁ?」


「行ったわヨ♪」



 コテや化粧道具を片付けるアイゼルネは、ひょっこりと女性用の衣装部屋を覗き込んできたエドワードに答える。



「随分と可愛くなったねぇ、ショウちゃん」


「おねーさんが可愛くしたんだから当然ヨ♪」


「そりゃそうかぁ」



 問題児の中で最もお洒落や美容にうるさいアイゼルネの手にかかれば、たとえ痩せぎすな少年でも完璧な美少女に変貌を遂げることは赤子の手を捻るようなものだ。

 ちなみにエドワードも過去に本気で女装をさせられた時はめちゃくちゃ美人に変貌を遂げたので、もうアイゼルネの化粧技術は1種の魔法ではないかと認識している。泣く子も黙るどころか裸足で逃げる強面を、誰もが振り返るような美人に変身させた時はユフィーリアも「整形魔法ってあったっけ?」などと混乱していた。


 アイゼルネは「そういえバ♪」と思い出したように口を開き、



「おねーさん、朝からユーリの姿を見てないんだけド♪ ちゃんとお洒落していったんでしょうネ♪」


「していったよぉ」



 エドワードは「あー、でもぉ」と呟き、



「ショウちゃんが心配だよぉ、俺ちゃん」


「あらどうしテ♪」


「いやだってねぇ……」



 エドワードはアイゼルネへ手招きし、男性用の衣装部屋へ連れ込んだ。


 ユフィーリアの姿を見かけなかった理由は、彼女がこの部屋を借りて着替えたからに過ぎない。男性用の衣装部屋では見かけない姿見の前には櫛や多少の化粧品が落ちていた。おそらく彼女はこの姿見を使ってデート用にお洒落をしていたのだろう。

 アイゼルネと出会う前は衣服の調達も化粧も自分でやっていた、とユフィーリアは言っていた。アイゼルネもユフィーリアの化粧技術は人並みにあると理解している。


 でも、何故ハルアがうつ伏せの状態で衣装部屋に倒れているのか。



「…………何があったノ♪」


「いやねぇ、お洒落が終わったユーリを見たハルちゃんがねぇ……」



 エドワードはうつ伏せで倒れたハルアを眺めながら、



「あまりの格好よさにねぇ、ぶっ倒れた」


「あらー……♪」


「ね? 心配じゃんねぇ」



 エドワードの言わんとすることを、アイゼルネは理解してしまった。


 アズマ・ショウという少年は、ユフィーリアに心底惚れ込んでいる。それはもうユフィーリアに「可愛い」と言われたことが嬉しくて毎日メイド服を着るようになってしまったぐらいにはぞっこんである。

 そんな少年が、格好良くなってしまったユフィーリアを目の前にしたらどうなるだろうか。ハルアがぶっ倒れたのだから、命の危機ぐらいにはならないだろうか?



「生きて帰れるかしラ♪」


死者蘇生魔法ネクロマンシーの申請書を用意しとこっかぁ?」


「そうネ♪」



 可愛い後輩の命の危機にはどうすることも出来ないので、エドワードとアイゼルネは死者蘇生魔法の準備をすることを選んだ。



 ☆



「前髪よし、服装よしっと」



 窓を鏡の代わりにして、ショウは身嗜みの最終確認を行う。


 アイゼルネが髪型まで整えてくれて、化粧まで施してくれたのだ。これで自信を持ってユフィーリアの前に立てる。

 ついでに言えばメロメロに間違いない。服装も可愛いし、絶対に「可愛い」と褒めてくれるだろう。


 ショウは「よし」と自分自身に気合を入れ、待ち合わせ場所である正面玄関に足を踏み入れた。



「――――」



 言葉が出なかった。


 巨大なかんぬきで頑丈に閉ざされた扉を背に、銀髪の美女が懐中時計を片手に時間を確認している。見慣れた雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥えている姿は最愛の旦那様であるユフィーリア・エイクトベル本人だろうが、ショウの想定していた格好と違っていた。

 彼女自慢の銀髪は耳にかけられ、その形のいい耳には銀色の簡素な耳飾りが輝く。深い青色の襯衣シャツは大きく襟元が開いた影響で胸の谷間が強調され、その下から僅かに黒いレースの肌着が垣間見える。すらりとした足は黒い細身の洋袴ズボンに覆われ、大理石の床を踏むのは踵が低めのパンプスだ。


 それらの上から黒い上着ジャケットを羽織ったその姿は、もう言葉に表すことが出来ないほど格好良かった。



「お、ショウ坊」


「はうあッ!?」



 こちらの存在に気づいたユフィーリアが、色鮮やかな青い瞳を向けてくる。口の端を吊り上げて笑う様はいつもの彼女らしいが、格好が眩しすぎて直視できない。



「へえ、アイゼルネから前評判は聞いてたけどめちゃくちゃ可愛いな。似合ってるぞ、ショウ坊」


「はわわわわわ」


「ショウ坊? ショウ坊、おーい?」



 ひらひらと目の前でユフィーリアが手を振ってくる。普段は黒い長手袋ドレスグローブで覆われている彼女の手も露出され、白魚のような指先が露わになっていた。


 普段と格好を変えるだけで、これほど魅力的になるだろうか。よく見れば薄く化粧もしてあるが気になるほどではなく、ユフィーリアの美貌を存分に引き出せていると言ってもいいだろう。

 ダメだこれ、最愛の旦那様が格好よすぎてどうにかなってしまいそうだ。このままデートを続行できるか心配である。


 先程から思考回路が爆発寸前のショウを不思議に思ったのか、ユフィーリアが細い指先をショウの頬に這わせる。



「ひゃッ」


「お、ようやく目覚めたかショウ坊」



 ほんの少しだけひんやりした指先によって意識を覚醒させられ、ショウは「ま、待たせてごめんなさい……」とかろうじて言葉を口にすることが出来た。まともに彼女の顔を直視できないのは変わらないが。



「いいや? 待つのも楽しかったし、ショウ坊の可愛い格好が見れたから待ってるのも役得だったしな」



 ニッと快活な笑みを見せるユフィーリアは、ショウに手を差し伸べてくる。



「行こうか、ショウ坊。もうすぐ汽車が来るし」


「転移魔法とかで行かないのか?」


「急いでいる時は転移魔法を使うけど、せっかくなら汽車も経験した方がいいだろ」



 ユフィーリアは黒い上着の衣嚢ポケットを漁り、2枚の切符を見せる。小さな切符には『イストラ行き』とあり、そこが今回のデート場所なのだろう。



「あの、その……」


「どうしたショウ坊、トイレ行っとくか? 待ってるぞ?」


「いやあの、そうじゃなくて……」



 ショウは視線を彷徨わせ、



「その、いつもの格好と違うから……見惚れてしまって……」


「ああ、これか」



 ユフィーリアは自分の格好に視線をやり、



「普段の礼装を組み直して上着と洋袴ズボンと靴にしたんだよ。襯衣シャツとか見せる用の肌着は自前」


「私服も持っていたのか……」


「まあ、数少ないけどな。普段はあの礼装で済むし、デートなんてしたことねえからな。ない知識を捻り出して合わせてみた」



 青い瞳でショウを真っ直ぐに見据えるユフィーリアは、



「ショウ坊はアイゼに揃えてもらったんだろ?」


「あ、ああ。そうだ」


「ふぅーん……」



 ユフィーリアの青い瞳が音もなく眇められる。


 何か悪かっただろうか、自分でも可愛い格好をしていると思ったのだが似合わなかったのか?

 もしかして好みではなかったのか。アイゼルネ監修のこの格好はユフィーリアの趣味ではなかったか?



「ユフィーリア、あの」


「ん?」


「に、似合わないだろう、か?」


「いや似合ってる、似合ってるぞショウ坊。超可愛い」



 ユフィーリアは小さく、本当に小さく「アイゼも余計な真似をしやがって……」と呟いていた。その声は恐ろしいほど冷たくて、まるで氷を想起させる。



「ユフィーリア……?」


「ショウ坊、服買ってやろう。普段はメイド服でもいいけど、やっぱり出かける時は私服を持っていた方がいいからな」


「ぇ、あの?」


「じゃあ行くぞ、そろそろ本当に汽車が来ちまう」



 ショウの手を取ったユフィーリアは、鼻歌混じりに歩き出す。閂によって封じられた扉の脇に設けられた関係者用の扉へ向かい、雪の結晶が刻まれた煙管で表面を叩いて施錠を外す。


 もしかして、アイゼルネがショウの服装を揃えたから嫉妬しているのだろうか。そうだとしたらちょっと嬉しい。アイゼルネには申し訳ないけれど嬉しい。

 ユフィーリアに手を引かれつつ、ショウは初めてヴァラール魔法学院の外に出ることとなった。

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