第10話【異世界少年と指輪】

 何度見ても左手の薬指に、銀色の指輪が嵌まっている。



「…………」



 左手の薬指に嵌め込まれた銀色の指輪を眺め、ショウは思わず口元を緩めてしまう。


 時刻はすでに深夜の1時を過ぎた頃合いだ。

 闘技場コロシアムの行事はお開きとなり、魔女の従僕契約も無事に終了と相なった。あの吐き出しそうなほど不味い魔法薬を飲んで得たものが、この魔女の従僕であることを示す契約印だ。


 そして、ショウには『魔女の花嫁』としての役割を与えられた。これ以上に嬉しいことなんてない。



「ふふ」



 自然と笑みが口から漏れてしまう。


 深夜ということもあって、ユフィーリアや先輩用務員のみんなは夢の世界に旅立ってしまった。窓から差し込む月明かりが、閉じ切ったカーテンの向こう側でかろうじて認識できる。

 いびきや寝言が薄い布1枚を隔てた先から聞こえてきて、ショウがまだ起きていることなんて誰も気づいていない。だから天蓋てんがい付きのベッドでゴロゴロと寝転がっていても、誰も心配する気配なんてないのだ。



「ふふふ」



 薬指に嵌め込まれた指輪の存在が嬉しくて、ショウはゴロゴロとベッドの上を転がる。


 眠れる訳がなかった。

 世界で1番大好きな魔女のお嫁さんに選ばれたのだ。胸の奥から溢れ出る充足感がショウを未だに夢の世界へ旅立たせることを許さず、こうして意識がずっと覚醒しっぱなしである。


 心臓がドキドキして、キュウと苦しくなって、明日からがワクワクして仕方がない。全部全部この指輪のせいだ。



(お嫁さんだ、お嫁さん。ユフィーリアのお嫁さん)



 雪の結晶が刻印された指輪をなぞれば、指先の薄皮が指輪の金属めいた質感を確かに伝えてくる。


 ユフィーリアは最後まで気にしている様子だったが、ショウはお嫁さんになれてよかったと思っている。

 いつでも格好いいユフィーリアのお婿さんなんて自信がない。ユフィーリアをエスコートすることさえ出来る訳がないのに、お婿さんとして彼女を支えるなんて力不足にも程がある。こんな頼りない男がお婿さんでは、ユフィーリアが周りに笑われてしまう。


 でも、お嫁さんなら別だ。お嫁さんになるなら彼女を真っ直ぐに愛し、支えればいいのだから。



「?」



 すると、どこからか衣擦れの音がした。


 誰かが盛大に寝返りを打ったのかと思えば、違う。次いで聞こえてきたのは床を踏む音だ。

 ぺた、という裸足が冷たい床を踏みつける音がいびきと寝言に紛れてショウの鼓膜を震わせる。誰かを起こしてしまったのだろうか、とショウは申し訳なく思った。



「ショウ坊」



 ショウのベッドを仕切るように閉ざされたカーテンの前に、人影が浮かび上がる。その向こうから聞こえてきたのは、最愛の恋人にして旦那様に格上げとなったユフィーリアだ。



「…………ユフィーリア?」



 ほんの少しだけカーテンを開くと、真っ黒な部屋着姿のユフィーリアが驚いたような表情で立っていた。



「まだ起きてたのかよ」


「指輪を見ていたら眠くなくて」


「…………」



 ショウが指輪の話題を出せば、彼女は少しだけ苦しそうに青い瞳を伏せた。


 何か嫌なことを言ってしまっただろうか。

 指輪をずっと眺めてニマニマしているなんて、そんな気持ち悪いお嫁さんは嫌か? ユフィーリアに嫌われてしまったらと考えただけで、全身から血の気が引いていく。



「あう、あの、ユフィーリア。その」


「なあ、ショウ坊」



 ユフィーリアはショウを真っ直ぐに見据えると、



「少し話せるか?」


「…………」


「居間で待ってる」



 そう言い残して、ユフィーリアは先に寝室を出てしまった。


 指輪の話題を出した途端にこれだ、絶対に居間での話題は指輪の件だろう。

 今更、指輪を外してくれと懇願されるだろうか。魔女の従僕サーヴァント契約の結び直しを願われるだろうか。ショウは出来ればユフィーリアのお嫁さんでいたいし、左手の薬指の指輪は誰にも奪われたくない。たとえ指が千切れたとしても渡したくない。


 ショウはキュッと自分の左手を握りしめ、そっとベッドから出る。用務員の先輩たちを起こさないように抜き足差し足で寝室の扉の前に立ち、



「ゆ、ユフィーリア……?」



 寝室の扉をそっと開ければ、そこには何故か土下座をしているユフィーリアがいた。



「…………」


「…………」



 ショウは、静かに扉を閉めた。



「待て、待ってショウ坊。閉めんな、閉めないでくださいショウさん!!」


「すまない、ユフィーリア。その、初手で土下座は少し準備が出来ていなくて……あの、思う存分に床の味を堪能してから呼んでほしいというか……」


「アタシは別に床の味が好きじゃねえってか変な誤解をされてるのは不本意なんだけどショウ坊!?」



 扉1枚を隔てて変な攻防戦を繰り広げるユフィーリアとショウだったが、意味のない戦いにせっかくの睡眠時間を削るのもアレなので止めることにした。


 静かな居間にて、ショウとユフィーリアは長椅子に向き合って座る。

 ユフィーリアは言いにくそうに視線を伏せているし、先程から心臓がドキドキしていて仕方がない。ただのドキドキだったらいいかもしれないだろうが、指輪を外してくれと懇願されるかもしれないという恐怖心と不安があった。



「えー、その」



 ユフィーリアが唐突に口を開き、



「未成年なのに『魔女の花嫁』なんてモンに選んじまって申し訳ありませんでした……」


「えぁ……?」



 想定していたものとは別の言葉が出てきたので、ショウは拍子抜けした。



「いやあのこういうのってもう少し交際期間とか設けるじゃないっすか、普段から一緒に過ごしているとはいえショウ坊はまだ15歳だし親父さんにも挨拶してねえし諸々すっ飛ばして『魔女の花嫁』なんて役割が与えられるなんてまだ早いっていうか何ていうか」


「……ユフィーリアは、俺がお嫁さんであることを否定しないのか?」


「え?」



 頭を下げるユフィーリアは不思議そうに青い瞳を瞬かせ、



「何で?」


「魔女の従僕サーヴァント契約を結んだ時、最後まで渋っていたから」


「あー……」



 彼女もどこか心当たりがあるようで、納得したように頷いていた。


 従僕サーヴァント契約を結び、役割を発表した時に「それはダメだろ、ショウ坊だって男だぞ!?」とグローリアに食ってかかっていたのだ。

 ショウは別に気にしていないし、むしろお嫁さんになれてよかったとさえ思っていたのだ。グローリアも「本人はむしろ嬉しそうだからいいじゃないか」と肯定しており、名実共にユフィーリアのお嫁さんになることが確定した。


 ユフィーリアは「違う違う」と首を横に振り、



「年齢的な問題だよ。未成年だと結婚したってのは認められないし、魔女の嫁だなんて契約を解除しない限りは続いていく役割を与えられて『節操がない奴だ』と思われても嫌だしな」


「…………じゃあ、俺がちゃんと成人をすれば、ユフィーリアは結婚を申し込んでくれるはずだった?」


「当たり前だろ?」



 ユフィーリアは「何言ってんだお前」と言わんばかりの態度で言ってのけた。



「だってショウ坊のことを愛してるんだから、結婚するのは当然じゃねえか。ショウ坊から別れを切り出されるならまだしも、他の奴に目移りするほどアタシは節操なしじゃねえぞ」


「へあ」


「エリシアの成人年齢は18歳だからな、それまで待ってから……いや出来れば17歳ぐらいで婚約したいなって思ってたし。それと同時に親父さんへの挨拶も済ませたかったし」


「はわわ」


「お嫁さんになるってことはショウ坊がアタシの苗字を名乗ることになるから役所に届け出……あ、親父さんが1人息子を手放さないかな。アタシが婿入りする? アズマ・ユフィーリアだと語呂悪いかな?」


「ちょ、ちょっと、ちょっと待ってくれユフィーリア」



 ショウは恥ずかしさのあまり顔を覆い、



「思った以上に結婚のことをちゃんと考えてくれていた……」


「知ってるか、魔女は一途なんだぜ」



 ユフィーリアはショウの顎を指先で持ち上げる。


 視線の先には、大胆不敵に微笑むユフィーリアがそこにいた。

 格好良過ぎて心臓がどうにかなってしまいそうだ。「指輪を外してくれ」という要求をされるかもしれないという不安と恐怖心はいつのまにかどこかへ消え、破裂してしまいそうなほど心臓の鼓動が早い。



「好きになった奴のことはあらゆる手段を用いても手放さないし、命が尽きるその時まで愛し続ける。他は知らねえが、少なくともアタシはショウ坊以外に目移りをするつもりはねえ」



 だから、安心して愛されろ。


 そう言って、ユフィーリアはショウの唇に自分の冷たい唇を重ねてきた。冷気が身体に溜まっているのか彼女の唇は目が覚めるほど冷たいけれど、ショウ自身の熱を冷ますのにちょうどいい。

 ちゅ、と音を立てて名残惜しそうに離れていく。ユフィーリアの華奢な腕がショウを抱き寄せて、長手袋に覆われる手のひらで後頭部を優しく撫でてきた。いつもの余裕のあるユフィーリアだ。


 耳元に唇を寄せてきたユフィーリアは、



「なあ、ショウ坊」



 吐息を耳に吹きかけて、くすぐったさで身を捩らせるショウの反応を楽しむようにユフィーリアは続ける。



「アタシのこと、旦那様にしてくれるか?」


「今すぐなってほしいぃ……」


「お前が18歳になったらな」



 ショウはユフィーリアの背中に手を回し、絶対に放すものかと力を込める。


 この最愛の恋人――いいや最愛の旦那様を、ショウは最後まで愛すると誓ったのだ。世界が終わるその時まで、世界が終わってもユフィーリアと一緒にいられるならずっとずっと。

 ああ、何と幸せなのだろう。ユフィーリアに「好きだ」と言われるより幸せかもしれない。これ以上幸せになってしまうと、今度は死んでしまいそうだ。


 ユフィーリアは「あ、そうだ」と思い出したように口を開き、



「出来れば指輪は外してほしい」


「え」


「いやその指輪、意匠デザインがダサすぎる」



 ユフィーリアは真剣な表情で、ショウの左手薬指に嵌まる指輪に視線を落とす。

 銀色の指輪には雪の結晶の刻印が施されただけの簡素なものだが、雪の結晶はユフィーリアの象徴なので嫌ではない。むしろこれがいいのだ。


 眉根を寄せて「せめて、もっとこう、宝石をつけるとかさァ」とユフィーリアが言うので、ショウはさりげなくこう提案してみた。



「ユフィーリア、世の中には指輪の重ね付けという手段もあって」


「あ、そっか。ちゃんとした結婚指輪を贈る時に考えればいいな。さすがショウ坊、アタシの自慢のお嫁さん」



 ユフィーリアは笑いながら「じゃあそうするか」と頭を撫でてくる。


 指輪を外すなんて事態にならなくてよかった。まあ指輪を外す事態になっても、あと2年か3年でユフィーリアは正式にショウのことをお嫁さんにしてくれるのだからそれもそれでいいだろう。

 ただ、この指輪は特別だ。魔女の従僕としての証で、簡単には断てないショウとユフィーリアの絆である。


 ショウは銀色の指輪が嵌め込まれた左手を握り、



「ユフィーリア」



 最愛の旦那様に微笑みかける。



「これからも末永くよろしく頼む――――旦那様ユフィーリア

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