第8話【問題用務員と優勝候補】
「怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……」
控え室の椅子に座るユフィーリアは、準決勝のやり取りを思い出してガタガタと震えていた。
ただ、ショウの父親であるキクガの登場によってユフィーリアは優勝する以外に道を塞がれてしまった。ユフィーリア以外が優勝すればヴァラール魔法学院の全生徒と全教職員が冥府に連行されて、罪人1日体験コースまっしぐらだ。
そんな凶悪な事件を許せば、彼らがヴァラール魔法学院に戻ってきた時に逆恨みされる可能性が高い。いや出場選手は全体的に格下なので、ユフィーリアの敵ではないのだが。
「いやでもあとは決勝だけだ。決勝戦で相手を1発ぶん殴ればいいだけだ」
そう、残すところは決勝戦だけである。
この決勝戦を乗り越えれば、愛しい恋人のキスが待っているのだ。頑張らない訳にはいかない。全校生徒と全教職員の前で、ショウは誰の恋人であるか示さないといけないのだ。
雪の結晶が刻まれた
「あの、エイクトベルさーん……?」
「あーい?」
気の抜けた返事で応じれば、控え室の扉がほんの僅かに開かれた。隙間から顔を覗かせたのは闘技場を運営する生徒たちの1人で、瓶底のような分厚い眼鏡が特徴の女子生徒だった。
「あ、あのー……決勝戦の前にですね。あの、エイクトベルさんに会いたいって方がいらっしゃってましてー……」
「え、誰?」
ユフィーリアが不機嫌な時に訪れたのは、恋人のショウである。学院長のグローリア・イーストエンドという余計なおまけまでついてきたが、彼が安全に
今回もショウが決勝戦に向けて応援に来てくれたのだろうか。父親であるキクガの圧力に怯えるユフィーリアを励ましに来てくれたのであれば嬉しいことこの上ない。
しかし、女子生徒が連れてきたのは恋人のショウでなければ学院長のグローリアでもない。もっとむさ苦しい男だが、部下のエドワードでもない。
「失礼仕る」
無骨な声が控え室に響き渡り、運営側の女子生徒に連れられて身長の高い無精髭の男が足を踏み込んでくる。
見た目が明らかに生徒ではないのだが、遅くに入学した生徒だと言われれば納得できる。黒曜石を想起させる鋭い双眸と厳つい顔立ち、真っ黒な髪を
濃紺の着物と黒い袴の上からヴァラール魔法学院指定の上着を羽織っているものの、腰に差した細い剣が物々しい雰囲気を漂わせている。あの剣こそ極東地域が誇る切れ味のいい武器『カタナ』で間違いなさそうだ。
控え室の床を草履で踏み、摺り足気味に歩くその男はユフィーリアを見るなりお辞儀をした。
「拙者はサカマキ・イザヨイ。此度、決勝戦にて貴殿と戦うことと相成り申した」
「わざわざ挨拶しに来るとは随分と礼儀正しいな」
ユフィーリアは音もなく青い瞳を眇めると、
「極東地域で生きる人間ってのは全員がそうなのか?」
「少なくとも、拙者は礼儀として教わった」
「そうかい」
どうにもとっつきにくい相手である。生真面目な性格はショウとよく似ているだろうが、彼は可愛さがあるのでまだ許せた。
サカマキ・イザヨイと名乗った侍は、どうにも堅苦しさが抜けない。研ぎ澄まされた刃物のような性格である。少しでも冗談を言おうものなら、絶対に腰の得物が抜かれる羽目になるだろう。
ユフィーリアはなるべく相手を刺激することのないような言葉を、懸命に頭を回転させて絞り出す。
「女だからって手加減は無用だぜ。こっちも手加減するつもりは毛頭ない、全力でかかってこい」
「無論、そのつもりだ」
黒曜石の双眸でユフィーリアをじっと見つめるサカマキ・イザヨイは、
「貴殿の戦いぶりは見せてもらった。全て本気ではなかっただろう」
「弱いものイジメは趣味じゃねえんでな」
「拙者は弱者ではない」
キン、と澄んだ音が耳朶に触れる。
サカマキ・イザヨイの親指が、腰の得物であるカタナの鍔を押し上げていた。カタナの鯉口を切ったイザヨイは、ユフィーリアから視線を外さない。
まさかここで実力を試すつもりか。命の危険を察知したユフィーリアは椅子を跳ね飛ばして立ち上がると、今にも襲いかかってきそうなイザヨイから距離を取る。
サカマキ・イザヨイは「ふん」と鼻を鳴らすと、
「やはり反応するか。それほどの強者と戦えるのは、血が滾る」
引き裂くように笑ったサカマキ・イザヨイは、用事は済んだとばかりに身を翻す。
「決勝戦の場では、手を抜くことのないように」
控え室の扉を潜り、サカマキ・イザヨイはこちらを振り返る。
「――では決勝戦にて待つ」
そう言い残して、サカマキ・イザヨイは控え室から立ち去った。
足音が遠ざかっていく。
その場に残された運営側の女子生徒は、先程のサカマキ・イザヨイによる殺気に当てられてガタガタと震えていた。足が生まれたての子鹿のように揺れて、今にも倒れてしまいそうだ。かろうじて扉の取手にしがみついているが、手を離せばすぐにでも控え室の床に崩れ落ちてしまいそうだ。
ユフィーリアもサカマキ・イザヨイの殺気はただならぬ雰囲気を感じた。極東地域に住まう人間とはああやって血の気が多いのだろうか。もうよく分かんないし、出来れば関わりたくない。
「あー、そのー、もしもーし」
「は、はひ……はひ……」
涙目で応じる女子生徒に、ユフィーリアは青褪めた顔で言う。
「ちょ、ちょっと、所用の腹痛が出来たので帰ります……」
「えッ!?」
「決勝戦は棄権しますお疲れ様でした!! あ、これ実況の奴に渡しておいてそれじゃ!!」
ユフィーリアは控え室の隅に転がっていた紙と羽根ペンを引っ掴むと、文章を走り書きしてから崩れ落ちそうな女子生徒に渡す。それから控え室から飛び出してその場から逃亡した。
冗談ではない、あんなの強者ではないか。ユフィーリアの負け確定である。あんなのが出てきたらさすがに決勝戦も勝てない、優勝できない。
ヴァラール魔法学院の全生徒と全教職員には仕方がないので、今回ばかりは犠牲になってもらおう。尊い犠牲だ、仕方がない仕方がない。冥府での罪人1日体験コースも悪くないと思う。
ユフィーリアはほぼ無人の薄暗い廊下を走りながら、
「ごめんショウ坊、アタシには無理だ……」
あの絶対強者、しかも今回の
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