第7話【問題用務員と準決勝】

『決勝戦まで残り僅かとなりました』



 今までの騒がしさがナリを潜め、実況のアシュレイ・ローウェルが静かに口火を切る。


 観客たちが望むのは、これから闘技場コロシアムの大地を踏む相手の敗北だ。

 彼女の無様な負け姿こそ、観客である生徒や教職員たちが強く強く見たいと願うものである。まあそんな願いなど永遠に叶うことはないのだが。


 アシュレイは『えー、ごほん』と咳払いをし、



『拳のみで相手を捩じ伏せ、男の尊厳さえも踏み躙ってきた問題児。今宵の彼女は一味違う、ヴァラール魔法学院が誇る天使のキッスを獲得するべく普段の問題行動は闘技場コロシアムの地にて封印します』



 ガラガラという音と共に闘技場コロシアムへ足を踏み入れたのは、



『翻す黒衣は死神の証、常勝無敗のチート魔女!! ユフィーリア・エイクトベル!!』



 闘技場コロシアムの大地を駆け回った影響でやや埃を被った銀色の髪を揺らし、ユフィーリアは今、準決勝へと上り詰めた。

 ここまで来たが、油断は出来ない。相手は闘技場に正しく応募し、勝ち進み、多数の観客たちから支援を受けてきた猛者だ。まあ問題児筆頭として名を馳せるユフィーリアにとっては敵ではないのだが。


 対面の出入り口を塞ぐ檻が収納され、ユフィーリアの対戦相手が姿を見せた。



「やあ」



 気障な挨拶をしてきたのは、見事な金髪の美男子である。

 身長はすらりと高く、真っ白な背広に身を包んだ姿は花婿のようだ。整髪剤を使って整えられた髪型はうねうねと波打ち、空のような青い瞳がユフィーリアを真っ直ぐに射抜く。ユフィーリアと目が合ったと分かった相手は、バチコーンと片目を瞑ってきやがった。


 確かに、まあ顔立ちは整っているとは思う。鼻は高いし、肌には皺や染みすらない。いわゆる絵本から飛び出した王子様と呼ぶに相応しい見た目で、女子生徒や女性の教職員から絶大な人気があった。毎日のようにきゃーきゃーと黄色い声援を浴びている姿を見た気がする。



『担当教科は魅了魔法や洗脳魔法など精神に関係する「精神異常系魔法」の先生。その気障きざ――失敬、爽やかな顔には似合わない鞭捌きによって、数々の挑戦者が闘技場コロシアムの地に沈みました』



 金髪の美男子は、爽やかに微笑みながら背中に手を回す。

 取り出したのは、持ち手に赤い薔薇をあしらったむちだ。相手を叩く為の紐の部分には棘がつき、確実に相手を傷つけて痛めつける為だけに開発された代物だと理解できる。


 爽やかに微笑みながらえげつないブツを取り出してくる男だ。精神に異常を来す系統の魔法を教えているだけあって、頭がおかしいのか。



『問題児筆頭も彼の振るう鞭の餌食になるのか? シャルザール・エンブリオ!!』



 わッ、と観客たちからの声援が飛び交う。特に女子生徒による黄色い声援が多い気がした。



「みんなが僕を応援してくれている」



 恍惚とした表情を浮かべる美男子――シャルザール・エンブリオは、



「ああ、安心してくれたまえ。声援を送られずとも、君は十分に魅力的な女性さ。この闘技場コロシアムで巡り会うのがもったいないぐらいだよ」


「気持ち悪ィ」



 ユフィーリアは嫌悪感全開で吐き捨てた。


 このシャルザールという男は、女性に対して歯の浮くような台詞で誘惑してくるのだ。血筋に淫魔が関係していると噂があるが、多分その通りだと思う。

 魅了魔法に耐性のない女子生徒や女性の教職員ならコロッと騙されるだろうが、ユフィーリアには魅了魔法に耐性がある。残念ながら相手がどれほど歯の浮くような台詞で敗北を誘おうとしても、ユフィーリアには通用しないのだ。


 シャルザールは悲しそうに瞳を伏せると、



「せっかく美しいのに、そんな乱暴な言葉遣いをしてはいけないよ」


「お前に言われる筋合いはねえんだよなァ」



 会話しているだけでサブイボしか出てこないのだが、コイツは本当に女性と見かければ口説くので非常に嫌だ。会話したくない相手堂々の第1位である。学院長のグローリアがまだマシに思えてくるほどの気障ったらしい奴だった。


 うんざりするユフィーリアの耳に、カーンという鐘の音が触れた。

 準決勝の試合が開始された合図である。この気障な男に近づきたくないし、ぶん殴ることだってしたくない。間近に彼の気障な笑顔が迫るだけで全身が粟立つような気がした。実際ちょっと鳥肌気味である。



「来ないのかい?」



 薔薇の棘を想起させる鞭を垂らし、シャルザールは口の端を持ち上げて笑った。



「それではこちらから行かせてもらおうかな!!」



 そう言って、シャルザールは棘付きの鞭を振った。


 蛇の如く迫る棘付きの鞭を飛び退って回避するユフィーリアだが、明らかに鞭が届く範囲にはいないはずなのに棘付きの鞭がユフィーリアを追いかけるのだ。

 鞭そのものに自動追尾魔法を施しているのか。鞭の形をした魔法兵器とは厄介な武器を扱う奴である。


 追いかけてくる鞭から逃げ回るユフィーリアは、



「自動追尾魔法を付与した鞭とか反則じゃねえか!!」


「お褒めに預かり光栄だね」


「褒めてねえクソ気障野郎!!」



 逃げても逃げても追いかけてくる鞭に、ユフィーリアは舌打ちをする。

 確かに問題児であるユフィーリアは体力も有り余っているが、永遠に走り続けていることなど出来ない。対するシャルザールは1歩も動いておらず、敵と見定めた相手を自動的に追尾する鞭を握っているだけだ。


 これではユフィーリア側が不利である。何とか打開策を考えなければ、あの気障野郎に敗北を喫することになる。そうなれば気障野郎を決勝に進ませることを意味し、もし優勝すればショウの唇は彼のものになってしまう。



(絶対にさせるか、そんなこと!!)



 恋人を間男に奪われてたまるか、絶対に阻止してやる。



「どうしたんだい、ユフィーリア君。まだまだ僕を楽しませておくれ!!」



 シャルザールは余裕の表情である。定位置から1歩も動いておらず、問題児筆頭を追い詰めているのはさぞ気持ちがいいことだろう。


 そのお綺麗な顔面に1発でも拳を叩き込んでやりたいところだが、鞭の処理が出来ない。魔法が使えるのであれば鞭にかけられた自動追尾魔法を解除した上で、氷漬けにしてやるのだが闘技場コロシアムは魔法の使用を禁止されている。

 万事休すか。いいや、もう気持ち悪さを押し殺して懐に飛び込むしかないのか。


 その時だ。



「――見つけたぞ」



 どこからか声が聞こえてきたと思ったら、シャルザールの身体が純白の鎖に拘束された。簀巻きの状態となったシャルザールは「何事だい!?」と驚いたように叫ぶ。


 シャルザールを拘束した相手は、ゆっくりと闘技場コロシアムに足を踏み入れた。

 装飾のない神父服に髑髏の仮面、長い黒髪を揺らしながら純白の鎖を握りしめる冥府の関係者である。厳しさが孕むその声は落ち着きがあり、髑髏どくろ仮面越しに簀巻きとなったシャルザールを睨みつける。



「あ、親父さん」


「ユフィーリア君か。息災な様子で何よりな訳だが」



 純白の鎖を引っ張る髑髏どくろ仮面の神父――アズマ・キクガは、先程とは打って変わって穏やかな声で応じる。



「すまないな、今回は仕事で此岸に来ている訳だが」


「仕事?」


死者蘇生魔法ネクロマンシーの違反者の捕縛な訳だが」



 キクガは簀巻きになって抵抗できないシャルザールの頭を踏みつけると、



「このシャルザール・エンブリオは申請なしに死者蘇生魔法ネクロマンシーを実行し、生ける屍を作り上げたという違反行為をした。それだけではなく複数回に渡って申請なしの死者蘇生魔法を実行して、生きる屍をハーレム状態にして囲っているという記録もある。これはさすがに看過できない訳だが」


「うわあ……」



 ユフィーリアはドン引きした。


 冥府へ申請なしに死者蘇生魔法ネクロマンシーを行使すれば、魂の宿らない生きる屍が完成するだけだ。魂は冥府の管轄なので、完璧に生き返らせるには冥府への申請が必須である。

 申請しないで死者蘇生魔法を行使した場合、死者を冒涜した罪で冥府へ強制連行されるという法律が制定されている。シャルザールはその罪を犯してしまったのだ。


 シャルザールは「誤解だ!!」とキクガの足元で叫び、



「ただあとで冥府へ申請をしようと」


死者蘇生魔法ネクロマンシーの行使の際は必ず冥府への申請を要する。事後申請は許可していない訳だが」



 キクガはシャルザールの髪の毛を掴むと、闘技場コロシアムの地面で彼の顔をすりおろし始めた。卸金で野菜でもすり潰しているような容赦ない手つきである。

 冥王第一補佐官であるキクガは、被虐趣味である冥王ザァトを相手に仕事をしているのだ。罪人を扱う手つきに優しさなどない。


 ピクリとも動かなくなったシャルザールを確認し、キクガは「ところで」と周囲に視線を投げる。



「ここは一体?」


闘技場コロシアムって言って、魔女や魔法使いが拳や武器を使って戦う行事だよ。ここはその会場で、今は準決勝の真っ最中」


「ほう」



 キクガは興味津々とばかりの反応を見せると、



「準決勝というと、優勝があるのかね?」


「まあ、そうだな」


「優勝賞品は? 金一封?」


「え」



 ユフィーリアは言葉に詰まった。


 優勝賞品は学院の天使のキッス――つまりショウのキスである。

 しかも本人は当日に知らされたという事実がある。息子を溺愛する父親のキクガにそれを伝えてもいいものだろうか。



「あー、あのー……」


「うむ?」


「お宅の息子さんのキスです」


「…………ほう」



 キクガの纏う空気が変わった。明らかに下がった気がする。



「それは、ショウは承知の上かね?」


「知らなかったッスね。だからアタシはショウ坊の唇を他の連中から阻止する為に闘技場へ乱入したんスけど」


「なるほど、なるほど」



 キクガは気絶したシャルザールを強めに踏みつけてから立ち上がり、ユフィーリアの肩をポンと叩いた。髑髏どくろ仮面の向こうから穏やかな眼差しが覗くが、気分は何故か蛇に睨まれた蛙である。



「君ほど優秀な魔女が闘技場コロシアムで優勝できない訳がない。しっかり頑張りなさい」


「は、はいぃ……」



 言葉の厚が凄かった。「はい」以外の選択肢が許されていない勢いだった。



「もし君が優勝できなかったら」


「で、出来なかったら……?」



 その先を聞くのが怖すぎる。

 ショウを連れて行く? 交際は認めない? いくら問題児でも冥府側に楯突けばタダでは済まないことは理解している。冥府の権力者第2位を前に、ユフィーリアは緊張した面持ちでキクガの言葉を待つ。


 髑髏どくろ仮面の向こう側で微笑むキクガは、



「きっと学院側の作為が働き、君の本来の能力を邪魔されたのだろう。その時はヴァラール魔法学院の全生徒・全教職員を冥府へ招待しようではないか」



 この親父さん、正気だろうか。



「その時が訪れないことを祈っているが、君は何かと周囲からいい印象に見られていない。決勝戦で作為的な何かが働かないとは限らない訳だが」


「い、いや、親父さん。さすがに全生徒と全教職員を冥府にご招待って……」


「当然、罪人側として招待しよう。ああ獄卒たちに武器の手入れを命じなければならないな。私も獄卒として働いたことがあるから、昔使っていた斧を研がなければ」


「親父さん、さすがにやりすぎ」



 ユフィーリアが止めるも、キクガはまるで話を聞いていない。「息子を見せ物にしようとする輩が悪い」とまで聞こえてきた。



「ではユフィーリア君、優勝を目指して頑張りたまえ」


「はいッ、お疲れ様でした!!」



 ユフィーリアは直角のお辞儀をして、キクガを送り出した。


 シャルザールを引き摺って、キクガは闘技場コロシアムから去っていく。

 対戦相手が私情で連れて行かれてしまったので、この場合はユフィーリアの不戦勝だろうか。あの気障野郎と戦わずに済んだが、それよりも絶対に負けられない理由が出来てしまった。


 試合終了の鐘の音を聞きながら、ユフィーリアは「親父さんが怖いよォ」と密かに涙を流すのだった。圧が凄すぎる。

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