第16章:天使のキッスは誰の手に?〜問題用務員、闘技場乱入事件〜

第1話【問題用務員と闘技場】

 正面玄関の掲示板に張り出された大量のチラシの中で、ユフィーリアが注目したのはとある行事のお知らせだった。



「お、闘技場コロシアムが始まるのか」



 学生が手書きで作成しただろう手作り感満載のお知らせには、やたら大きな文字で『闘技場コロシアム、開催!!』とある。

 続いて日程や時間帯、参加者募集の文字まで並んでいる。その参加者募集の下には小さな文字で注意書きがあり、そこにこのお知らせを作成した学生の意思が込められているような気がした。


 その内容が『用務員の参加は認められません』である。最初からすでに決着がついていた、畜生。



「まあ言われなくても出ねえけどな、闘技場コロシアムなんて」


「出ないのか?」


「おおおう!? デジャヴ!?」



 背後から唐突に声をかけられ、ユフィーリアは弾かれたように振り返る。


 キョトンとした表情で立っていたのは用務員の可愛い新人であり、ユフィーリアの大切な恋人でもある女装メイド少年――アズマ・ショウだ。今日も今日とて目が潰れるほど可愛さを振り撒いている。彼がこの世にいるだけで浄化されるような気がする。

 ちなみに本日は艶やかな長い黒髪を縦ロールにし、兎の耳が縫い付けられたホワイトブリムを装着している。雪の結晶が刺繍された古式ゆかしいメイド服は、もはや彼の制服として定着していた。腰に巻いたベルトには兎の尻尾が突き出て、胸元を飾るのは赤い魔石があしらわれた大きめのリボンである。うさ耳メイドさんの爆誕だ。全世界が萌え死んだ。


 ピロピロとうさ耳を揺らすショウは、掲示板の張り紙に視線を向ける。



闘技場コロシアム?」


「体力自慢の生徒たちが殴って蹴って最強の座を目指すっていう内容だ」


「なるほど」



 ショウは納得したように頷き、



「面白そうな催しなのに、ユフィーリアたちは出られないのか」


「求められても出ねえよ。弱いんだもん」



 ユフィーリアは「弱いものイジメは趣味じゃねえ」と、本日の闘技場コロシアムに参加する生徒が聞いていたら間違いなく怒りを買うようなことを言う。


 闘技場は生徒が主催する行事なので、教職員や学院長などの役員は一切触れていない。むしろ大人も生徒たちの殴り合いを楽しんでいる節があるので、生徒側に好き放題やらせているようだ。

 そんな訳で参加者も生徒が中心の為、大人たちはなるべく参加を控えるように言われている。それでもユフィーリアたち問題児は関係ないとばかりに飛び入り参戦したのだが、相手が生徒なので思った以上に弱かったのだ。平手打ちだけで土下座しながら命乞いをしてくるので興醒めである。


 あんな注意書きをせずとも、ユフィーリアは闘技場に参戦するつもりは微塵もない。頼まれたってお断りだ。



「でも観戦は行くかな。何だかんだ闘技場コロシアムも見てる分には面白いし」


「俺も行きたい」



 ショウは真っ直ぐにユフィーリアを見つめ、



「ダメだろうか?」


「いやいや、もちろんいいぞ。むしろそのつもりだったし」



 ユフィーリアは快活な笑みをショウに見せ、



「じゃあ今日の闘技場コロシアムは全員で行くか」


「…………全員?」



 ショウの瞳からゆっくりと光が消えていく。


 今回は魔導書図書館に行く訳ではないので、エドワード、ハルア、アイゼルネの3人も当然同行させる気満々だった。どうせ誘わなければいじけるし、野次を飛ばす輩は大勢いた方がいい。

 特にエドワードとアイゼルネがいてくれるのは、ユフィーリアにとっても助かるのだ。闘技場コロシアムの際は酒類の持ち込みが許可されるので、酒を片手に観戦すると絶対に酔っ払う自信がある。一緒に酔っ払って馬鹿な姿を晒してもらおうという魂胆だ。


 ユフィーリアは不思議そうに首を傾げ、



「どうしたショウ坊、何かあったか?」


「いや……」



 しお、とうさ耳を垂れ落ちながらショウは小さな声でポツリと言う。



「今度こそデートだと思ったのに……」


「ショウ坊」



 ユフィーリアはどこか気落ちした様子のショウの頭を撫で、



「アタシが言うのもあれだけど、闘技場コロシアムはデートスポットに向かない。絶対に向かない」


「でも、俺は貴女と一緒に出かけたい……」


「うぐゥ、可愛い……」



 ユフィーリアの心臓が捻じ切れそうなほどショウの可愛さが突き刺さった。


 だが、彼の要求は今回ばかりは聞けない。

 本当に闘技場コロシアムはデートスポットに向いていないのだ。絶対に向いていないという自信がある、胸を張って言える。男臭いし、野次は容赦なく飛んでくるし、血みどろの殴り合いを見て楽しめる恋人同士は少し特殊な予感がある。



「じゃあショウ坊、こうしよう」


「?」


「今度、学外にデートしに行くか。魔導書図書館に置いてねえ本が出たばかりだって言うから、学外の魔導書専門店に行きたくてな」



 ヴァラール魔法学院は辺境の地にあり、近くの街まで移動するには転移魔法に頼るか魔法列車に乗る必要がある。用事をさっさと済ませたいなら転移魔法による行き方を推奨されるのだが、デートとなれば魔法列車による移動の方がいいだろう。というか、ユフィーリアは専ら魔法列車で移動するのが好きなので必然的にその方法になるのだが。


 ユフィーリアの提案に、ショウの赤い瞳に期待の光が宿った。何か背後にもポコポコと小さいお花が咲いているような気がする。よほど提案が嬉しかったのか、草臥くたびれたうさ耳も一気に復活した。

 手を握ってきたショウは、



「いいのか……?」


「当たり前だろ。アタシもデートしたい」



 ユフィーリアはショウの手を握り返してやり、



「だから、その日はアタシのことを独り占めできるぞ」


「嬉しい」



 ショウは心の底から嬉しそうに微笑むと、



「デート楽しみだ」


「がん゛わ゛い゛い゛」



 健気で可愛い恋人に、ユフィーリアは感動の涙を流すのだった。


 ちなみにこの会話をすぐ裏で聞いていたエドワード、ハルア、アイゼルネの3人は揃って頭を抱えていた。

 彼らはショウがどれほどユフィーリアを愛しているのか知っているし、ユフィーリアのことを盲目的に愛しているのだが、まさか巻き込まれるとは思わなかったらしい。



「ダシに使われたんだけどぉ」


「オレ、ショウちゃんに恨まれないかなぁ……」


「これはユーリに高いお酒を強請らないと割に合わないわネ♪」



 結果的にユフィーリアとショウによるデートの約束にこぎつけたからよかったものの、もしデートという発想が出なかったらどうするつもりだったのだろうか。恋愛1年生というより鈍感と呼んだ方がいいかもしれない、とエドワード、ハルア、アイゼルネは遠い目をするのだった。



 ☆



「今夜の闘技場コロシアムのお供にお菓子や飲み物はいかがですかニャ? 今ならお買い得ですニャ」



 今夜の闘技場コロシアムで摘む菓子類や飲み物などを求めて購買部を訪れた問題児たちを出迎えたのは、二股に裂けた尻尾を持つ黒猫――黒猫店長である。

 黒猫店長も闘技場の行事は知っていたようだ。やけに菓子類や飲み物の類が充実しているし、教職員などの大人向けに酒類も放出中である。しかも普段の価格よりかなり割り引かれているのでお買い得だ。


 ユフィーリアは缶の麦酒ビールを何本か購入しつつ、



「店長、やけに気合が入ってるじゃねえか」


闘技場コロシアムがある時だと食べ物や飲み物がたくさん売れるんですニャ、ここで稼いでおかなければどこで稼ぎますニャ!!」



 精算機レジに缶の麦酒を通しながら、黒猫店長はやや興奮気味に言う。商魂逞しい黒猫である。



「でも、今回はやけに出場者の生徒さんが多いと聞きますニャ」


「出場者が? こりゃまた何で」


「何でも優勝賞品がついているとかですニャ」



 ぽふ、と黒猫店長が肉球を叩くと、ユフィーリアの目の前に掲示板でも見かけた手作り感満載の張り紙が出現する。


 その張り紙の隅には、大きな文字で『優勝賞品は学院の天使によるキッス』とある。気合が入っているのか、どの部分よりも強調されていた。

 学院の天使によるキッスとあるが、一体誰のことを示しているのだろうか。ヴァラール魔法学院のマドンナとかいただろうか?


 ユフィーリアは目の前で揺れる張り紙を掴むと、



「エド、学院の天使様によるキッスだってよ。心当たりあるか?」


「さあねぇ。俺ちゃんに食い気以外のことを聞かれても困るんだけどぉ」



 大量の菓子類を買い物カゴに放り込むエドワードは、



「あ、保健医のリリアンティア先生とかぁ?」


「リリアの奴が? あり得ねえだろ」



 ユフィーリアは「はん」と鼻で笑ってエドワードの言葉を一蹴する。


 保健医のリリアンティア・ブリッツオールは『永遠聖女』と有名な魔女である。魔女と言うと彼女は烈火の如く怒るので、聖女と呼ぶことが推奨されている。

 真面目で礼儀正しく、困った人を放っておけない根っからの善人である。治癒魔法を得意とし、どんな難病を患っていようが彼女の祈りだけで完治できると噂だ。実際にリリアンティア・ブリッツオールによる祈りで、治ることはないと無情にも医者から匙を投げられた子供を何人も救ってきた。


 なるほど、白衣の天使ならぬ保健室の天使か。学院の天使と表現されるのも頷ける。

 ただ、彼女の生真面目な性格を鑑みるとホイホイ唇を他人に許してもいいのかと疑問に思うところだ。絶対に「操を立てなければなりません」と言って、闘技場を制した生徒と結婚しようとするだろう。そこまで読めた。


 ユフィーリアは「いやいや」と首を横に振って、



「キスしただけで子供が出来るって思い込んでる純粋培養の聖女様だぞ、優勝賞品のキッスなんてすれば大騒ぎになるだろ」


「ええー、じゃあ他に思いつかないよぉ」


「適当なことを言ってんだろうなァ。それか生徒の間で天使と噂のある女子生徒か」



 まあ、そんな天使と呼ばれるほど可愛い女子生徒などいただろうか。まさか誰かが性転換薬を飲む羽目になるのだろうか?

 そうなったら面白い。ぜひ大いに笑わせてもらおうではないか。購入した酒の味も美味くなる。


 すると、ショウと一緒に闘技場コロシアムを観戦しながら食べるお菓子を選んでいたハルアが、



「え、赤ちゃんってキスで出来ないの!?」


「お前は何を言ってんだ?」



 そういえばハルアも純粋培養だった。



「ハルさん、赤ちゃんは妖精さんがキャベツ畑から運んでくるんだぞ」


「そうなの!? ショウちゃんは物知りだね!!」



 琥珀色の瞳に羨望の光を宿すハルアは、物知りな後輩であるショウの優しい嘘を完璧に信じていた。彼の見えないところでショウが密かに親指を立てた姿を確認する。

 全く、出来た恋人である。咄嗟に機転を利かせてくれるとは恐れ入る。


 ユフィーリアは「赤ん坊は妖精がキャベツ畑から運んでくる」という嘘を信じるハルアに苦笑するのだった。

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