第2話【問題用務員と扉の絵】

 闘技場コロシアムは午後5時から開場する、と掲示板の張り紙にはあった。



「ユフィーリア、闘技場コロシアムにはどうやって行くんだ?」



 そろそろ出かける準備をするか、とユフィーリアが読んでいた魔導書を閉じると、ショウから何気ない質問が飛んできた。


 そういえば、彼はまだこの世界に召喚されて日が浅い。色々と問題行動をやらかして一緒に学院長のグローリアから怒られてきたが、まだこの世界にやってきて3ヶ月程度しか経過していないのだ。

 当然ながら闘技場コロシアムの存在など知る由もない。闘技場を作るだけの余裕がヴァラール魔法学院にはないのだ。どこもかしこも授業に使う施設だらけである。


 閉じた魔導書を魔法で本棚に戻しつつ、ユフィーリアは答える。



闘技場コロシアムを運営する生徒たちの間で受け継がれている絵があるんだよ」


「絵?」


「通称『扉の絵』って言われてる特殊な絵なんだけど、闘技場コロシアムが開催されるとその絵の扉が開かれる仕組みになってんだ」



 雪の結晶が刻まれた煙管キセルを咥えるユフィーリアは、



「絵の中に入り込む魔法は色々あるけど、あの『扉の絵』を超えるものはねえなァ」


「そうなのか」



 ショウは「絵に飛び込むということだろうか……考えられない……」と首を傾げている。彼の常識には『絵に飛び込む』というものがないらしい。



「まあアタシと副学院長とグローリアが絡んでるからな、そりゃ凄え絵にもなるわ」


「珍しい組み合わせだ」


闘技場コロシアムの仕組みを作った生徒が副学院長に相談して、副学院長がグローリアに相談して、内容が手に負えないものだったからって理由でアタシも協力させられたって流れだな」



 その時のことは鮮明に覚えている。

 グローリアが数名の生徒と副学院長を引き連れて用務員室の扉を開け放ち、唐突に「飛び込める絵を作ろう!!」などと言ってきたのだ。多分あれは魔法の実験も兼ねていたのかもしれない。瞳がキラッキラと猛烈に輝いていた。


 意味が分からなかったのでぶん殴って正気に戻すかと考えたユフィーリアだが、話をよく聞くと『闘技場コロシアムの絵に飛び込める魔法をかけてほしい』という絶妙に面白そうで面倒臭そうなものだった。

 どうやら絵の中に描かれた闘技場で生徒主催の行事を企画していて、魔法が一切禁止された素手での格闘技戦らしい。ヴァラール魔法学院の地下は大小様々な儀式場があるので、闘技場を作る場所がないからの提案だった。


 面白そうなので喜んで協力し、ついでに第1回闘技場にも参加させてもらえたので嬉しい限りだった。少々暴れすぎて出禁を言い渡されてしまったが、観客として訪れる分には何も言われていないので大丈夫だろう。



「多分、同じことをしてくれって頼まれても無理だと思う」


「そんなに……」


「おうよ」



 ユフィーリアは真剣な表情で頷き、



「だってアタシも3日間ぐらい徹夜したからな。そんな大作をもう1度作れって言われても無理だろ」


「3日間も徹夜して大丈夫だったのか?」


「グローリアと副学院長は5日間ぐらい徹夜してたからアタシはまだマシだったな」



 そもそもグローリアは基本的に睡眠時間が2時間でも余裕で動き回れて説教も絶叫も出来るほど回復できるし、副学院長のスカイは最長で1週間もの徹夜記録を樹立している。夜更かしとはいえ深夜12時までが限界のユフィーリアが3日間も徹夜をすればボロボロだった。

 もう2度と経験したくない出来事である。頼まれても嫌だ。副学院長に頼まれても断るし、ショウに頼まれても――いやショウの場合は「いいぞ!!」と二つ返事で引き受けてしまうかもしれない。


 ユフィーリアは食糧保管庫からあらかじめ購買部で買い込んだ缶入りの麦酒ビールを何本か取り出すと、



「まあ見てみりゃいいだろ。今頃、正面玄関に飾られてる頃合いだぜれ



 ☆



 正面玄関は、本日開催の闘技場コロシアムを楽しみにしている生徒でごった返していた。闘技場を運営する有志の生徒たちが列整理に尽力しているが、その列はかなり長いものと化していた。


 せっかくの闘技場を観戦まで禁止されたら溜まったものではないので、ユフィーリアたち問題児も大人しく並ぶことにする。これが朝食の時間帯に出来る列だったら絶対に虫の玩具を解き放って混乱させていたことだろう。

 退屈そうに列へ並ぶユフィーリアは「ふあぁ」と欠伸をし、



「かったりィ……クロハガネゴ【自主規制】の玩具で全部蹴散らしてやろうかな」


「させないからね、ユフィーリア?」


「げ」



 そっと後ろに並ぶ何某から肩を掴まれたと思えば、ヴァラール魔法学院の学院長であるグローリア・イーストエンドだった。

 烏の濡れ羽色の髪をかんざしでまとめ、朝靄あさもやを想起させる紫色の双眸がユフィーリアを真っ直ぐに睨みつける。仕立てのいい襯衣シャツ洋袴ズボン、磨き抜かれた革靴という簡素な格好の上から厚手の長衣ローブを羽織っていた。教職員らしい清潔感ある格好だが、学院長としての威厳はまるでない。


 朗らかな笑顔を見せるグローリアは、列の混乱を画策するユフィーリアを注意する。



「君も観戦したいなら大人しくしてなよ。どうせすぐに解消されるんだから」


「へいへい、分かってるっての」


「全然分かってないじゃないか」



 グローリアの小言をしれっと明後日の方角に視線を投げて聞き流すユフィーリアは、



「つーか、お前も観戦するんだな。てっきり魔法の研究一筋かと思ってたぜ」


「生徒たちが企画した行事は面白いから、何でも見学することにしているんだ。彼らの若い発想は目を見張るものがあるからね」


「教育者の鑑だねぇ」



 購買部で買い込んだ干し肉を噛むエドワードが、珍しくグローリアに感心の眼差しを向けた。


 魔法の研究でも昔のやり方にこだわるようだったら進展は何もない、とはグローリアが掲げる信条である。常に魔法の発展と繁栄を願って研究を続けているので、若い魔法使いや魔女たちの突飛な発想を積極的に魔法の研究に生かしているのだ。

 闘技場コロシアムなどという野蛮な催しを容認しているのも、そう言った理由があるのだ。ある意味で問題児の首の皮が繋がっているのも、突飛な発想で繰り広げられる問題行動が目的だろうか。


 グローリアは「それに」と言葉を続け、



「何かね、極東地域からサムライが闘技場コロシアムに殴り込みしてきたんだって」


「サムライ?」



 極東特有の言葉に反応を示したショウは、



「この世界にまだサムライがいるんですか?」


「いるよ、極東地域にはまだゴロゴロしているよ。カタナっていう細い剣1本だけを携えて戦場を渡り歩く強者って聞くんだよね。魔法も使えないのにどうしてそんなに強いのか知りたいのさ」



 グローリアの紫色の瞳が期待の光に満ちていた。


 極東地域に関しては、まだ解明されていない部分が多いのだ。距離があるし、極東地域へ到達するには様々な国を経由しなければならないと言われている。真偽は不明だが、転移魔法の座標が必ずバグるらしいのだ。

 ユフィーリアも1度は極東地域に行ってみたいものだが、極東地域の人間は外からやってくる魔女や魔法使いたちに厳しい。いつか旅行には行ってみたいものだ。


 ショウは「なるほど」と頷くと、



「俺も興味ありますね。過去にいたサムライがどれほど強いのか……」


「ショウちゃんの世界にもサムライがいたの!?」


「姿形を変えて存在している、と思う」


「凄えね!!」



 琥珀色の瞳を輝かせて後輩に詰め寄るハルアは、興奮気味に「オレも戦ってみたいな!!」などと言っていた。問題児の暴走機関車が相手では、さしものサムライも太刀打ちできないだろう。



「ユーリ♪ もうすぐヨ♪」


「おう、悪いなアイゼ」



 列が動くのをアイゼルネに指摘され、ユフィーリアは前へ向き直った。


 正面玄関には、1枚の巨大な絵画が設置されていた。ちゃんと倒れないように台座も置かれている。黄金の額縁が絵の豪華さを示していたが、絵自体は闘技場コロシアムが描かれているのみである。

 見上げるほど大きな絵を前に、ショウは呆気に取られた様子で呟いた。



「大きい……」


「これに飛び込むんだよ」



 ユフィーリアは「アイツらを見てみろ」と絵の前に立つ生徒たちを指差す。


 闘技場コロシアムが描かれた巨大な絵の前に立っていた2人の女子生徒は、互いに顔を見合わせてから同時に絵へと足を踏み込んだ。絵の表面が女子生徒たちの爪先を飲み込み、難なく少女たちの全身を受け入れる。

 絵の中から少女の「きゃー、凄い!!」「これ本当に絵の中なの?」などと声が聞こえてきたが、やがてそれも聞こえなくなる。その常識外れな光景に、異世界からやってきた女装メイド少年はうさ耳をピンと立てて驚いていた。



「ゆふぃ、ユフィーリア、絵に飲み込まれてしまった!?」


「大丈夫だショウ坊、あれが普通だから」



 混乱のあまり肩を掴んでガクガクと揺さぶってくるショウに「落ち着け、ショウ坊」と言うユフィーリアは、



「ほら次だぞ、アタシらの番は」


「はぅあ!?」



 もういつのまにか目の前まで巨大な絵が迫っていたことに、ショウは変な声を上げて固まってしまった。物凄く可愛い。



「大丈夫だって。部屋に入るような感じで入ればいいから」


「で、でも顔をぶつけてしまったり……」



 絵に飛び込むという概念を知らないショウは、泣きそうな表情でユフィーリアの腕を掴む。

 確かに、絵の中へ入る魔法を知らなければ不安にもなる。だがこの絵を潜り抜けなければ闘技場に行くことは夢のまた夢だ。


 ユフィーリアはエドワード、ハルア、アイゼルネへ視線をやり、



「お前ら、先に行け。ショウ坊に手本を見せてやれ」


「はいよぉ」


「あいあい!!」


「分かったワ♪」



 エドワード、ハルア、アイゼルネは快諾すると何の躊躇いもなく絵めがけて足を踏み出した。

 爪先が絵の表面を通り抜け、やがて彼らの全身が絵の中に飲み込まれて姿を消す。絵の向こう側から「ショウちゃーん、おいでぇ」「怖くないよ!!」「大丈夫ヨ♪」などと3人が呼びかけてくる。


 ユフィーリアは不安げな様子のショウに手を差し伸べ、



「ほら、アタシも一緒に行くから」


「本当か……?」



 不安げにユフィーリアの手を握ってくるショウは、



「ぜ、絶対に離さないでくれ……!!」


「分かってるって」


「ほ、本当だぞ。冗談じゃないぞ……!?」


「大丈夫だから」



 ショウの手をしっかり握って、ユフィーリアは絵めがけて足を踏み出した。

 頑丈な長靴ブーツで覆われた爪先が絵を通り過ぎ、その向こうに広がっている大地を踏む。遅れて、引っ張られるようにしてショウが絵に飛び込んできた。ちょっと怖かったのか、目もギュッと瞑っている。


 絵に正面衝突を果たすことなく通り抜けることが出来たショウは、



「通れ、た……?」


「ほら、大丈夫だったろ」



 ユフィーリアはポカンとした様子のショウの手を引くと、



「あれが闘技場コロシアムの会場だ」



 ユフィーリアとショウの目の前には、巨大な闘技場コロシアムが鎮座していた。石造りの闘技場は絵に描かれたものと同じであり、そこへ生徒たちが次々と入り込んでいく。遠くの方では生徒たち――いいや観客たちの声がぶつかり合って程よい盛り上がりを見せていた。

 あの闘技場にて、今回の行事が開催されるのだ。滅多にない行事だから、大いに盛り上がることだろう。


 赤い瞳を輝かせたショウは、



「ユフィーリア、早く行こう!!」


「落ち着けショウ坊、走ると転ぶぞ」



 興奮気味な可愛い恋人の姿に、ユフィーリアは思わず笑ってしまうのだった。

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