第5話【問題用務員と吸血鬼の正体】

「――ということがあったんだよぉ」



 エドワードから事の顛末を聞き終えたユフィーリアは「そっかァ」と頷き、



「エド」


「ユーリぃ……」


「よくやった」



 ポン、とエドワードの肩を叩いて、ユフィーリアは真剣な表情で称賛の言葉を送る。


 この乳母車に乗せられた吸血鬼ヴァンパイアは、とんでもないことをしでかしてくれたものだ。ユフィーリアにとって最愛とも呼べる恋人を襲いかかったのだから、鯖折りされて背骨を折られても仕方がない。むしろ「もっとやれ」と言いたいところだ。

 まさか褒められるとは思っていなかったらしいエドワードは、呆けた顔で立ち尽くしていた。「はえ……?」とユフィーリアに褒められたことが理解できていないようだ。状況をそのまま受け入れろ。


 ユフィーリアは雑な手つきで吸血鬼の死体を引っ掴むと、



「おらよグローリア、エドが背骨を折った吸血鬼ヴァンパイアの死体」


「えー?」



 剥き出しとなった土の床に投げ捨てられる吸血鬼の死体を前に、グローリアは怪訝な顔で首を傾げる。



吸血鬼ヴァンパイアに死体なんて出来るかなぁ。吸血鬼は死ぬと灰になるって言うんだけど」


「知らねえよ、そういうの興味あるだろ。お得意の実験材料に使ったらどうだ」



 いつもだったら人体実験などドン引きするユフィーリアだが、相手は用務員室に襲撃を仕掛けた挙句、ユフィーリアの大切な恋人を傷つけようとした極悪な吸血鬼ヴァンパイアである。生きていようが死んでいようが関係ない、地獄のような苦しみを味わってもらわなければ気が済まない。


 グローリアも「それもそうだね」と吸血鬼の死体で実験をする気満々の様子だった。

 吸血鬼は死ぬと灰になって形が残らなくなってしまうので、ちゃんと人間の姿形を保っているのは不思議なことである。学院を経営する長である以前に、彼は研究者の1人でもあるのだ。分からないことは実験を繰り返して解明するのが彼である。


 ユフィーリアは小さくなった白い三日月――冥砲めいほうルナ・フェルノの飛行の加護で虚空に浮かぶショウの頭を撫で、



「ショウ坊、怪我はねえな? 大丈夫か?」


「ぷぅ」



 頬を膨らませて小さな手をユフィーリアの鼻に伸ばしてくるショウは、頭を撫でられて嬉しそうに笑っていた。白い三日月に乗せられたハルアも羨ましげに「もーッ」と手を伸ばしてくる。

 ショウにやった時と同じように頭を撫でてやれば、ハルアも満足げに琥珀色の瞳を細めた。頭を撫でられたショウとハルアは互いに顔を見合わせると、ほにゃりと可愛く微笑んでいた。


 次いで乳母車に乗せられたアイゼルネの前でしゃがみ込み、



「アイゼも怪我はねえか? 噛まれたとか」


「ないワ♪ エドの大手柄ヨ♪ おねーさんとハルちゃんはニンニクを投げるぐらいしかしてないワ♪」


「それでも吸血鬼ヴァンパイアの嫌がるものを攻撃手段に使うのは偉い。怖かったのによく頑張ったな」



 アイゼルネの緑色の髪をワシャワシャと撫でてやれば、彼女は「髪が乱れちゃうワ♪」と不満げに言いながらも表情は満更でもなさそうだった。素直じゃない。



「エドもご苦労だったな、怖かったろ」


「ユーリぃ……」



 問題児の中で最も精神的にヨワヨワなエドワードの頭を撫でてやれば、彼の銀灰色ぎんかいしょくの双眸からボロボロと大粒の涙が流れ始めた。野生的なイケメンが見る影もない。「ううううぅ……」と唸って両腕を広げてきたので、ユフィーリアはエドワードの大きな身体を抱きしめてやった。

 今回の大手柄は彼だ。怖いのに、年下の問題児どもを守ろうと動いてくれた。それだけで十分な働きである。


 すると、吸血鬼ヴァンパイアの身体を調べていたグローリアが「あれ?」と声を上げた。



「ユフィーリア、本当に死体なんだよね?」


「死んでるんじゃねえのか? 背骨を折られりゃ普通に死ぬだろ」


「え、でも」



 グローリアは土の床に横たわる吸血鬼ヴァンパイアの死体を示した。


 襯衣シャツの前が開かれて、青白い女の肌が晒されている。一般的な常識を持ち合わせているならグローリアをぶん殴るべきなのだろうが、注目すべき箇所は彼女の胸元だ。

 薄い胸元には、何かが突き刺さっていただろう痕跡がある。それはちょうど心臓の部分で、呼吸もしていなければ彼女の身体に腐敗した箇所がいくつか見られた。


 グローリアと並んで吸血鬼の死体を見下ろすユフィーリアは、



「これって……」


「確かに死んでるよ、



 吸血鬼の死体をじっと観察するグローリアは、自らが導き出した答えを口にした。



「ゾンビだね、吸血鬼ヴァンパイアのゾンビだ。初めてだよ、こんなの」



 その時だ。



「う、うぅん……」



 吸血鬼ヴァンパイアゾンビの眉根が寄せられ、唸り声が桜色の唇から漏れる。犬歯――いいや人の肌を食い破る為に発達した牙が覗き、赤い舌が見え隠れする。

 閉ざされた瞼の下から現れたのは、毒々しい色合いをした赤い瞳である。愛らしい顔立ちは誰もが振り返るような美しさと同時に、人間離れした雰囲気を感じた。


 ぼんやりとした赤い瞳でグローリアとユフィーリアを見上げた吸血鬼ゾンビは、



「んん……あらぁ? 何でワタシはこんな土臭い場所に……」



 上半身を起こした吸血鬼ヴァンパイアゾンビは、自分の身体に視線を落とす。

 襯衣シャツの前が開かれた状態で、肌や胸元が大胆に晒されている。意識のある人間ならまず隠すべき箇所が暴かれていたのだ。彼女の青白い肌は、羞恥心からか徐々に赤く染まっていく。


 そして、こうなることは必須だった。



「きゃーッ!! 変態!!」


「へぶぅ!?」



 吸血鬼ゾンビの平手が振り抜かれ、グローリアの頬を的確に打ち抜いた。


 ぶん殴られたグローリアは華麗に3回転ぐらいしてから、地面に叩きつけられる。吸血鬼ヴァンパイアゾンビの平手は強烈なものだったようで、ぶん殴られたグローリアはうつ伏せのままピクリとも動かなくなった。

 まあ可哀想だとは思うが、女性相手に変態的な行動を見せたのだ。ぶん殴られて当然である。ユフィーリアでも同じことをする。


 吸血鬼ゾンビは「ふーッ、ふーッ」と赤い瞳に羞恥心から来る涙を滲ませ、自分の薄い胸元を襯衣で隠す。



「こ、こんな、こんな辱めを受けたのは生まれて初めてだわぁ。ワタシを高貴な吸血鬼ヴァンパイアに名を連ねる者と知っていての行動なのぉ?」



 それから吸血鬼ゾンビは「よいしょ」と立ち上がると、ヴァラール魔法学院の制服に指定された長衣ローブをバッサァ!! と翻す。



「我が名はエレイナ・ラーデル、高貴なる吸血鬼の一族に名前を連ねる者よぉ。我が威光に恐れ慄くがいいわぁ」


「ああ」



 長衣ローブをマント代わりに翻し、堂々とした自己紹介を披露する吸血鬼ヴァンパイアゾンビ――エレイナ・ラーデルを見据えて、ユフィーリアはポツリと一言。



「子供ばかりを狙った吸血鬼か。またの名をロリコン・ショタコン吸血鬼」


「ワタシを不名誉な名前で呼ぶのは誰ぇ?」



 ジロリと睨みつけてくるエレイナから視線を逸らすユフィーリアは、誤魔化す為に雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。



「ユーリぃ、この痛々しい人ってぇ」


「おうよ、大量の子供を殺して生き血を啜った吸血鬼ヴァンパイアだ。胸に木の杭を打たれて死んだはずなんだけどな」


「吸血鬼ってぇ、あんな自己紹介をしていなきゃいけないのぉ?」


「吸血鬼ってのは自意識が高い一族だからな。人間から畏怖の対象に思われるのが快感に思っちゃう頭のおかしな魔物なんだよ」


「そこぉ!! 聞こえてるわよぉ!!」



 エレイナに指摘され、ユフィーリアとエドワードは揃って明後日の方向を見上げて誤魔化した。「悪口なんて言っていません」とばかりの態度である。



「なるほどね、君が学院内に侵入して先生方を殺したんだね」



 エレイナにぶん殴られてうつ伏せに倒れていたグローリアが、ムクリと起き上がってそんな推理を述べる。

 彼の鼻からは真っ赤な血が流れていた。中性的な美丈夫でも鼻血を出すことはあるのか、とユフィーリアはちょっと感心した。ただ、この真剣な雰囲気に鼻血を流しながら真面目なことを話す学院長に、問題児の腹筋が崩壊しそうになる。


 グローリアは鼻血など気にも留めない様子で、



「君のせいで甚大な被害が出たよ。死者蘇生魔法ネクロマンシーも楽じゃないんだよね」


「あらぁ? ワタシからすればこの上なく嬉しいことだったわぁ」



 エレイナは綺麗な微笑みをユフィーリアに向け、



「問題児様々よねぇ、わざわざワタシにご飯を提供してくれるなんてぇ。先生方を若返らせたのはぁ、ワタシのことを思ってくれたんでしょぉ?」


「思い上がってんじゃねえ、カス」



 ユフィーリアはビッと中指を立ててエレイナに吐き捨てる。


 確かにユフィーリアが若返りの魔法薬を使用しなければ、エレイナも教職員を殺害するなどという重大な事件は起こさなかっただろう。ユフィーリアもある意味でエレイナに食事を提供してしまったことになる。

 だが、問題児が他人の為になるような行動をしないのは周知の事実である。エレイナに食事を提供したつもりは毛頭ないし、教職員大量殺戮に加担してしまったと後悔する気持ちもない。



「アタシは面白そうだから若返りの魔法薬を使っただけであって、中毒を起こした犯罪者に餌をやった覚えはねえな」


「あらぁ、そうなのねぇ」


「そもそも解除薬が出来ていればすぐに元の姿に戻したし、教職員が殺されたのは八雲の爺さんが白蓮の花を枯らしたのが原因じゃねえの?」



 結局はそこに行き着くのだ。

 ユフィーリアの魔法薬事件は解除薬を調合することで決着し、その解除薬に必要な魔法植物を枯らしたのは植物園の管理人による怠慢が原因だ。魔法植物があればすぐにでも解除薬を調合したので、エレイナに食事を提供する羽目にはならなかった。


 まあ最初から若返りの魔法薬を選ばなければよかった話なのだが、そこはそれ、面白そうだったので仕方がないのだ。



「ふぅん、まあいいけどぉ」



 真っ赤な舌で唇を舐めたエレイナは、



「でも最後にデザートぐらいはいただいてもいいわよねぇ?」


「は?」



 ユフィーリアが気づいた時には、エレイナが横を通り抜けていた。


 弾かれたように振り返ると、彼女の手が掴んだのは白い三日月の側でぷかぷかと浮かぶ赤子――ショウである。冥砲めいほうルナ・フェルノに乗っていたハルアは振り落とされ、エドワードに受け止められて事なきを得る。

 ショウを小脇に抱えたエレイナは高らかに笑い声を響かせ、



「おーほほほほほ!! 最後にこの赤子の血をいただいてから、学院とおさらばしてやるわぁ!!」


「クソアバズレ待ちやがれ!!」



 連れ攫われたショウを奪還する為に、ユフィーリアは第1儀式場から飛び出したエレイナを追いかける。

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